人はなぜ「わかってくれない」のか
「他人は自分の都合であなたを見る」という現実
人は、自分のことには強い関心をもっています。
これは当たり前で、なんせ、自分は自分にとって、この世界でたった一人の存在です。
自分がどれだけ傷ついているか、自分がどれだけ努力してきたか、自分がなぜあの場面で黙ってしまったのか、自分があのとき本当はどういうつもりだったのか、自分だけは知っている。
自分の中には、自分の歴史があり、事情があり、恥も誇りも後悔もある。だから自分は、自分という人間を非常に複雑で、文脈をもった存在として理解しています。
そのため私たちは、つい他人にも同じような見方を期待してしまいます。
少し説明すればわかってくれるはずだ。
誠実に話せば誠実さは伝わるはずだ。
こちらに悪意がないのだから、相手もそれを感じ取ってくれるはずだ。
自分の事情を話せば、少なくとも不当には見られないはずだ。
しかし、実際の人間関係は、そういうふうには動きません。
多くの場合、人は他人をかなり雑に見ています。そしてその雑な見方は、客観的でも中立でもありません。
人は自分の不安や利害や自尊心を通して、他人を見ています。
つまり、他人はあなたを「そのまま」見ているのではなく、自分にとって意味のあるあなたとして見ているのです。
この事実は、少し厳しく聞こえるかもしれません。けれども同時に、とても実用的です。なぜなら、私たちが日々感じている対人関係の苦しさ、たとえば「そんなつもりじゃなかったのに」「どうしてそう受け取るのか」「なぜちゃんと見てくれないのか」といった苦しみの多くを、かなりうまく説明してくれるからです。
ここでは、そのことをできるだけ丁寧に考えていきます。
まず、人はなぜ他人を雑に見るのか。
次に、人が他人を見るときにかけている三つのレンズ―信用レンズ、パワーレンズ、エゴレンズ―について(用語の出典:ハイディ・グラント・ハルヴァーソン『だれもわかってくれない』)。
そして最後に、その三つのレンズが、仕事、恋愛や友人関係、SNSという三つの場面で、どう具体的に働いているのかを、見ていきましょう。
結論を先に言えば、重要なのはこういうことです。
人は最初からあなたを深く理解しようとはしていない。だから「誤解されないこと」を目指すより、「どう誤解されるか」を考えたほうがいい。
少し冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、これはむしろ、人間関係を無理なく扱うための現実的な知恵です。
第一部 人はなぜ他人を雑に見るのか
1.人を深く理解するのは、思っている以上に大変である
人は他人を雑に見ます。
ここでいう「雑に見る」とは、思いやりがないとか、粗暴だとか、悪意があるとかいう意味ではありません。
そうではなく、相手をすばやく理解するために、ざっくりとした印象や分類で処理するということです。
この人は感じがいい。
この人は冷たそうだ。
この人は仕事ができそうだ。
この人は面倒そうだ。
この人は頼れそうだ。
この人は何を考えているかわからない。
この人はちょっと自信がありすぎる。
この人は安全そうだ。
この人は警戒したほうがいいかもしれない。
私たちは、こうした判断を日常的に、しかも驚くほど短い時間で下しています。初対面の数秒や数分で、ある程度の印象が決まってしまうことも珍しくありません。
そしてその印象は、その後の関係の土台になってしまいます。
なぜそんなことが起こるのか。
理由は単純で、人間の注意力も認知資源も有限だからです。
たとえば、あなたが職場で十人、二十人、あるいはもっと多くの人と関わっているとします。その全員について、家庭環境、性格、コンプレックス、得意不得意、その日の体調、その人が何を怖がっているかまで、逐一深く理解することはできません。
友人についても同じです。さらに、SNSで流れてくる何百人もの他人を丁寧に理解するなど、完全に不可能です。
つまり、人が他人を雑に見るのは、その人が特別に冷たいからではなく、そうせざるをえないからなのです。
人はまず、相手を細かく理解する前に、何らかのカテゴリーに入れて処理する。これは一種の省エネ、脳の節約です。
ここで大事なのは、あなた自身もまた、他人に対してそうしているということです。自分では「ちゃんと見ているつもり」でも、実際にはかなり雑に見ている。
感じがいい人だな。少し苦手だな。仕事が早そうだな。プライドが高そうだな。そういうラベルで相手を見ている。
だから、他人があなたを雑に見るのは、あなただけが特別に軽視されているからではありません。人間関係の基本的な条件そのものが、そうなっているのです。
2.自分は自分を内側から知っているが、他人は外側からしか見ていない
人間関係がつらくなる大きな原因のひとつは、この視点の非対称性です。
自分は、自分のことを内側から知っています。
疲れていた。
緊張していた。
言い方が悪かっただけで、悪意はなかった。
本当は傷ついていた。
本当は助けてほしかった。
本当は嫌いではない。
むしろ大事に思っていた。
でもうまくふるまえなかった。
こういう事情を、自分だけは知っています。
だから自分にとって、自分の言動にはいつも文脈があります。
しかし他人には、その内側は見えません。
他人に見えるのは、表情、言葉、態度、反応の速さ、沈黙、服装、声の調子、行動の断片だけです。
しかも、その断片はしばしば一瞬しか見えない。
だから相手は、その限られた断片から「どういう人か」を推測するしかありません。
たとえば、会議であなたが黙っていたとします。
自分としては、慎重に考えていただけかもしれない。
でも相手には、「反対している」「やる気がない」「何を考えているかわからない」「自信がない」と見えるかもしれない。
たとえば、あなたがメッセージの返信を遅らせたとします。
自分としては忙しかっただけかもしれない。
でも相手には、「軽く見られている」「距離を取られている」「嫌われた」と見えるかもしれない。
たとえば、あなたが率直にアドバイスしたとします。
自分としては誠実なつもりでも、相手には「上から目線」「自分を否定された」「攻撃された」と感じられることがある。
つまり、こちらの内面の複雑さは、相手には見えない。
相手はいつも、外から見える断片をもとに、こちらを解釈しています。
そしてその解釈は、中立でも公平でもなく、相手自身の都合に強く左右されるのです。
第二部 人は三つのレンズで他人を見る
1.三つのレンズとは何か
人が他人を見るとき、その見方を歪める大きなバイアスは、三つのレンズとして整理できます。
信用レンズ
パワーレンズ
エゴレンズ
この三つは、固定的な性格分類ではありません。
「あの人は信用レンズ型の人間だ」と決めつけるためのものではない。
そうではなく、人は状況や関係によって、この三つのレンズをかけたり外したりしているのです。
初対面の場では、相手は信用レンズを強くかけやすい。
会議や判断の場では、パワーレンズが強くなる。
比較や競争、承認が絡む場面では、エゴレンズが前面に出る。
同じ人でも、部下の前と上司の前、恋人の前とSNS上では、まったく違うレンズで他人を見ています。
だから重要なのは、「相手がどういう人か」を一般論で決めつけることではありません。
むしろ、「いま相手はどのレンズを通してこちらを見ているか」を考えることです。
2.信用レンズ―人はまず「この人は安全か」を見る
初対面や、まだ関係が浅い相手に対して、人はまず「この人は自分にとって脅威かどうか」を見ています。これが信用レンズです。
ここでいう脅威とは、露骨な暴力や敵意だけではありません。
この人は自分を見下さないか。
利用してこないか。
冷たく切り捨てないか。
本音を見せて危なくないか。
安心して接していい相手か。
そうした広い意味での「安全かどうか」です。
この信用判断は、多くの場合ほとんど無意識です。
人は意識して「この人は脅威か」と問うているわけではない。
でも身体はかなり速く反応します。
なんとなく安心する。
なんとなく緊張する。
なんとなく距離を置きたくなる。
そういう感覚として現れます。
信用レンズで特に大きいのは、温かみと能力です。
温かみとは、その人がこちらの味方になろうとしているか、害意がないか、人間として扱ってくれるかという印象。
能力とは、その意図を現実に実行できるか、この人は危なっかしくないか、頼れるかという印象です。
感じはいいけれど約束を守らない人は、温かみはあっても信用はされにくい。
有能だけれど冷たく見える人は、能力はあっても安心されにくい。
人が信頼しやすいのは、温かみと能力の両方がある程度見える相手なのです。
会話例―信用レンズを刺激する言い方、安心させる言い方
たとえば、あなたが相手の案に反対したいとします。
まずい言い方はこうです。
「それ、違うと思います」
「普通はそう考えません」
「その理解はずれてます」
これは内容が正しくても、相手の信用レンズを刺激します。
相手は「否定された」「敵意がある」と感じやすい。
少し言い換えるだけでずいぶん違ってきます。
「その懸念はわかります。その上で、別の見方もあると思っています」
「なるほど。否定したいわけではないのですが、前提を一つ確認してもいいですか」
「私の説明不足かもしれません。少し背景から話してもいいでしょうか」
内容は似ていても、こちらは「私はあなたを脅かしたいわけではない」と伝えています。
相手は少し安心します。
信用レンズに対しては、こういう入口が非常に重要です。
3.パワーレンズ―人は他人を「役に立つか」で見る
次にパワーレンズです。
ここでいうパワーとは、単に社会的に偉いとか地位が高いという意味ではありません。ある場面で、望ましい資源や判断に対して相対的に大きなコントロールを持っている状態です。
上司と部下。
採用する側とされる側。
顧客と業者。
評価する側とされる側。
あるいは、会議の司会者、場の中心人物、そのテーマに最も詳しい人。
こうした人は、その瞬間にパワーを持っています。
パワーレンズをかけた人は、他人も含めた自分の環境を、自分の目標達成のための資源として見やすくなります。
これは意地悪だからではありません。
責任や目標に集中しているとき、人は自然にそうなりやすいのです。
このとき相手が見ているのは、たとえばこういうことです。
この人は役に立つか。
この人は任せられるか。
この人は判断を助けるか。
この人は自分の時間を奪わないか。
この人は問題を増やすか減らすか。
つまり、パワーレンズの相手にとっては、「こちらの気持ち」や「こちらの複雑な事情」より先に、有用性が見られやすいのです。
会話例―パワーレンズに通りにくい言い方、通りやすい言い方
たとえば、上司に相談するとき。
通りにくい言い方。
「いろいろ背景があって、私としては納得しきれない部分もあるんですが、Aさんとの関係も難しくて……」
上司がパワーレンズを強くかけていると、「で、何が問題なの?」となりやすい。
通りやすい言い方。
「結論から言うと、Aさんとの役割分担を明確にしたいです。理由は二つあります。ひとつは重複作業、もうひとつは責任範囲の曖昧さです」
こちらは、相手の判断コストを下げています。
パワーレンズの相手には、こういう整理が効きます。
4.エゴレンズ―人は自尊心を守るために他人を見る
三つ目はエゴレンズです。
これは、自分の自己肯定感を守るためのレンズです。
人は誰でも、自分に価値があると思っていたい。
少なくとも、自分は決定的に劣っている、取るに足りない、と思いたくはありません。
そのため、自分より優れているように見える人、成功している人、幸せそうな人に出会うと、心がざわつくことがあります。
そのざわつきをそのまま受け止めるのは苦しい。
だから人は、認知を少し歪めます。
「あの人は確かにすごいけれど、でも仕事中毒だ」
「たしかに美人だけど、中身は薄そうだ」
「成功してるけど、どうせ運がよかっただけだ」
「自分とは価値観が違うから、別にうらやましくない」
こうやって、相手の優位を別の形で打ち消し、自分の自尊心を守ろうとする。
これがエゴレンズです。
エゴレンズは、SNSでは特に強く働きます。本来なら関係のない人の成功や幸福が、毎日大量に可視化されるからです。知らなければ脅威にならなかったものが、延々と目に入ってくる。すると、人は理由のよくわからない苛立ちを感じ、その苛立ちを相手への批判や攻撃に変えやすくなります。
会話例―エゴレンズを刺激する言い方、和らげる言い方
たとえば、友人や恋人に改善を伝えたいとき。
刺激する言い方。
「それって結局、配慮が足りないんだと思う」
「普通ならそうはしない」
「客観的に見れば、あなたのほうに問題がある」
これは相手の自尊心を直撃します。
相手は論点ではなく、「自分はダメだと言われた」と感じやすい。
和らげる言い方。
「責めたいわけではないんだけど、私はあのとき少しつらかった」
「良い悪いというより、こうしてもらえると助かる」
「あなたの価値を否定したいんじゃなくて、関係をうまくしたいと思ってる」
こちらは、相手の価値そのものを否定しない形になっています。
エゴレンズの相手には、こういう配慮が必要になります。
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