🎥『国別映画史』10 スペイン
【スペイン-断絶と亡命の映画(1896-1945)】
スペインは遅れていたわけではない。
1896年5月、マドリード。
パリから半年後、リュミエール作品が上映される。
映画の導入はヨーロッパ主要国とほぼ同時期だった。
だがスペインは、中心にもならなかった。
その映画史は、発展よりも断絶によって特徴づけられる。
0|制作本数という前提
制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算。
制作規模(概算)
1910年代(合計):数十本規模
1920年代:年間20~40本程度
1930年代前半:増加傾向
1936–39(内戦期):急減
1940年代前半:年間30~40本規模
規模は中規模欧州国家クラス。
ドイツやイタリアほどの産業化はない。
だが重要なのは量ではない。
断絶である。
1|第一次世界大戦:中立という条件
1914–1918年。
スペインは中立を維持する。
これは一見有利に見える。
戦禍による破壊なし
映画館は維持
外国映画の流入増加
だが同時にハリウッド映画が市場に浸透する。
戦争で壊れなかったが、その代わりにアメリカ化が進む。
ここでスペインは独自体系を築けなかった。
2|1920年代:独裁と不安定
1923年、プリモ・デ・リベラの軍事独裁。
産業近代化は進むが、政治は不安定。
映画制作は続くが、理論的爆発は起きない。
ドイツが表現主義を生み、
ソ連がモンタージュ理論を体系化した時期、
スペインは政治的揺らぎの中にあった。
3|前衛の異常値
1928年、「アンダルシアの犬」(Un Chien Andalou)17分の短編
監督:ルイス・ブニュエル
共同制作:サルバドール・ダリ
これはスペイン国内産業の成果ではない。
パリ制作。
スペイン映画の最重要作は国外で生まれる。
ここに兆しがある。
才能は外で開花する。
4|第二共和政と社会分断
1931年、王政崩壊。第二共和政成立。
検閲緩和。社会派映画の増加。
だが社会の分断は深まる。
経済不安。階級対立。政治的暴力。
映画は安定した産業になる前に、国家が揺らぐ。
5|1936–1939:内戦
スペイン内戦。
映画は完全に政治化する。
共和国側の記録・宣伝映画
フランコ側の国家宣伝映画
制作拠点は分裂。
人材は亡命。
映画産業の基盤は破壊される。
ここでスペイン映画は「国内史」として断絶する。
6|フランコ体制
1939年、フランコ勝利。
検閲強化。
カトリック道徳。
国家主義。
映画は統制されるが、規模は限定的。
イタリアやドイツのような巨大国家映画体制にはならない。
スペインは、
国家に奉仕する映画を持つが世界市場を持たない。
7|亡命
最も重要なのはここである。
ルイス・ブニュエル は国外へ。
スペイン映画の核心的人物は、
スペインで作り続けなかった。
内戦は才能を国外へ流出させる。
8|ハリウッドが神話化するスペイン
1943年、「誰がために鐘は鳴る」(For Whom the Bell Tolls)
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
これもスペイン映画ではない。
ハリウッド映画である。
世界に広まった「スペイン内戦像」は、
このアメリカ映画によって形成された。
スペインは自国映画で語られるより、他国映画で神話化される。
ここに奇妙な構造がある。
9|メキシコへの接続
内戦後、亡命者はメキシコへ。
1940年代、メキシコ映画は黄金期を迎える。
スペインの才能は、スペインでではなく、ラテン圏で再生する。
スペイン映画は国外で生き延びる。
スペインの意味
スペインは
・導入は早い
・戦争で破壊されなかった
・だが独裁と内戦で断絶
・才能は亡命
・物語は他国で神話化
量ではない。
振幅で読む国である。
映画は光でできている。
だがスペインでは、
光はしばしば国境を越えなければ生き延びられなかった。
