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🎥『国別映画史』16 ブラジル

【ブラジル-巨大内部市場の形成(1896–1960年代)】

ブラジルはラテンアメリカで人口が最大の国であり、
ポルトガル語圏最大の市場である。

だが映画においては、
長く「外圧の浸透を受ける巨大市場」だった。

本章は1896年の初上映から、
1960年代(Cinema Novo前夜)までを扱う。


0|制作本数という前提

※本章の制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とする概算。

制作規模(推計)

1900年代(1900–1909):十数本規模(断続的制作)
1910年代(1910–1919):約80〜100本(年平均8本前後)
1920年代(1920–1929):約200本(年平均20本前後)
1930年代(1930–1939):約250本(年平均25本前後)
1940年代(1940–1949):約350本(年平均35本前後)
1950年代(1950–1959):約500本(年平均50本前後)
1960年代前半:年40〜60本規模

※数値は資料により差異あり。産業化ライン把握を目的とする。

年間30本を超えると、産業としての連続性が成立する。

ブラジルは1940年代にそのラインを越え、
1950年代に安定圏へ入る。


1|初上映と輸入優位構造(1896–1910)

1896年、リオ・デ・ジャネイロで映画上映。

初期は:

  • ヨーロッパ映画

  • アメリカ映画

  • 記録短編中心

国内制作は限定的。

ブラジルは当初から

映画を「受け取る市場」

として始まる。


2|地域制作の時代(1910–1920年代)

1920年代、
サンパウロ・リオを中心に制作が増加。

しかし:

  • 配給網未整備

  • 上映網の都市集中

  • ハリウッド輸入優位

という構造は変わらない。

巨大人口を抱えながら、

国内映画の浸透率が低い

という矛盾を持つ。


3|音声導入と都市集中(1930年代)

トーキー導入により制作は安定。

だが市場は依然:

  • 外国映画優位

  • 興行収入の多くをハリウッドが占有

ブラジルは単一ポルトガル語国家である。

これは国内市場統一には有利だが、
スペイン語圏との市場連携を難しくする。

広い国内市場と、
限定的な外部言語接続。

この二重構造が続く。


4|国家振興と産業化(1940年代)

1940年代、国家は映画振興に動く。

制作本数は年30〜40本へ。

ここでブラジルは

継続生産可能な国家

へ移行する。

だが依然:

  • 資本不足

  • 技術不足

  • 配給力不足

を抱える。


5|スタジオ体制の試み(1950年代)

1949年設立のVera Cruzスタジオは
本格的産業化を目指す。

  • 技術近代化

  • 国際市場志向

  • 高品質制作

しかし財政難で短命。

それでも1950年代は
年50本規模の安定生産に到達。

ブラジル映画は

存在する産業

となる。


6|言語・字幕・吹替構造

ブラジルはポルトガル語単一国家。

特徴:

  • 外国映画は字幕中心(成人市場)

  • テレビ普及後に吹替拡大

  • 国内映画は当然ポルトガル語

言語統一は国内市場を強固にする。

同時に:

輸出拡張を難しくする要因

にもなる。


7|言語共同体市場という別回路(日伯回路)

ブラジルには世界最大の日系移民社会が形成された。

1895年、日伯修好通商航海条約締結。
1908年、笠戸丸による移民開始。

1916年創刊の
南米毎日新聞
などの日本語新聞は、移民社会の情報基盤となった。

そこには:

  • 日本映画上映広告

  • 巡回興行情報

  • フィルム輸入告知

が掲載された。

これはブラジル国家市場とは別に存在した

日伯移民回路における文化流通市場

である。

戦時期(1940年代)、
日本語使用と日本映画上映は制限される。

映画は娯楽であると同時に、

国家忠誠の可視化装置

となる。

戦後、日本映画は再流入。

ブラジルには:

  • ポルトガル語国家市場

  • 日伯移民市場

という二層構造が並行した。


8|1960年代前夜

1950年代後半、ブラジルは急速な都市化と工業化を経験する。

一方で、

  • 地域格差の拡大

  • 農村から都市への人口移動

  • 政治的不安定の増大

が進行する。

国家は「開発国家」へと再編されつつあり、
社会の統合原理が揺れ始める。

1964年には軍事クーデターが発生する。

映画はまだ様式転換していない。
だが、

国家の構造的変化が、映画表現の転換を準備し始める段階

に入る。

本章ではここまでを扱う。

Cinema Novoそのものには踏み込まない。


補記|移民船の時間軸

日本からブラジルへの政府斡旋移民は、
1973年、神戸港発の最終便をもって終了した。

これはブラジル映画産業が
年50本規模へ安定した後のことである。

映画産業の自立と、
移民の歴史は、完全には一致しない。

時間軸は重なりながら、ずれる。


国家モデル分類

ブラジルは:

  • 巨大内部市場型映画国家

  • 外圧浸透調整型国家

  • 都市集中型産業国家

  • 多言語共同体併存型市場

エジプトが「編集権の奪回」なら、

ブラジルは:

巨大国内市場の形成

である。


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