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『永遠のゼロ』――最期、宮部久蔵はなぜ笑ったのか

岡田純一が夢に出てきたので、映画版『 永遠のゼロ 』を観た。
いつかちゃんと観たいと思っていた。

この映画には有名な謎がある。
それは、最後のシーン、敵空母に特攻していく主人公・宮部久蔵(岡田純一)がにやりと笑う場面である。

YouTubeで切り抜かれたり、あちこちで考察されているシーンなのだが、とても魅力的なので、その描写を切り口に、この映画の好きなところをいくつか書いていきたい。

* * *

1.戦争に対するフラットな視線
―― 戦争賛美、もしくは反戦

この作品は、「戦争賛美だ」と批判されることがある。
しかし、じぶんには、賛否どちらの立場にもないように思う。
そして、それこそが、この映画の魅力のひとつである。

戦争を題材にした作品は、反戦の立場から描かれるものが多い。
太平洋戦争についても、「戦争は悪」「当時の日本は狂っていた」といった語り方が一般的であるように思う。

わたしは戦争賛美側ではないが、太平洋戦争や特攻に関し、悲劇的な一面だけをピックアップして誇張する語り方には、やや疑問がある。
とりわけ「悲劇以外の表現は許されない」という暗黙の空気は、戦時下にあった言論統制が形を変えただけで、却って当時の感覚に近いのではないかと思う。

だって、実際はそんな単純な問題であったはずがない。
大多数のひとにとっては、そのときそうするしかなかったのではないか。
後世から高見の見物で「絶対にだめだ」とか、「愚かだ」なんていえないはず。

原作者・百田尚樹氏こそおおいに右翼思想っぽいが、少なくとも、この映画は戦争賛美でも反戦でもない。
というか、政治的な思想よりも、現実の描写に重きが置かれている印象があり、そのフラットさがいい。

* * *

2.上官としての信念
―― 宮部という、“ その場の正しさ ” に適応できない人

実感として、組織が狂ったとき、
組織の色に染まるタイプの人間と、染まらない ―― いや、染まれないタイプの人間がいるように思う。

主人公の宮部は、上官側の人間だ。
トップダウンに染まったほうが、逃げ場のない軍組織において ” 正しく ”、精神的に楽であっただろう。だが、彼はそうならない。
トップダウンの組織(=日本軍)にいながら、部下・教え子への情に厚く、むしろボトムアップの気配がある。

加えて、
彼は、国のために命を懸けるよりも、生還して家族を生かすことを信条としており、その信条から上と衝突したり、周囲から臆病者呼ばわりされたりしていた。これを「信念を曲げない強さ・美しさ」と捉えることもできるのであろうが、安易にそういっていいのか、わたしには分からない。

信念は「曲げない」のではなく、信念の域に達しているからこそ「曲げられない」のだ。部下の特攻死にも心を痛め、憔悴してゆく姿も、当時の上官として、決して望ましいものではないだろう。

トップダウンの組織において、トップと異なる信条を有することは、むしろ「(曲げられない)弱さ・不器用さ」の源であり、彼はそれゆえに精神を蝕まれ、自己矛盾に耐えかね、結果的には特攻という形で死に向かっていったのではなかろうか。

* * *

3.宮部の特攻、語られるものと語られないもの
―― だからこそ不可解な最後の笑顔

宮部は教官である一方、ゼロ戦乗りとして優秀なプレイヤーでもある。
終戦直前、彼は自身の信条にもとり、志願して特攻兵となるのだが、そのとき ―― 敵の迎撃をかわしてついに敵空母へとたどり着いた、そのシーンの顔つきがたまらない。

ぎりぎりまで迎撃をかわし、片方の羽を打たれつつ、どうにか敵空母上空までたどり着く。しっかり敵空母へ落ちる勝ちルートに入って、その瞬間、にやっと笑う。

このシーン、生還を信条にしていた者がこんな表情をするものだから、印象深く、「これはどういう心理なのか」「これで苦しい今世を終えられる」という安堵なのか、はたまた「かけに勝った」という達成感なのか等々、あちこちで考察されている。
が、どうしたって、その笑いは穏やかではなく、明らかに後者 ―― すなわち、「かけに勝った」「仕留めた」という高揚の表情に見える。
そんなタブー的な描写にぞっとする。

そうそう、
その証左となる場面がある。中盤、空中模擬戦のシーンだ。
模擬戦の最中、宮部は、後輩に背後(=撃たれる側のポジション)を取られかけるものの、華麗にポジションを取り返し、空中で後輩をいなすような動きをとる。さらに、激昂した後輩に自らを撃たせたうえで(=つまり味方攻撃というあるまじきことを半確信犯的にさせたうえで)、その弾を易々とかわし、再び背後のポジションをとりなおす。
宮部の、戦闘者としての一面が垣間見えるシーンである。

ひとは戦って勝ちたいんだもの。

今だって、手段こそ違えど、戦いたがっているひとはたくさんいる。
ゲーム、スポーツ、議論、ギャンブル、そのすべてが疎明している。

そして、なにがいいかって、それが明示されない、言語で説明されない点である。つまり、主人公がなにも言わずに ―― うーん、例えば、「やってやったぜ」だとか「よっしゃああああ!」などとはいわず、謎の表情を残して墜落し、あとは受け手の解釈にゆだねられる。
これが趣深く、未解決なもの、理解し切れないものとして刺さる。

あとは、個人的にBGMがものすごく好きだ。

宮部の飛行にあわせて、連続4度で上昇していく金管楽器。
連続4度はクラシック和声上のタブーである。それを同じ音域で繰り返す。
最後は、弦楽器が4度内で上昇のフレーズを繰り返し、基音に着地しないままぷつっと途切れ、放り出される。
特攻における、生還という着地点を失った命をよく表しているとおもう。
すさまじくかっこいい。

* * *

最後に、
人間を善悪や正解不正解だけで説明しきらないこと。
矛盾したものを矛盾したまま眺めること。
表現とは、これにつきるのではないか。

宮部久蔵って、「生きて帰ることを誰より望んだ男が、最後には自ら特攻する」という、そもそも説明しきれない人物じゃん。だからこそ、最後の最後に見える戦闘者としての顔が不気味でもあり、ものすごく魅力でもある。

そして、それに魅力を感じてしまう、若干の背徳感。
それも含めて、この映画は作品として素敵だ。


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