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🎥『国別映画史』18 イラン

【イラン-世俗化する都市と二層構造の映画(1900-1979)】

イラン映画は宮廷から始まる。

そして都市で拡張する。

1979年、制度は断絶する。

だが映画そのものは消えない。

本章は1900年前後の初上映から1979年革命までを扱う。


0|制作本数という前提

※本章の制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算。

制作規模(概算)

1900–1920年代:制作ほぼゼロ(上映中心)
1930年代:年間数本規模
1940年代:年間5~10本規模
1950年代:年間20本前後
1960年代:年間40~60本規模
1970年代前半:年間70~100本規模
1979年:革命で急減

爆発ではない。

だが1970年代には中東最大級の生産規模となる。


1|宮廷導入(1900年)

1900年、カージャール朝の王が欧州で映画を観る。

帰国後、テヘランで上映開始。

映画は民衆より先に国家上層に入る。

導入は国家主導。

産業は未成熟。


2|最初の長編と海外制作

1933年、『ロル族の娘(Lor Girl)』
※原題:Dokhtar-e Lor

インドで撮影されたペルシア語トーキー。

国内技術基盤が弱く、海外制作。

市場は存在する。

だが設備がない。


3|パーレビ国王期の都市と映画館

(パフラヴィー朝)

1925年以降、パーレビ国王のもとで近代化政策が進む。

都市部は急速に西洋化。

1960–70年代のテヘランには数百館規模の映画館。

年間数百本の外国映画が流入。

主な供給源:

  • ハリウッド

  • イタリア

  • フランス

  • インド

外国映画は基本的にペルシア語吹替。

識字率と市場性の問題から字幕は限定的。

宗教は社会に存在する。

だが都市文化空間は世俗的。

ここに二重構造がある。


4|商業映画「フィルムファルシ」

1950年代以降、娯楽映画が量産される。

内容は:

  • 恋愛

  • 階級差

  • 家族

  • 音楽

  • アクション

スター中心市場が観客基盤を形成。


5|イラン・ニューウェーブ(1960年代後半)

1969年、『牛(The Cow)』
※原題:Gāv

監督:ダリウシュ・メフルジュイ

欧州の影響:

  • ヴィットリオ・デ・シーカ
    『自転車泥棒(Bicycle Thieves)』

  • ロベルト・ロッセリーニ
    『無防備都市(Rome, Open City)』

  • ジャン=リュック・ゴダール
    『勝手にしやがれ(Breathless)』

特にイタリア・ネオレアリズモとの接続が顕著。

商業映画と並行して、もう一つの層が形成される。

ここでイラン映画は二層構造となる。


6|女性像とスクリーン

1970年代の都市映画には:

  • ミニスカート

  • ダンスシーン

  • ナイトクラブ

が登場する。

宗教社会の中に、世俗的都市文化が共存していた。

社会は均一ではない。


7|輸入映画の影響

1960–70年代、

ハリウッド大作は同時期上映。

イタリア西部劇も人気。

インド映画も一定の存在感。

イラン市場は閉じていない。

映画的には西側文化圏と接続している。


8|1979年

革命。

制作本数急減。

制度再編。

本章はここで止める。

※冒頭のAI生成画像は1970年前後のテヘラン周辺の都市風景


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