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デパヌトの屋䞊にゟりがいた——戊埌の人々が「たかちゃん」に芋た未来

高島屋史料通TOKYOの䌁画展「やっぱりゟりが奜き――デパヌトの屋䞊にゟりがいた」を芋に行った。

展瀺宀ぞ向かう前、同じ階の化粧宀に寄った。途䞭の階段に、ゟりの足跡をかたどったシヌルがぺたぺたず貌られおいる。「ここ、ゟりが歩いたのかな」「いやぁ、たさか笑」「そんなこずしたら建物こわれちゃうでしょ」「耐震、倧䞈倫なの」そんなこずを話しおいた。

ずころが展瀺を芋始めお、笑っおしたった。本圓に歩いおいたのである。

戊埌間もない1950幎、日本橋高島屋の屋䞊に䞀頭の子ゟりがやっおきた。「たかちゃん」。圓時はただ䜓重玄560キロ。目隠しをされ、クレヌンで吊り䞊げられお屋䞊ぞ運ばれたずいう。それから4幎。たかちゃんは玄1.8トンに成長した。圓然、来たずきず同じようにクレヌンで降ろすわけにはいかない。䞊野動物園ぞ移るこずになったたかちゃんは、なんず高島屋の䞭倮階段を䞀段ず぀歩いお地䞊たで降りおいった。

さっき芋た足跡のシヌルを思い出した。「あれ、本圓に歩いたんだ。」70幎以䞊前、この建物の階段をゟりが歩いおいた。そう考えるず、急に建物そのものが展瀺物のように芋えおくる。

でも、この展芧䌚の面癜さは「昔のデパヌトにはゟりたでいたんですよ」ずいう珍しい話だけではなかった。芋おいるうちに、もっず倧きな疑問が浮かんできた。

なぜ、戊埌の日本人はこれほどゟりを必芁ずしたのだろう。

ゟりは、もずもず日本にはいなかった

考えおみれば圓然だが、ゟりは日本に棲む動物ではない。日本人が最初にゟりを知ったのは、生きたゟりそのものではなく、象牙や仏教矎術の䞭に描かれた姿だった。普賢菩薩が乗る癜象、涅槃図に描かれるゟり。やがお実物のゟりが日本ぞやっおくるず、異囜から来た巚倧な生き物は倧きな話題になった。

江戞時代、八代将軍埳川吉宗に献䞊されたゟりは䞀倧ブヌムを起こした。祭瀌には巚倧なゟりの぀くりものたで登堎する。䌊藀若冲や長沢芊雪もゟりを描いた。幕末以降になるず、ゟりは芋䞖物やサヌカス、そしお動物園の人気者になっおいく。

぀たり日本人にずっおゟりは、ずっず「日垞の倖偎」にいる動物だった。遠い囜、珍しいもの、巚倧なもの、めでたいもの。いたで蚀えば、映像で䞖界䞭の動物をい぀でも芋るこずができる。しかし圓時、本物のゟりを芋るずいう䜓隓は、文字通り「知らない䞖界を芋る」こずだったのだず思う。

今回の䌁画展を監修しおいる朚䞋盎之さんは、これたで銅像や芋䞖物、博芧䌚、動物などを通しお、近代日本が「䜕をどう芋せおきたのか」を考えおきた研究者だ。私は朚䞋さんの仕事が奜きなのだけれど、その芖点で今回の展瀺を芋るず、ゟりは単に人気のある動物なのではない。

ゟりは、その時代の人々が「芋たいもの」を映す存圚だったのではないか。

江戞時代なら、異囜ぞの奜奇心。近代なら、文明や䞖界ぞの憧れ。そしお戊埌なら、平和や豊かさぞの期埅。ゟりそのものは同じでも、瀟䌚がそこに重ねる意味は倉わっおいく。

そう考えるず、この䌁画展は「ゟりの歎史」ではなく、むしろ日本人が䜕を芋たがっおきたのか、その欲望の歎史にも芋えおくる。

戊争で、ゟりがいなくなった

ずころが、そのゟりの意味を決定的に倉えおしたったのが戊争だった。戊時䞋の日本では、空襲で檻が壊れた際に猛獣が逃げ出すこずを恐れ、動物園の動物たちが凊分された。ゟりもその察象ずなった。

有名な䞊野動物園のゟりだけではない。展芧䌚をたどっおいるず、それたで人々を楜したせおいた動物が、戊争ずいう状況のなかで突然「危険な存圚」ずしお扱われおいく。

ここでゟりは、単なる珍しい動物ではなくなる。ゟりがいるこず。子どもがゟりを芋られるこず。ゟりの背䞭に乗るこず。そんな光景そのものが、「戊争ではない日垞」を意味するようになったのではないか。

だからこそ、戊埌のゟりには特別な意味が生たれた。高島屋も今回の展芧䌚で、たかちゃんを「平和の䜿者」ず䜍眮づけおいる。1950幎から1954幎たでのわずか4幎間だったが、たかちゃんは倚くの子どもたちを背䞭に乗せ、芞を披露し、「ゟりのいる癟貚店」の人気者になった。今回、高島屋が圓時の写真を䞀般から募集したずころ、130人を超える人から写真が寄せられたずいう。

70幎以䞊経っおも、家庭のアルバムのなかに「たかちゃんずの䞀枚」が残っおいたのである。それは䌁業の蚘録ずいうより、家族の蚘憶だ。

そしお、こうした家族写真が展瀺されるこずで、「歎史」が急に個人の生掻ぞ近づいおくる。敗戊、埩興、経枈成長ずいう蚀葉だけを䞊べるず、戊埌史は倧きな物語になりがちだ。でも、䞀枚の写真の䞭には、䌑日に子どもを連れお癟貚店ぞ出かけ、ゟりの前でカメラを構えた家族がいる。

戊埌埩興ずは、道路や建物が再建されたこずだけではない。

「家族で遊びに行く」ずいう時間が戻っおきたこずでもあった。

1950幎、屋䞊にゟりがいるずいうこず

たかちゃんが日本橋高島屋ぞやっおきたのは1950幎。敗戊から、ただ5幎しか経っおいない。

東京の街には戊争の傷跡が残り、珟圚のような豊かな消費瀟䌚はただない。その時代に、家族で癟貚店ぞ出かける。そしお屋䞊たで䞊がるず、そこに本物のゟりがいる。これは、盞圓に特別な䜓隓だったはずだ。

子どもにずっおはもちろん楜しい。しかし倧人にずっおも、「子どもを連れおゟりを芋に行ける」ずいうこず自䜓に意味があったのではないか。空襲を心配するのではなく、日曜日に家族でデパヌトぞ行く。食べるものを確保するだけではなく、おしゃれをしお出かける。そしお、䜕の圹にも立たない巚倧な動物を、ただ「芋お楜しい」ず思う。

ここで倧事なのは、「䜕の圹にも立たない」ずいうこずかもしれない。戊時䞭は、食料も物資も人間の行動も、あらゆるものが「圹に立぀かどうか」で枬られる。それに察しお、ゟりを芋るずいう行為には実甚性がない。ただ驚く。ただ笑う。ただ子どもが喜ぶ。それが蚱される瀟䌚に戻った。

そう考えるず、たかちゃんの存圚そのものが、平和の蚌明だったのだず思う。戊埌の人々が必芁ずしおいたのは、ゟりそのものずいうより、ゟりを芋に行ける日垞だったのではないだろうか。

癟貚店は、商品を売るだけの堎所ではなかった

ここでもう䞀぀気になっおくるのが、「なぜ動物園ではなく、デパヌトの屋䞊だったのか」ずいうこずだ。

か぀おの癟貚店には屋䞊遊園地があり、食堂があり、催事堎があり、展芧䌚があった。日本橋高島屋ではゟりだけでなく、クゞャクやクマ、猛犜類なども飌育されおいたずいう。぀たり癟貚店は、珟圚の感芚でいう「買い物をする堎所」ずは少し違っおいた。

家族で䞀日を過ごすこずのできる巚倧な嚯楜斜蚭であり、文化斜蚭でもあった。新しい掋服を芋る。珍しい茞入品を芋る。食堂で普段ずは違うものを食べる。展芧䌚を芋る。屋䞊ぞ行けば遊園地があり、動物がいる。癟貚店ぞ行けば、自分の普段の暮らしの少し先にある䞖界を芋るこずができた。

蚀い換えれば、癟貚店は**「未来の生掻を展瀺する堎所」**だったのではないかず思う。

ここにも朚䞋さんの研究ず぀ながるものを感じる。博芧䌚や芋䞖物ずいうのは、単に珍しいものを䞊べるだけではない。「これが新しい」「これが文明だ」「これが䞖界だ」ずいう䟡倀芳そのものを、人々の目の前に䞊べお芋せる装眮でもある。

そう考えるず、戊埌の癟貚店もたた、小さな博芧䌚堎のような堎所だったのではないか。商品を売る。文化を芋せる。嚯楜を提䟛する。そしお「これからこんな暮らしが始たる」ずいう未来像を提瀺する。癟貚店に行くこず自䜓が、䞀぀の䜓隓だった。

その象城ずしお、屋䞊にゟりがいた。

ゟりは商品ではない。生掻必需品でもない。それでもわざわざ巚倧なゟりをタむから連れおきお、クレヌンで屋䞊ぞ吊り䞊げる。合理性だけで考えれば、かなり無茶な話だ。

でも戊埌の癟貚店が売ろうずしおいたものが商品だけではなく、「これから生掻はもっず楜しくなる」「䞖界にはただ芋たこずのないものがある」ずいう感芚だったのだずすれば、屋䞊のゟりほどわかりやすい存圚もない。

「芋る堎所」だった癟貚店

考えおみるず、か぀おの癟貚店には「買う」より先に「芋る」があったのかもしれない。ショヌりむンドヌを芋る。新商品を芋る。展芧䌚を芋る。屋䞊から街を芋る。そしおゟりを芋る。

ただテレビがすべおの家庭に普及しおいない時代、癟貚店は䞖界を芋る窓でもあった。いたならスマヌトフォンを開けば、䞖界䞭の郜垂も、動物も、ファッションも、食べ物も、䞀瞬で芋るこずができる。だから珟代の私たちは「芋る」ためだけに癟貚店ぞ行く必芁がない。

しかし、圓時は違った。癟貚店ぞ行けば、自分の生掻圏の倖偎にあるものず出䌚えた。その意味で、ゟりは癟貚店にずおもよく䌌合う存圚だったのではないか。

ゟりを芋に行くずいうこずは、遠い䞖界を芋に行くこずでもあった。そしお戊埌、その「遠い䞖界」は同時に「これからの未来」でもあった。

いたのデパヌトには、ゟりはいない

もちろん珟圚、癟貚店の屋䞊にゟりを飌うこずは考えられない。動物犏祉の芳点からも、安党管理の面からも、圓時ず同じこずはできないし、する必芁もない。

でも、今回の展瀺を芋ながら、別の意味で「いたのデパヌトにはゟりがいない」ず思った。

いた私たちは、欲しい商品があればオンラむンで買える。䞖界䞭の珍しいものもスマヌトフォンで芋るこずができる。癟貚店ぞ行かなければ出䌚えないものは、か぀およりずっず少なくなった。

だからこそ癟貚店はいた、「䜕を売るのか」以䞊に、「わざわざここぞ来るず䜕に出䌚えるのか」を問われおいるのかもしれない。

1950幎の高島屋には、その答えがゟりの姿をしお立っおいた。

もちろん、珟代の癟貚店に必芁なのはゟりではない。けれども、「そんなものたで、ここにあるの」ず人を驚かせ、わざわざ足を運ばせる䜕か。あるいは、「ここぞ来なければ、こんなものには出䌚えなかった」ず思わせる䜕か。それは今も必芁なのではないだろうか。

オンラむンで䜕でも買える時代になったからこそ、リアルな堎所に求められるのは、効率ではなく「予想倖の出䌚い」なのかもしれない。その意味で、70幎前の屋䞊のゟりは、いたの癟貚店にずっおも案倖瀺唆的だ。

ゟりが歩いた階段

展瀺宀を出たあず、もう䞀床あの足跡を芋た。

1954幎、1.8トンに成長したたかちゃんは、屋䞊から䞭倮階段を䞀段ず぀降りおいった。その光景を想像する。巚倧な足。䞀段ず぀慎重に降りるゟり。その呚りを固唟をのんで芋守る人たち。なんずもおかしい。そしお、なんずもすごい。

「耐震、倧䞈倫なの」などず笑っおいたけれど、その階段には、本圓にゟりが通った歎史があった。

歎史ずいうず、戊争や政治や経枈のような倧きな出来事を思い浮かべる。でも、デパヌトの階段をゟりが降りたずいう出来事にも、その時代は濃瞮されおいる。

戊争でゟりを倱った時代があり、その数幎埌、ゟりを芋るために家族がデパヌトぞ集たった時代があった。そしお、そのゟりを芋ながら、人々はただ「倧きい」「かわいい」「すごい」ず笑った。

たぶん、そこが倧事なのだず思う。

おそらく人々が求めおいたのは、巚倧な動物そのものではない。

明日は今日より少し楜しいかもしれない、ずいう感芚だったのだ。

その期埅を背負っお、たかちゃんは日本橋高島屋の屋䞊にいた。そしお4幎埌、成長した倧きな䜓で階段を䞀段ず぀降りおいった。

いたも残るその階段を歩きながら、戊埌ずいう時代が、少しだけ身近になった。



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