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第一章 16話 共依存の檻、狂乱の果実 三百万の泡と、三万円の贈り物


 その執着は、どこか壊れた機械のようだった。


 市街地から私の家まで、タクシーで一時間。
深夜、ネオンの熱を帯びたまま駆けつけてくる彼を、私は最初、ただひたすらに蔑(さげす)んでいた。



 忘れもしない、あるお正月のことだ。
突然、電話が鳴った。



「近くまで来たから、会おうよ。顔を見に来ただけだから」


 家のすぐ近くにいるという。
いざ会ってみると、彼は


「帰したくない、一緒にいたい」


と子供のように縋(すが)り付いてきた。
お正月という特別な時間、私には私の予定がある。


「帰る」


と告げても、彼は一向に離してくれない。

その執拗(しつよう)な熱量に、私は生理的な「気持ち悪さ」を感じ、たまらずその場から逃げ出した。


 それなのに、なぜまた会うことになったのか。
答えは単純だった。
私が「薬」を欲していたからだ。

自分の欲求を満たすための道具として、私は彼を再び受け入れた。

そんな現金な私の態度に、彼は怒るどころか、拾われた子犬のように喜んでみせた。

かつては極道をし売り子などしているのは何故かと疑うほどだった。


それが、二年に及ぶ共依存への入り口だった。



 彼は鉄筋工として現場に立ち、一日二万五千円という大金を稼いできた。

職人としての腕は確かだった。
普通に働いていれば、私たちはそれなりに裕福な生活ができたはずだ。

けれど、彼はその技術よりも、私を独占することに命を懸けていた。


「仕事、行きたくない。一緒にいたいんだ」


 彼は、私が一人になることを極端に恐れた。

二万五千円という日銭よりも、私を監視(かんし)し、その視界に収めておくことを優先した。

現場に行けばお金になる。

それを分かっていながら、彼は私のそばを離れようとしない。



「働けばもっと余裕ができるのに」



 私が苛立(いらだ)ちをぶつけると、彼は


「ごめんね、ごめんね」


と卑屈(ひくつ)に繰り返す。
その謝罪は、私への敬意ではなく、ただ「置いていかれたくない」という、剥(む)き出しの依存だった。

彼は、私の後をひたすら追いかけ回す「五歳児」のような人だった。

だから、私たちはあまり喧嘩をしたことがない。

怒るのが可哀想になるほど、彼の私に向ける視線は無垢(むく)で、一直線だったからだ。

そんなある日、彼が自転車に乗っていて交通事故に遭(あ)った。
車に大きく跳ね飛ばされ、本来なら複雑骨折で一ヶ月は入院が必須となるほどの大事故。

だが、彼は驚くほど身体が丈夫だった。

その回復力は医者も目を見張るほどで、わずか一週間、ボロボロの身体を引きずって彼は病院を抜け出してきた。


「……お前がいないと、ダメなんだ」


 そうして彼の手元には、保険金として三百万円という大金が転がり込んだ。


彼は完全に仕事に行くのをやめた。
手に入れた三百万円を、私と一緒に遊ぶためだけに注ぎ込んだ。

美味しいものを食べ、酒を浴び、お金が尽きるまでの間、私たちは世間の目から隠れるようにして、刹那的(せつなてき)な快楽にすべてを溶かした。

 そんな彼が、ある日誇らしげに一つの袋を差し出してきた。


「これ、似合うと思って。一生懸命選んだんだ」



 中に入っていたのは、三万円したという一着の服。だが、袋から取り出した瞬間、私は絶句した。
 それは、どこか古い商店街の隅っこで売っていそうな、クリーム色の、絶望的にダサい服だった。


(……何これ。なんで、これを私が着ると思ったの?)


 お洒落をしたい私にとって、その服はもはや恐怖に近いものだった。
彼の真っ直ぐな気持ちが伝わってくるだけに、申し訳なさはあった。
けれど、どうしても無理だった。

嫌なものは、嫌なのだ。



「悪いけど、これ無理。ダサすぎて着れない。……返してきて」


 私の冷たい言葉を隣で聞いていた母が、苦笑しながら

「いいじゃない、着てあげたら?」


と口を挟んだが、そんな妥協はできなかった。
私の世界に、その服が存在すること自体が嫌だった。。



 当時の私は、そんな彼の狂気じみた献身を、どこか冷めた目で見つめていた。


私は「愛」を知らない。

それを知るのは、ここ十年ほど最近になってからのことだ。
 あの頃の私は、ただ自分の「欲求」を満たすためだけに生きていた。

お洒落、スリル、男遊び、そして薬物。
仕事もそうだったかもしれない。


 平凡なんて、死んでいるのと同じだ。

良い時と悪い時があって当たり前。
悪いことがあれば、必ず次は良いことしか起きない。
そんな確信を胸に、私はただ刺激の波を乗りこなしていた。


 やがて、その日常に「薬」という毒を再び求めたのは、彼ではなく私の方だった。

「買いに行ってよ」。


彼は


「やめよう」


と私を宥(なだ)めたが、私の喜ぶ顔が見たいという、ただそれだけの理由で、彼は再び闇(やみ)の中へと足を運んだ。


 彼が手にした三百万円の泡を飲み干し、私たちは二人だけの歪(いびつ)な繭(まゆ)の中に閉じこもっていた。


 だが、そんな閉じた世界も、長くは続かない。


 私は、自分の欲求に正直に、さらなる刺激を求めて次の扉を開けようとしていた。

その先に、私の人生を根本から変えてしまう「本物の闇」が待っていることも知らずに。


:*これは実際におきたこと



17話へ続く

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