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本胜寺の倉 【重史126】 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

【重史126】 『信長公蚘』 

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 信長の甲斐䟵攻 光秀ず長宗我郚元芪 本胜寺ぞの道      
→その䞀因 目次倧 抂説倧 目次䞭 →
 時代の颚朮 光秀ずいう男 光秀ず光慶 
 光秀の苊悩 志向の盞違  信長の油断 →
  ()光秀の玠性 ()光秀の幎霢 ()光秀の嫡男 
→芋えおきたもの 目次倧 目次䞭 240607 
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【重史126】 そ第11話②

①抑も、倧坂は、凡そ、日本䞀の境地なり。

②五畿䞃道こゝに集たり、売買利最、富貎の湊なり。

③家門長久の凊に、思はず、倩魔の所為来りお、

④爰に倧坂立ち初めお以来、四十九幎の春秋を送る事、

                       『信長公蚘』

 倩正八幎、八月二日。              158000802

 石山本願寺は、䞊町台地の北端郚分にあった。
  䞊町台地は、倧阪平野の䞭倮郚を、南北に、现長くのびる台地である 。

  長さは、凡そ。
  北は、倧阪城公園。
  倩守閣跡が、最高地点 (暙高) 。
  公園の䞀角に、「石山本願寺掚定地」の石碑がある。
  そこから、ゆるやかに䞋り぀。
  南は、䜏吉倧瀟のあたりたで (暙高) 。

  幅は、東西、凡そ。
  その先、
  西は、海ぞ。
  同、
  東は、しばらく、䜎地平地が぀づき、埐々に高床を䞊げながら、
  やがお、生駒の山䞊みに。
  すなわち、その断面は、凞型ずなる。

  石山本願寺から、瀬戞内海がよく芋えた。
  石山本願は、この台地の、北端の、最䞊段にあった。
  したがっお、遮るものは、䜕もない。
  芋晎らしがいい。
  「海が芋える」、のである。
  䞭囜・四囜・九州ぞず぀づく、瀬戞内の「海」が・・・・・。

  ずなれば、
  石山本願寺は、西囜ぞ぀づく海の玄関口。
  そう、いうこずなる。
  これこそ、信長の望むずころ。

  信長は、倧いに気に入っおいた。
  そう、思う。

  倪田牛䞀は、その立地を絶賛しおいる 。
  以䞋、「日本䞀の境地」「舟の通ひ」「倧河の流れ」「滄海挫々」
  「唐土・高麗・南蛮の舟」「五畿䞃道」「売買利最」「富貎の湊」
  「甍を䞊べ」「犏裕の煙」等々、耒め蚀葉が䞊ぶ。

  倧坂は、日本で最も繫栄し、豊かなずころ。

   抑(そもそ)も、
   倧坂は、凡そ、日本䞀の境地なり。
   其の子现は、奈良、堺、京郜に皋近く、

   殊曎、
   淀・鳥矜より、倧坂城戞口(きどぐち)たで、
   舟の通ひ盎(すなお)にしお、
   四方に節所を拘(かか)ぞ、

   北は、
   賀茂川・癜川・桂川・淀・宇治の倧河の流れ、幟重ずもなく、
   二里、䞉里の内、䞭接川・吹田川・江口川・神厎川、匕き廻し、

   東南は、
   尌䞊ケ嵩(たけ)・立田山・生駒山・飯盛山の、
   遠山の、景気を芋送り、
   麓は、
   道明寺川・倧和川の流れに新ひらき淵、立田の谷氎、流れ合ひ、
   倧坂の腰たで、䞉里四里の間、
   江ず川ず、぀ゞひお、枺々(びょうびょう)ず、匕きたはし(果おしなく
   広がり)、

   西は、
   滄海挫々ずしお、日本の地は申すに及ばず、
   唐土・高麗・南蛮の舟、海䞊に出入り、

   五畿䞃道こゝに集たり、
   売買利最、富貎の湊なり。

   隣囜の門家、銳せ集たり、加賀囜より城䜜りを召し寄せ、
   方八町に盞構ぞ、真䞭に高き地圢あり。

   爰(ここ)に、䞀掟氎䞊の埡堂をこう々々ず建立し、
   前には、池氎を湛(たた)ぞ、䞀蓮蚗生の蓮を生じ、
   埌には、匘誓(ぐぜい)の舟うかべ、仏前に光明を茝やかし、
   利剣即是の名号は、煩悩賊の怚敵を治し、仏法繁昌の霊地に圚家(ざい
   け)を立お、
   甍(いらか)を䞊べ、軒を継ぎ、犏裕の煙厚く、
   遍(ひずえ)に、歀の法を尊み、
   遠囜波島より、日倜朝暮、仏詣の茩、道に絶えず。
                           (『信長公蚘』)

  石山本願寺は、信長の軍門に䞋った。

   家門長久の凊に、思はず、倩魔の所為(しょい)来りお、
   信長公、䞀幎、野田・犏島埡詰め候を (元亀元幎) 、

   (本願寺は)萜去候おは、倧坂手前の儀ず存知、
   長袖の身ながら、䞀揆蜂起せしめ、

   (信長は)通路、盎(すなお)ならざるの凊、
   其の時、野田・犏島の埡人数、埡匕き取り候ひキ(撀退させた)。

   (信長は)其の遺恚おがしめし忘れられざるの故か。
   既に、五ケ幎以前の倏 (倩正四幎) 、
   圓寺、参詣の茩(ずもがら)を掚し止められ、

   剰(あた぀さ)ぞ、
   埡敵を䞀分に捕ぞ、諞口を取り詰め、
   倩王寺に至぀お、
   原田備䞭(盎政に)、盞(あい)、城を申し付けられ候(築城を呜じた)。

   (本願寺は)埡普請、銖尟なき以前(出来䞊がる前に)ず存じ、
   即時に、䞀揆を催し、倩王寺ぞ差し懞け、䞀戊を遂げ、
   原田備䞭・塙喜䞉郎・塙小䞃郎・簑浊無右衛門を初めずしお、
   歎々蚎ち捕り、其の競ひに倩王寺ずり巻き候ずころ、

   信長、埡埌詰ずしお、無勢を以お埡動座なさる。
   其の日、䞡床、埡合戊に及ばれ、
   䞡床ながら、
   倧坂、合戊に打ち負け、数倚蚎死させ、
   誠に、倧軍を以お、小敵の擒(ずりこ)ずなる事、無念の次第なり。

   䜵(しか)しながら、
   末法の時到぀お 、
   修矅闘諍(しゅらずうじょう)の瞋恚(しんい)を発し、
    信長ずの戊いに、闘争心が激しく燃え䞊がり

   カ及ばずながら、
   倧坂も、
   こう接・䞞山・ひろ芝・正山を始めずしお、
   端城、五十䞀ケ所申し付け、楯籠り、
   構ぞの内にお、五䞇石所務臎し、

   運を倩道に任せ、
   五ケ幎の間 、時節を盞守るず雖も、
    倩正四幎倩正八幎の五幎間、守り通しお来た
     けれども

   身方は、日々に衰ぞ、調儀・調略、盞叶はず。

   信長、埡嚁光、盛んにしお、諞囜䞃道、埡無事なり。

   歀の䞊は、勅呜ず云ひ、埡道理は違はずず云ひ、
   退城仕るべきず、肯じ申し候。  
                           (『信長公蚘』)

  創山以来、四十九幎にしお、この地を去る。

   爰に倧坂立ち初めお以来、四十九幎の春秋を送る事、
   昚日の倢のごずく、
   䞖間の事盞を芳ずるに、生死の去来、
   有為転倉(ういおんぺん)の䜜法は、電光朝露のごずく、
   唯、䞀声、称念の利剣(念仏を唱えるこず)、
   歀の功埳(くどく)を以お、
   無為涅槃(むいねはん)の郜(あの䞖)に至らんにはしかじ。

   然りず雖も、今、故郷離散の思ひ、䞊䞋已(すで)に涙に沈む。
                           (『信長公蚘』)

  信長は、石山本願寺に入城する぀もりだった。

   然うしお、倧坂退城の埌、
   頓(やが)お、信長公、埡成りあ぀お、歀の所、埡芋物なさるべく、
   其の意を存知、端々、普請掃陀申し぀け、
   面(おもお)には匓・鎗・鉄炮等の兵具、其の員(かず)を懞け䞊べ、
   内には資財雑具を改め、あるべき躰(おい)を結構に食り眮き、
   埡勅䜿、埡奉行衆ぞ盞枡し、
                           (『信長公蚘』)


  【匕甚】 そ第11話②



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