第一章 13話 偽りの聖女、孤独な頂点 _「待っててくれ」という名の呪縛と、夜の狂気
刑務所の門を出て手にした「自由」は、
想像していたものとはまるで違っていた。
私を待っていたのは、毎週欠かさず届く分厚い手紙の山だった。
累犯により五年の刑を言い渡された彼。
拘置所の冷たい壁の向こうから届く手紙は、いつも同じ言葉で締めくくられていた。
『待っててくれ』
『今度は絶対に真面目にするから』
最初、その言葉は私の命綱だった。
取り調べで孤独だった私を、彼は手紙で励まし、守り抜いてくれた。
その恩義がある。

だからこそ、私は「内縁の妻」として裁判所に立ち、ダルクに通い、彼の帰る場所を守り続けることが、唯一の報恩だと信じていた。
けれど、現実は無慈悲だった。
両親の
「先を見たって幸せになれない」
という正論は、孤独な私の胸を鋭くえぐった。
正しいと分かっているからこそ、逃げ場がなかった。
毎週届く手紙に応え、面会に通う日々。
それは次第に、感謝から「義務」へ、そして逃れられない「重圧」へと姿を変えていった。
そんな折、私の運命を大きく変える出会いがあった。

極道のお店を経営するオーナーに、
「お前はこんなところで終わる女じゃない。もっと上に行ける器だ」
と見初められたのだ。
否定され続けていた私にとって、その承認は乾いた砂に染み込む水だった。私は再び、夜の世界――ラウンジへと足を踏み入れた。
そこで再会したのが、かつて一緒にホテル住まいをしていた
「先輩の妻」だった。
彼女は同い年で、十七歳の頃からの顔見知り。
同じように夫を塀の中に残し、独りで夜を生きる彼女と、私は再会してすぐに共鳴した。
私たちは親友以上の、濃密な「共依存」の関係に陥るまで時間はかからなかった。
「私たち、頑張ってるよね。」
そう言い合いながら、私たちは次第に、
待つための「麻酔」を求め始めた。
街で有名な売買スポットへ向かう時、恐怖はなかった。
隣に彼女がいれば、それはただの日常の延長に過ぎなかった。
仕事場であるラウンジでは、私の負けず嫌いな性格が悪い方向へ爆発した。
「誰にも負けたくない。一番じゃなきゃ意味がない」
そんな意地だけで、私は店中のお客様を次々と自分の客に変えていった。売り上げを上げ、自己満足に浸った。
それが、私のボロボロになった自尊心を繋ぎ止める唯一の手段だった。
今思えば、当時の私は相当鼻につく存在だったはずだ。
店のママには、私が薬を使っていることがバレていたのだろう。
向けられる視線は冷たく、あからさまに嫌われているのは肌で感じていた。
だが、私はそれを「嫉妬」だと決めつけ、さらに傲慢に振る舞った。
背筋に走る拒絶の視線を跳ね返すように、わざと明るい声を張り上げ、高価なボトルを次々と開けさせた。

「私をクビにしてみなさいよ。この店の数字を支えているのは私なんだから」
そんな醜い自負を盾にして、私は戦っていた。
無理やりテンションを上げ、異様なエネルギーで客を追い回す私の姿は、周囲のスタッフからすれば、ただの「触れてはいけない狂気」に映っていたに違いない。
いくら頑張っても、ここで心が報われることはないと分かっていた。
けれど、数字を上げること、客を独占すること――その「自己満足」という名の虚勢だけが、私をこの場所に踏みとどまらせていたのだ。
だが、華やかな夜の顔の裏側で、私はさらに深く堕ちていった。
親友と一緒にいる時だけではない。
私は一人でも、狂ったように薬物を求めて歩き回った。
仲の良い男友達、かつての先輩、怪しげなツテ。
点々と、縋るように白い粉を譲り受けるために夜の街を彷徨う。

一人で受け取りに行く道中、冬の冷たい風に吹かれながら、時折ふと我に返ることがあった。
(私、何やってるんだろう。何のために、あんなに必死に面会に行ってるんだろう)
その疑問を打ち消すように、手に入れた薬を注射器で体に入れる。
一時の万能感が全身を駆け巡ると、すべての罪悪感は麻痺していった。
薬が招く一時の安らぎの中で、私は拘置所の彼から届く手紙を開く。
相変わらずの
『待っててくれ』
という文字。それを見た瞬間、猛烈な嫌悪感が私を襲った。
(彼は今も冷たい畳の上で、勝手に私を聖女のように崇めている。外で泥にまみれて生きる私に、理想を押し付ける…。)
最初はあったはずの申し訳なさは、次第に「うとましさ」へと変わっていった。
手紙を書こうとしても、ペンが動かない。
嘘を重ねるのが苦しくて、面会に行く足取りは鉛のように重くなった。
ガラス越しに、何も知らない彼が
「外に出たら二人でやり直そう」
と熱っぽく夢を語る。その無垢な瞳が、今の私には最大の凶器だった。
「……うん、待ってるね」
嘘の微笑みを浮かべる自分の顔を、どこかで冷めた自分が見つめていた。
喉の奥が詰まり、呼吸が浅くなる。
彼を裏切っている自分への吐き気。
そして、そんな私に気づきもしない彼。
その苦しさから逃れるために、私はさらに深く、白い粉の快楽へと逃げ込んでいった。
かつて愛おしかった彼の手紙は、今の私にとっては、自分の「汚れ」を突きつける鏡でしかなかった。
恩義という名の鎖に繋がれたまま、心は別の刺激を求め、身体は夜の闇に溶けていく。

私は、自分が一番やりたくなかった「裏切り」の渦中へと、真っ逆さまに墜ちていった。
✴︎これは実際におきたこと
次回、14話予告
黒塗りの遺言、断絶の儀式
_ガラス越しの聖女、夜の街の狂気
