🎥『国別映画史』20 チェコ
【チェコ ー 帝国の都市から幻想国家へ(1890年代-現在)】
チェコ映画は、国家より先に始まる。
19世紀末、プラハはオーストリア=ハンガリー帝国の一都市だった。
文化都市ではあったが、主権国家ではない。
それでも映画は入ってくる。
ここからチェコ映画史は始まる。
0|制作本数
※この制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算。
制作規模(概算)
1900年代:ごく少数(導入期)※以下、年代ごと(10年)の合計
1910年代:約30~60本(帝国末期)
1920年代:約200~300本(独立直後)
1930年代:約400~500本(共和国成熟期)
1940年代:約300本前後(占領期+戦後初期)
1950年代:約250~350本(国有化体制安定期)
1960年代:約300本前後(ヌーヴェルヴァーグ期含む)
1970年代:約200~250本(正常化期)
1980年代:約150~200本(体制末期)
1990年代:約150本前後(市場経済移行)
2000年代:約250~300本
2010年代:約300本前後
2020年代:年間30~40本規模で推移
※1918–1992年はチェコスロヴァキア時代を含む数値。
※1993年以降はチェコ共和国。
数字は爆発しない。
しかし決定的なのは、
占領でも体制転換でも、制作は止まらない
という点である。
1|帝国下の導入(~1918)
プラハは帝国の文化都市。
ドイツ語圏との接続も強い。
映画は比較的早期に導入されるが、この時点で「チェコ国家」は存在しない。
制作は小規模。
市場は帝国内に依存する。
映画はある。だが国家はまだない。
映画は国家構造の外側で始まった。
2|独立国家と産業整備(1918–1938)
第一次世界大戦後、チェコスロヴァキアが独立。
民主国家として出発する。
1930年代、プラハ郊外に
バランドフ撮影所(Barrandov Studios)
が建設される。
中欧最大級の撮影所。
小国ながら、自前の制作体制を持つ。
代表作:
『エロティコン(Erotikon)』(1929)
帝国文化圏の影響を受けつつ、独自の都市的感性を展開する。
1930年代には音声映画へ移行。
制作は安定し、産業として成熟する。
3|占領と統制(1939–1945)
ミュンヘン協定。
ナチス進駐。
制作は続くが、検閲が強化される。
チェコ映画はここで一度「自由」を失う。
だが撮影所は止まらない。
小国は地政学に挟まれる。
4|社会主義体制とチェコ・ヌーヴェルヴァーグ
戦後、映画産業は国有化される。
制作・配給は国家管理下へ。
通常ならここで表現は硬直する。
だが1960年代、逆の現象が起こる。
制作本数は維持されたまま、
内容が急進化する。
背景には三つある。
① 制作が市場に依存していなかった
② プラハ映画学校(FAMU)の存在
③ スターリン死後の緩和
国家が制作を保証したことが、
皮肉にも実験を可能にした。
登場する作家たち
🎬 ミロス・フォアマン
『黒いピーター(Černý Petr)』(1964)
『金髪の娘(Lásky jedné plavovlásky)』(1965)
英雄ではなく、普通の若者を描く。
体制を正面から批判しない。
だが空気が揺らぐ。
🎬 イジー・メンツェル
『厳重に監視された列車(Ostře sledované vlaky)』(1966)
政治よりも人間の滑稽さを描く。
🎬 ヴェラ・ヒティロヴァ
『ひなぎく(Sedmikrásky)』(1966)
価値観そのものを破壊する映像。
チェコ・ヌーヴェルヴァーグは革命映画ではない。
叫ばない。
扇動しない。
ただ、日常をずらす。
それだけで体制は揺らぐ。
5|1968年の断層
プラハの春。
侵攻。
作家の一部は国外へ。
制作本数は急減しない。
しかし空気は変わる。
数字に出ない断層。
6|幻想の系譜
戦前に整備された制作基盤は、
戦後、独自の幻想映画へと接続する。
その代表的存在が、
カレル・ゼマン
代表作:
『前世紀探険(Journey to the Beginning of Time)』(1955)
『ほら男爵の冒険(The Fabulous Baron Munchausen)』(1962)
実写とアニメーション、特撮の融合。
量ではなく想像力。
チェコは巨大市場ではなく、
幻想で記憶に残る。
7|1989年以降
ビロード革命。
1993年、分離。
市場経済へ移行。
制作は一時的に減少するが、
EU圏再編とともに回復する。
通史として見えるもの
チェコは
帝国
独立
占領
社会主義
抑制
市場化
をすべて経験した。
その中で映画は止まらなかった。
国家は揺れる。映画は続く。
小国は壊れやすい。
だが柔軟でもある。
映画史を辿っているはずなのに、見えてくるのは国家の輪郭である。
