見出し画像

🎥『国別映画史』09 インド

【インド-神話・市場・国家以前の巨大映画圏(1896-1945)】

映画はフランスで興行として成立した。
アメリカで産業になった。

だが、インドでは――

ボンベイ。
カルカッタ。
マドラス。

都市が先に動いた。

国家が整う前に、
映画圏が巨大化した。


0|最初の上映(1896)

1896年7月7日、ボンベイ。

リュミエール兄弟の作品が上映される。

これはヨーロッパ外では最初期の上映の一つである。

インドは「映画後進地域」ではない。
導入は極めて早い。

ここから約半世紀で、世界最大級の制作本数国家へ成長する。


1|制作本数という前提

※この制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算。
※年代別数値は基本的に「10年間合計」を示す。

制作規模(概算)

  • 1910年代(合計):数十本規模

  • 1920年代(合計):約1,000本前後

  • 1930年代(合計):約2,000本超

  • 1940年代前半(年平均):年間150~200本規模

1930年代の時点で、インドはアメリカに匹敵、
あるいは時期によっては上回る制作本数国家になる。

だが、ハリウッド型スタジオ集中ではない。

分散型・言語多様型・地域市場型である。


2|1913年:最初の国産長編

1913年、ダーダーサーヘブ・ファールケ
『ラージャー・ハリシュチャンドラ』。

インド初の長編劇映画。

題材はヒンドゥー神話。

ここで重要なのは、

映画が最初から神話を選んだこと。

インド映画は誕生時から
宗教・物語・視覚の統合装置だった。


3|無声期:神話と歴史

1910年代~20年代。

制作は急増。

内容は主に:

  • 神話劇

  • 歴史叙事

  • 道徳寓話

識字率の低い社会で、映画は視覚説話装置として機能する。

ソ連が教育装置化したなら、
インドは物語装置化した。


4|1931年:トーキー革命

1931年、『アーラム・アーラー』。

インド初のトーキー。

ここで決定的なことが起きる。

歌が入る。

音楽が入る。

踊りが入る。

インド映画は「歌う映画」になる。

これは偶然ではない。

言語が多様な国家で、
音楽は越境媒体になる。

ヒンディー、タミル、テルグ、ベンガル。

映画は多言語国家の統合市場となる。


5|植民地と市場

この時代、インドは英領植民地。

国家主権はない。

だが映画市場は拡大する。

イギリスは直接的な強制検閲を行うが、
ハリウッドほど制度的統制は強くない。

結果として:

  • 商業自由度は比較的高い

  • 神話は政治回避の安全地帯になる

  • 物語の中に民族感情が潜む

国家がない状態で、
映画は準国家的市場を形成する。


6|スターと都市

1930年代、スター制度が形成。

都市ボンベイ(後のムンバイ)が中心化する。

だが、ハリウッド型の垂直統合ではない。

地域産業が並立する。

  • ボンベイ

  • カルカッタ

  • マドラス

分散型映画国家。

これがインドの特徴。


7|政治と民族意識

1930年代後半。

民族運動が活発化。

ガンディーの非暴力運動。

映画は直接政治を語らない。

だが、

  • 神話の中の王

  • 圧政に抗う英雄

  • 正義の復権

これらは民族的寓意となる。

インド映画は
露骨なプロパガンダよりも、物語的転写を選ぶ。


8|戦争と拡大

第二次世界大戦期。

英軍の兵站拠点としてインドは重要になる。

映画需要は増大。

1940年代前半、年間150~200本規模。

世界最大級の制作体制が確立する。

国家はまだ独立していない。

だが映画市場は巨大である。


9|1947年を前に

本章は1945年で区切るが、

その2年後、1947年に独立。

だが既にインド映画は、

国家より先に

文化的統合圏

を作っていた。


インドの意味

インドは

  • 導入が早い

  • 神話から始まる

  • 歌と踊りで拡張する

  • 分散市場型

  • 植民地下で巨大化する

という特殊な映画国家である。

アメリカが制度で拡大し、
ソ連が理論で拡大し、
ドイツが国家美学で統制し、

インドは

物語と音楽で市場を作った。

映画は光でできている。

だがインドでは、

光は歌い、踊り、語った。

国家が整う前に、
映画圏が整っていた。


追補|21世紀の日本でマサラ

1990年代後半、日本。

インド映画の上映で、観客が立ち上がり、踊り、声を上げる。

“マサラ上映”という形式が生まれる。

だが本稿で見た通り、歌と踊りは1931年から構造化されていた。

日本で「過剰」に見えたものは、インドでは標準だった。

1998年、日本。

タミル語映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』公開。
主演はラジニカーント

当初はミニシアター公開。
だが口コミで拡大。

インド映画は日本で“再発見”される。

重要なのはここである。

日本の観客が驚いたのは、

歌い、踊り、感情が爆発する

その様式。

だがそれは、1931年のトーキー革命以降、
一貫して続いてきた形式だった。

つまり――

21世紀日本で「新しい」と見えたものは、
インドでは長く持続してきた映画制度の結果である。

国家より先に整った映画圏は、
世紀を越えて観客を巻き込む。


国別映画史 一覧サイトへ


【▲ヘザー落合のNote案内所】

いいなと思ったら応援しよう!