「夏の海が見たい」だけで訪れた、茅ヶ崎ひとり旅
「夏の海が見たい」
この夏にやりたいことを考えたら、まっさきに浮かんだ願望だった。
春でも秋でも冬でもなくて。夏にしかない海の風景というものがある。
潮の香りが強くただよい、ビーチには海の家が並ぶ、照りつく太陽のように明るい海の風景。

私が「夏の海」と聞いて思い浮かぶのは、鎌倉の海だ。
7~8年前に訪れた鎌倉で、海沿いに腰かけて夕日が沈むまでぼんやりと海を眺めていたときの、風景と時間の流れが忘れられない。一人ひとりが、思いのままに自分が心地よいと思える時間を過ごしているような雰囲気。夕日が沈みきった後も、その余韻の中でしばらく立ち上がることがきなかったほどに、私は鎌倉の海の風景に心を奪われたのだった。
季節が巡り毎年夏がやってくると、猛烈にあの、心を奪われた夏の海の風景に会いたくなる。昼間の青々と煌く海と、夕方の輝く黄金のような光をまとった海と。やっぱり、海がそばにある街はいいなぁと、海がすぐそばにある街で暮らすことを夢見ていた。
「夏の海が見たい」という気持ちだけで、茅ヶ崎へ
「夏の海が見たい!」という衝動にも似た気持ちだけで、海の街へのひとり旅を決行した。
はじめは鎌倉に行こうと思っていたが、せっかくだし訪れたことのない街、そして観光地よりもふつうの人たちが暮らしているような街の海の風景をこの目で感じたい、と考えて、茅ヶ崎を訪れることにした。

駅前はどこか懐かしい雰囲気だった。

路地のお店が元気な街が好きだ。

海の街を訪れる中で、この瞬間が一番うれしい。

心まで丸く穏やかにさせる効力があると信じている。

海のそばで暮らす人の日常を垣間見る。

海を眺めながらいただく。


青々とした海が忘れられない…。

いただいた茅ヶ崎ビール。


好きな時間を旅先で作ることの意義を考える。

一つひとつ叶えてあげたい。

「CRAYD BOOKS & COFFEE」さんへ。

まさに宝箱のような本棚だった。

とても居心地いい空間だった。だから本屋が好き、がつまった空間。

紹介された、茅ヶ崎駅まで続く道を歩く。


空を見上げながら考える。
誰かの暮らしを通して自分を見つめる非日常の旅
毎日同じような日々が続いていくと、このままもずっと何も変われないような、味気ない日々を過ごすしかないような、そんな気がしてくる。窮屈で満たされなくて何か変えたいけれど変える勇気もなくて、そんな沈む気持ちがたまに突如としてやってくる。

そんなときに効力となるのが、非日常へと足を一歩踏み入れることのできる、旅という存在だ。
旅は、誰かの暮らしを通して、自分の暮らしを見つめ直すきっかけとなるものであると信じている。観光スポットに遊びに行かずとも、その街で暮らす人々の行動を眺めているだけで暮らしへの立派な刺激となり、それが旅となる。
はじめて訪れた茅ヶ崎は、人々の暮らしの観察がしがいのある街だった。
自転車で海に向かって走っていく人たちはみな、自転車にサーフボードを取り付けている。きまってみんな肌が小麦色に焼けていてヘルシーで(日傘をさして歩いている人は私だけだった)、たまに上半身裸のおじちゃんがそこら辺をふつうに歩いている。サーフィンをする人だけでなく、海沿いを走る人や海を眺めながらトランペットを吹く人、イヤホン越しに誰かと通話している人もいる。
私が知らないだけで、こんな暮らしがあるんだ、と驚きたくなる気持ちが湧き上がる。自転車で海に行き、サーフィンをする。それを日常としている人がいるなんて考えられない、と。
そうやって旅先で目にする誰かの暮らしを通して、自分の暮らしについても見つめてみる。サーフィンはできないが、朝の時間で琵琶湖に行ってギターを弾くことくらいは習慣にできるかもしれない。ううん、そんな朝の習慣ができたら最高だ。好きなことを諦めない日々でありたいと、海のそばで暮らす人たちの存在が、改めてそう思わせてくれた。

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