第一章 17話 罪悪感のデジャヴと、二十四歳の焦燥 _二世ママのラウンジと、静かに忍び寄る深淵
穏やかな沈黙の中、ある日突然、音を立てて壊れた。
彼が捕まった。
その知らせを聞いた時、私の中に湧き上がったのは、言いようのない重い「罪悪感」だった。
本来なら面会(めんかい)に行くべきなのかもしれない。
けれど、私はどうしても彼に会いに行くことができなかった。

私の欲求を満たすために、彼を闇へと走らせてしまったという事実が、私の足をすくませていた。
彼から届く手紙には、かつての恋人の時と同じ言葉が並んでいた。
『待っていてほしい。次は必ず幸せにする。これからは真面目に働くから』
その言葉を読むたび、胸を締め付けられるような既視感 ____デジャヴ——に襲われた。
けれど、私はその約束に応えることもできず、ただ現実から目を逸らした。
三百万の泡は消え、現実はまた、私の目の前に殺伐とした「生活」を突きつけていた。
生きていくためには、稼がなければならない。
私は逃げるように再び夜の街へ戻ることを決めた。そんな時、親友が紹介してくれたのが、あるラウンジだった。

「同い年の子がママをやってる店があるの。一緒に行かない?」
その時点で私は二十四歳。
紹介された店のママは、先代から店を譲り受けたばかりの「二世ママ」だった。
彼女と私の親友は学生時代からの不良仲間。
そこに私も加わり、同い年三人で店を切り盛りすることになったのだ。
当時の私には、確かなプライドがあった。
十五歳でこの世界に足を踏み入れて以来、私は地べたを這(は)いずり、自分の客を掴(つか)んできた。
色々な店から引き抜きの話もあったし、
「自分の店を持たないか」
と出資を持ちかけられることも珍しくなかった。
けれど、私は誰かの看板や、誰かのお金に依存して城を構えたくはなかった。
やるなら、誰の世話にもならず、自分の力だけでやり遂げたい。
そんな意地があった。
一方で、足元を見れば二年のブランクという現実が横たわっていた。
仕事もせずに遊び惚(ほう)けていた二年間。
その空白が、私の自信をじりじりと削っていた。
(……今の私に、あの日と同じように客を呼べるだろうか)
リスクを負って独り立ちする勇気は、今の私にはまだなかった。
だから私は、親友の顔を立てる形で、そのラウンジでお世話になる道を選んだのだ。
十五歳の時、夜の世界で最初に教えられた鉄則がある。

『自分の給料は、自分で稼ぐものだ』
店に在籍させてもらう以上、お客様を呼んで売上を作るのは、プロとして当然の義務。
それができない女に、夜の街で居場所などない。
しかし、現実は甘くなかった。二十四歳という年齢、そして二年の休み。かつて私を好いてくれていたお客様たちは、すでに他の店へ流れ、あるいは夜の街を去っていた。
連絡をしても、返事はない。
店に立っていても、昔のような無敵感は湧いてこない。
「……こんなはずじゃなかった」
どれだけ頑張っても、かつての輝きを取り戻せない自分に、私は少しずつ、けれど確実に自信を失いかけていた。
同い年のママや親友が楽しげに笑う中で、私一人だけが、埋まらない溝をじっと見つめているような孤独があった。
そんな焦燥(しょうそう)と、彼を裏切っているような罪悪感に押し潰されそうになっていた頃。
私は親友と久々にゆっくりと会う時間を持ち、そして、あの逃避の日々へと心が引き戻されていくのを感じた。
不安を消したいのか、あるいは何もかも忘れたいのか。
私は親友に、自分の心の底にある「渇き」を打ち明けた。

「……また、いかない?」
私の言葉を聞いた親友は、少し目を細めて言った。
「分かった。今度は本当に良い人が居るよ。紹介するね」
数日後。
私は親友に連れられ、夜の市街地へと向かった。
ネオンが眩しく光る、雑踏の中。
指定された待ち合わせ場所には、一台の車が停まっていた。
車窓から顔を出した男を見た瞬間、私の身体は凍りついた。
これまでの売り子や、中途半端なチンピラとは格が違う。
圧倒的な死の匂いと、有無を言わせぬ威圧感を纏(まと)った、本物の
「怪物(かいぶつ)」。
男は、射抜くような鋭い視線を私に向けた。
「欲しいの?」
その低く、底から響くような声を聞いた瞬間、私の中の全細胞が歓喜した。
あぁ、これだ。
今の自分の情けなさも、罪悪感も、すべてを飲み込んでくれるほどの、強烈な存在。
恐ろしいはずなのに、その闇には抗いがたい引力があった。
「……乗りな」
男の言葉に、私と親友は導かれるように車のドアを開けた。
男、親友、そして私。3人を乗せた車は、静かに市街地の男の家へと走り出す。
車内に広がる重苦しい沈黙。
それが、後に私の夫となる男との、最初の遭遇(そうぐう)だった。
単なる薬の取引相手ではない。

長い年月、共に歩み、深く根を張ることになる運命の歯車が、この時、音を立てて回り始めた。
✴︎これは実際におきたこと
次回へ続く
