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まいにち日記書いて日記読んでどうするのさ(読書日記)

この記事を書いた翌日、わたしは高校の時の友人とお出かけをしていた。
(誘ってくれてありがとう)

蔵前の自由丁でゆっくり手紙を書き、24時間営業の透明書店で本を買った。そこでなんとなくびびっときて購入した本、これは3月末に出たばかりだったらしいのだが、たいへんに共感できる本で、そして今のわたしが読むべき本だった。


日記というものを書き始めて、エッセイというものを書き始めて10年以上が経つ。それらをnoteで発信し始めて3年くらいが経つ。

これまでに使ったノートたちを広げてみた。
これは死んだらどうするんでしょうかねえ。



この本は、日記を書くことについてさまざまな視点をくれて、自分のそばに置いておきたい言葉がたくさんあった。

それから「他人の日記を読むこと」についても丁寧に書かれていて、新鮮だった。日記を書くことについての本はたくさん読んできたけれど、日記を読むことについての本は読んだことなかったなあと。

そしてわたしは、前日、この記事でそれについて考えさせられていたわけなので、すごく響きました。ありがとうございます。日記屋月日、だいすきですほんとに。めっちゃ行っちゃう。

ちなみに書いてあることは、日記にかかわらず、SNSとの付き合い方にも同じことが言えるのかなと思いながら読みました。

4ページもメモしてしまった。

右の数字がページ数です


書くことってやっぱり良いよなあ。続けたいと思う意思もあるし、辞められないなという中毒性も知っているし、一生書くと思う。

それから読むことも。やっぱりわたしは、小説よりもエッセイや日記が面白いです。


でも、書く場所として、読む場所として、noteどうなんだろう……って最近思ってしまうんだようう
(うるさいですねえ)

インスタントで大衆的で、界隈ごとに大体みんな同じようなことを言うようになって、分断が進んでいませんか……!note…!!本質を持たないものにどんどんなっていくのが怖い……。

書くということは、そして読むということは、もっともっと孤独で繊細な営みだとわたしは思うんだけどなあ。。

きっとわたしは、自分が思っている以上にnoteを神聖な場だと思っていて、思いたくて、そういう場で書いたり読んだりしたいのでしょう。。

こういうことを考えていたら、先日の実態のわからないコメントに余計だったらごめんって書いてあったけど、余計ですね。すごい余計だなと今思った。コメントの指摘ごもっともだな~と思ったし、なにかがモヤモヤと気になるのはわかるけれど(本にも書いてあったけれど)、他人に向き合う気はないのに、言いたいことだけ言うためにわざわざアカウント作って他人と(裏側から)関わりをもとうとするムーブ、そしてあくまで会話はしないという姿勢がとても余計だ。しょうもなさすぎる……下手くそか。


他人の日記を読むということについて

不確実性をわかち合い、他者のペースに身を委ねること。そして、「知ったこっちゃないけど付き合うぜ」という心の持ちよう。そこには人間関係における基本のキがあります。

p191

とあるけれど、ほんとうにそうだよなあ。日記だけでなく、他人のSNSを覗くこともそう。自分も気をつけないと。

では、今日もお疲れさまでした♩


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