良いでもなく、悪いでもない、評価のない優しい世界の中で
こんばんは。
最近感じることがあります。
それは、世の中の物事を良いと悪いでジャッジしないとこんなにも穏やかでいられるということ。
そういう風に思ったのは、私自身がダメ出しされることが人生の中であまりにも多かったから。
両親や、学校、友人関係や仕事...…
ダメ出しされるたびに、私はだめな存在なのだと自分責めをし続けてきました。
ダメな自分を克服するために、たくさん努力をしました。
まだ足りない、まだ足りない。
もっと頑張らなければならない。
それでも、不器用な自分であることに変わりはありませんでした。
そのうちに、失敗したらどうしようという予期不安が自分の心を強く占めるようになっていったのです。
恐らく、頑張りすぎてしまったのでしょう。
きっとこれ以上頑張れないと、心がブレーキをかけてしまったのだと思います。
そういった経験を経た今でも、たくさんダメ出しをされることはあります。
でも、そんな中で学んだこと。
それはやはり、生き方に良いも悪いもないということ。
もちろん、仕事ではマニュアルや方法などはあるかと思います。
だけど、人によって仕事のやり方や考え方は異なるものです。
規則を守らなかったり、お客様に迷惑をかけることは良くないけれど、そのやり方に対して、上司や同僚が干渉しすぎるということはそれはまた少し違ったりもするもので。
生き方もそうです。
その人、その人で生きるペースが違う。
見えている景色も違う。
だから一見、その人が苦しんでいるように見えてもそれが悪いわけではないのだと思います。
その人は、今苦しむというフェーズにいるけれど、その中で新たな生き方を見つけてまた、新たな世界へと羽ばたく準備をしているだけかもしれないのです。
否定ばかりして、その可能性を摘んでしまったら勿体無いのです。生き方が間違っているとか、悪いとかを簡単に判断するものではないのです。
それゆえに、たとえ近い存在であっても、その人のあり方を否定することは時にその人を苦しめてしまうのだと思います。
あなたのその行動がいけない、とか。
そんなことしていたら、良くない、とか。
その人にとってのペースと時の流れの中で、生きる時間も見える世界も違うから。
苦しんでいる、悩んでいることが必ずしも悪いわけではない。
ただ、そのあり方を認めてあげること。
苦しんでいるあなたそのままを認めてあげること。
大丈夫だよ。
良いと悪いでジャッジしない世界。
その人のあり方そのままを、ありのままに認める世界。
ダメだからとか、新しいことを始めなきゃとか、ネガティブ発信で動くと大体上手くいかないもので。
そうではなくて、ありのままの自分のあり方を肯定するところから始まるスタート。
ありのままの自分を良いと悪いでジャッジしないスタート地点に立つと、自然と自分のやりたいことが見つかるものです。
自分がどうしたいかが分かるものです。
世の中の価値観に、自分の価値観が合わないとしても、自分を責めないでほしい。
過去の私がそうでした。
自分の価値観、生きている世界ありのままを認めて、ただ自分を飾りすぎずに出来ることを淡々として生きてゆけばいい。
自由に自分の生き方を描いてゆけばいい。
人に見せる生き方でなくていい。
他人から褒められる生き方でなくてもいい。
人それぞれ人生経験は違うものです。
自分が関わる人が、過去にどれだけ傷つく経験を持っていたとしても、生きている中でその過去に触れることはありません。
だからこそ、人には踏み込みすぎないこと。
人が越えてほしくない線を越えて、自分の生き方を誰かに強要しないこと。
これは私自身が大切にしていることです。
私自身が、たくさんその線を越えられてしまったことが過去にありました。
だからこそ、その人その人の生きるペースを尊重する生き方でありたいと日々思うのです。
各駅停車と急行電車のどちらが良いとか悪いとかでないように、スピーディーに生きるも、ゆっくり生きるのも本来はどちらでも良いのです。
何が自分にとってフィットするかは、自分の感性が分かるもの。
他人の評価ではなくて、ありのままの自分を認めた先に、自分らしさが輝いてゆくのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

