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🎥『国別映画史』12 中国

【中国-分断と再統合の映画国家(1896-1949)】

中国映画は単線ではない。

清朝
辛亥革命
軍閥時代
国民政府
日中戦争
共産党政権成立

国家が安定しないまま、映画は成長する。


0|制作本数(推定概算)

※長編劇映画(約60分以上)を基準とした推定総数。
※1910年代以前は資料が断片的で、合算推定。

  • 1900年代:10年間で数本(年間1本未満)

  • 1910年代:約30~50本(10年間合計/年間3~5本程度)

  • 1920年代:約200~300本(10年間合計/年間20~30本程度)

  • 1930年代:約600~800本(10年間合計/年間60~80本程度)

  • 1940年代前半:戦争により大幅減少

  • 1946–48年:年間約100本前後

※戦時期は地域差が大きく、上海・香港・重慶・満洲で分断。

重要なのは、1930年代に“数えられる産業規模”へ到達した点である。


1|1896年:最初の上映

1896年8月、上海。

リュミエール作品が上映されたとされる。
同年、北京や天津でも上映記録が残る。

中国は映画受容が極めて早い。

だが最初は外国人による興行であり、中国資本ではない。

映画はまず「租界の娯楽」として入る。


2|最初の中国映画(1905)

1905年、『定軍山』。

北京京劇の舞台を撮影した記録映画とされる。
制作:任慶泰(北京豊泰写真館)。

ここで重要なのは、
映画は最初から“伝統芸能の記録”だったこと。

中国映画は近代と伝統の接続から始まる。


3|上海の台頭(1910–20年代)

1910年代後半、上海が制作拠点となる。

理由:

  • 商業都市

  • 外国資本の流入

  • 租界の比較的自由な環境

1920年代には映画会社が乱立。

明星影片公司
天一影片公司
聯華影業公司 など。

映画は都市娯楽として定着。


4|1930年代:左翼映画運動

1930年代初頭。

社会不安
労働問題
対日緊張

映画は社会批評を担う。

代表例:

『漁光曲』(1934)
『大路』(1934)

監督:孫瑜、蔡楚生など。

都市貧困、労働者階級、女性問題。

ここで映画は「社会批評装置」になる。

制作本数も増加。

1930年代は中国映画最初の黄金期。


5|日本の侵攻と分断(1937)

1937年、日中戦争。

上海陥落。

映画制作は分断。

  • 上海(占領地)

  • 重慶(国民政府)

  • 香港(亡命映画人の拠点)

  • 満洲(満映)

ここで中国映画は“地域映画”へ分裂する。

数字は単純に合算できない。


6|満洲映画(満映)

1937年設立、満洲映画協会(満映)。

日本主導。

李香蘭(山口淑子)らがスターとなる。

満映は中国映画史に含まれるのか。

ここは解釈が分かれる。

だが視覚文化としての影響は無視できない。


7|戦後回復と国共内戦(1945–49)

1945年、日本敗戦。

映画制作は再開。

だが国共内戦。

1949年、中華人民共和国成立。

ここで映画は再び国家装置へ。


8|制作本数が意味を持つ瞬間

中国で制作本数が安定して数えられるのは、

1930年代
そして1949年以降。

国家統計が整うまで、数字は断片的。

中国映画は

市場国家の映画
戦時国家の映画
革命国家の映画

をすべて経験する。


中国の意味

中国は

  • 外国興行から始まり

  • 伝統芸能を記録し

  • 都市商業映画へ発展し

  • 左翼批評映画を生み

  • 戦争で分断され

  • 革命国家に再統合された

国家である。

映画はここで

市場
思想
帝国
革命

すべてを通過する。

映画は光でできている。
だが中国では、その光は国家の分断線の上を走った。


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