【短編小説】お子さまランチ。(13)
話を最後まで聞いてしまった、聞いてしまったものの、次にどうしたらいいのだろう。ハナとユメがきょとんとした顔でだまりこくっているのを見て、うしのお母さんがクスクスと笑い始めた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさいね」
何がそんなにおかしいのか、お母さんの笑いは止まらなかった。笑っていた顔はだんだんと泣き顔へとかわり、おいおい泣きながら、クスクスと笑っている。
「いやあ、本当にわたしったら。こんなことまでしちゃって。あなたたちがやさしい女の子だからって、調子にのっちゃって」
泣くのも笑うのもおさまったうしのお母さんが、自分のほっぺたをペンペンと二回ほど手ではたいてから、ふたりの女の子に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。今の話はわたしのことじゃないんです。わたしがお世話になっていた、牧場のおかみさんの話です。いつも聞かされるものだから、とうとう覚えてしまって。息子の話をしようとしたら、つい口から溢れてしまったのです」
「じゃあ、作り話ってこと?」
「いえいえ、作り話ではありません。おかみさんにとっては本当の話です。ちなみに、おかみさんの息子はタケシって名前でした。わたしの初めての息子に牛太郎って名付けたのは本当です。それはわたしが自分一人でつけたんですよ。牛の場合、子どもを産み落としても、すぐに別の場所に連れていかれてしまうので、わたしは自分の子どもを育てたことがないのです」
お母さんの声はやさしい響きをもちはじめた。まるで子守唄のようだった。
「わたしたち乳牛は、子牛を生んでから初めて牛乳を体内でつくれるようになるんです。大体24ヶ月で、初めての出産をけいけんします。お腹の中で子どもが育つのに10ヶ月ほどかかるのは、人間の赤ん坊と同じです。一度出産すると、一年くらいはずっと牛乳を出しつづけることができます。13〜14ヶ月ごとに子牛を生みながら、牛乳を作りつづけて、5〜6年で肉用として、生命を終えます」
「たったの5〜6年?」
「ふつうなら20年は生きられるはずなのですが」
自分たちが毎日飲んでいる牛乳をつくってくれている乳牛が、自分と同じくらいの年齢でころされてしまっていたなんて。申し訳なくてふたりには返す言葉もない。
「息子はオスだったので、肉牛として育てられたのだと思います。生まれた時、子牛は平均35キロほどの体重です。すぐに初乳をのませます。それによって病気にかかりにくい体になるそうです。3ヶ月くらいはミルクで育てられ、4ヶ月で離乳です。その頃には85キロほどの大きさになっています」
うしのお母さんが自分の子牛に直接ミルクを与えるのは、ほんの初めだけで、あとは親子が顔を合わせることはないらしい。
「それ以降は、育成牛として育てられます。丈夫な体を作り、元気に育つことが最初の目標です。わたしたちの胃は人間とちがって4つあります。中でも一番大きくて、栄養を吸収する力のある第1胃(ルーメン)を強くするために、始めのうちは粗飼料(そしりょう)が与えられます」
粗飼料とは草や繊維質の多いエサのことで、食べたものを反すうするうしにとっては胃を丈夫に育てるための大切な食べ物らしい。
「10ヶ月もすると体重が300キロほどになります。ここからは美味しい牛肉になるための肥育が始まります。肥育の前半は、骨やルーメンを丈夫にするように育てられ、後半は赤い肉と肉のあいだに脂肪がついていくように太らせて、28〜30ヶ月で出荷体重780キロくらいになると、牛肉として市場に出されます」
うしのお母さんはむずかしい言葉の時にはゆっくりと声に出しながら、双子が話を理解できるように心をくだいて説明してくれた。まるで絵本の読み聞かせのようだった。
「わたしももうすぐ肉牛として出荷されるので、おかみさんに許しをもらい、こうして人間の世界をひと回りしにきたのです。この店からとても美味しそうな匂いがしたものですから、もしや牛肉の料理が味わえるのではないかしらと思ってね。やはり勘は当たってましたわ。わたしの鼻に乾杯」
お母さんの顔についている二つの耳が、乾杯という言葉といっしょにヒラヒラとゆれた。耳には黄色い耳標(じひょう)がついていた。日本で飼われている牛に付けられる10桁の数字は名札のようなもので「いつ」「どこの牧場で」「どんな生産者のもとで」生まれて育てられたのか「品種」や「性別」までもが分かるようになっている。
「何か心残りはありますか?」
ごくんと唾を飲み込んだユメは、こんなこと、聞いてよいものかと思いながらも、おずおずと質問した。
「もう何もありません。もう十分です。わたし、自分が母親になったのに、ちっとも母親らしい経験も味わえなかったものですから、一度母親らしいことをしてみたかったんです。牛太郎の母親として、あの子に何かしてやれたわけではないですけど、母親が息子のことを思って言葉を語るっていう体験、やってみれて、すごく満足です」
「じゃあ、このハンバーグは?」
「別に食べなくても構わないんです。だって牛太郎の肉じゃないもの。あの子はとっくの昔に、お肉になってこの世を去っていると思います」
「でも…」
「それじゃあ…」
もったいない。ふたりはそう思った。うしのお母さんは牛太郎の母親という体験をしてみたくて、ここに現れたのだ。だとしたら、最後まで演じきったほうがいいんじゃないだろうか。
「ハンバーグ、食べてみてください」
「これを牛太郎くんだと思って」
「いいの?ほんとうにいいんですか?」
双子のすすめもあって、うしのお母さんはハンバーグを食べてみることになった。冷めているとは言え、ほんものの牛肉料理。のうこうな茶色のソースが、まだテカテカと光っているハンバーグを、うしのお母さんは両方の手で、上手にフォークとナイフを使って一口分の肉を切り取り、口に運んだ。
「ああ。これほどの美味しさだとは…」
「わたし、牛に生まれてきて良かったと思います。つらいことも一杯ありましたけど、これほどの料理になれる自分というものに自信をもてばいいと思えましたわ」
うしのお母さんが去っていく姿を見送った二人のテーブルの上には、ごちそうがすっかりなくなった汚れた白い皿と、小さな器にもられたプリン、飲みかけのオレンジジュースだけが、二組ずつ残された。
(つづく)
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