🎥『国別映画史』13 ポーランド
【ポーランド-消える国家と残る映画(1896-1949)】
ポーランドは20世紀初頭、国家を持たなかった。
1795年以降、ロシア・プロイセン・オーストリアに分割されていた。
国家なき民族。
そこに映画が入る。
0|制作本数という前提
※本章の制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算である。
制作規模(概算)
1900年代:10年間で数本
1910年代:10年間合計で10~20本
1920年代:年間20本前後
1930年代:年間30本前後
1939–45年:占領下で壊滅
1945–49年:再建期(年間10~20本規模)
量は中規模。
ここで重要なのは国家の消滅と再建の中で映画がどう機能したか。
1|最初の上映(1896)
1896年、ワルシャワ。
リュミエール兄弟の作品が上映される。
ポーランドは上映受容が早い。だが制作はまだ外国資本主導。映画はまず「外から来る近代」である。
2|国家なき制作(1910年代)
第一次世界大戦期。
分割統治下で制作が始まる。民族的主題、歴史劇、文学原作。
映画は“民族記憶の保持装置”として機能する。
国家がないからこそ、
映画が仮の国家空間になる。
3|揺れる境界と東欧ユダヤ文化圏
ポーランドの地層を語るとき、
無視できない文化圏がある。
19世紀末、ロシア帝国の「居住区域(Pale of Settlement)」に広がった
東欧ユダヤ社会である。
この一帯は
ポーランド
リトアニア
白ロシア(現在のベラルーシ)
ウクライナ
が重なり合う揺れる境界地帯だった。
帝政ロシア支配下のウクライナ地方を舞台にした
屋根の上のバイオリン弾きが描く世界は、
この地層と連続している。
国家が動き、
国境が変わり、
言語(イディッシュ)が持続する。
東欧ユダヤ人の多くはポーランド=リトアニア共和国の歴史圏に属し、
分割後にロシア帝国へ組み込まれた。
国家が揺れる場所では、
民族と記憶が移動する。
この地層は後に
ハルビンや上海、さらにはアメリカへと拡散する。
ポーランドの映画史は、
こうした「移動する民族記憶」の地理とも接続している。
4|1918年:独立と映画国家
1918年、ポーランド独立。
ここから制作が安定。
1920年代は国家再建期。
歴史叙事映画
農村ドラマ
都市メロドラマ
映画は国民統合装置となる。
5|1930年代:緊張の増大
ドイツとソ連に挟まれた地政学的緊張。
1930年代制作は増加。
だが国家は不安定。
映画は娯楽と愛国心を両立させる。
6|1939年:壊滅
ナチ・ドイツとソ連が侵攻。
ポーランド国家消滅。
映画制作ほぼ停止。
ドイツ占領下では宣伝映画が制作されるが、民族映画は地下へ。
映画は“不在”の時代に入る。
7|地下文化と記録
ワルシャワ蜂起(1944)。
記録映像が残る。
映画は国家がない状況でも民族記憶を保持する。
ここがポーランドの特異点。
8|戦後:国有化と再建(1945–49)
1945年、ソ連影響下で再建。
映画産業は国有化。
だがソ連とは違う。
カトリック文化と社会主義体制の緊張。
国家は再び映画を装置化するが、完全な理論国家にはならない。
9|字幕文化圏という構造
ポーランドは基本的に字幕文化圏である。
外国映画は吹替より字幕で受容される。
理由は三つある。
1|市場規模が中規模であること
2|言語的独立性が強いこと
3|国家に支配されながらも、言語を守る歴史を持つこと
吹替は「国家が声を置き換える」行為である。
字幕は「原音を残しつつ翻訳を重ねる」行為である。
国家が何度も消えた国において、
他者の声を完全に消す文化は定着しなかった。
ポーランド映画文化は、
外来映画を
“書き足す”が“置き換えない”
という方法を選んだ。
これは偶然ではない。
国家が不在でも言語は残る、
という歴史の反映である。
10|ポーランド派への前史
1949年以降、映画学校設立。
1950年代、
アンジェイ・ワイダ
アンジェイ・ムンク
が登場。
戦争の記憶を描く。
ポーランド映画は
“国家に従いながら国家を批評する”
構造を持つ。
11|ズラウスキーへの接続
アンジェイ・ズラウスキーは
国家体制と対立し、フランスへ亡命。
代表作:
『夜の第三部分』(Trzecia część nocy, 1971)
『悪魔』(Diabeł, 1972)
抑圧的国家、暴力、宗教的象徴。
ポーランド映画は
常に「国家と個人の亀裂」を描く。
ズラウスキーはその極端な表現者。
ここにポーランド映画の長い地層がある。
ポーランドの意味
ポーランドは
国家が消え
独立し
再び消え
再建され
統制され
批評を生んだ
国家である。
映画はここで
民族記憶装置
地下文化装置
国家批評装置
となる。
そして字幕文化という形で、
他者の声を消さずに重ねる。
映画は光でできている。
ポーランドでは、その光は何度も消え、それでも再点灯された。
