最後の晩餐と、おっさんの卵焼き 【癒しとつながりの手帖 第38話】
最後の晩餐に何を食べたいか。
よくある話題だけれど、食いしん坊の僕はいろいろなものが頭に浮かんでしまう。
散々迷った挙げ句、やっぱり最後は卵焼きかなと思う。
ちょっと甘くて、少しだしのしょっぱさもあって、ふんわりしている。
甘すぎず、しょっぱすぎない。
あのシンプルな卵焼きが、一番好きだ。
母が作ってくれる卵焼きが、今でもすごく大好きだ。
子どもの頃、卵焼きの味で、その日の母の機嫌がわかった気がする。
ちょっと塩気が尖っている日は、忙しかったのかな。
イライラしていたのかな。
そんなことを思ったりした。
逆に、絶妙にふんわりしていて美味しい日は、
今日はすげえいい感じで機嫌がいいんだな。
なんて、子どもながらに安心していた。
ただ、うちの母は、けっこうなチャレンジャーだった。
僕が中学生くらいの頃から、卵焼きにいろいろなものを入れ始めたのだ。
味噌が入っていたり、カニカマやツナが入っていたり。
なんだかよくわからない不思議な葉っぱが入っていたり、エビが入っていたり。
美味しいでしょ。
そう得意げに聞いてくる母。
ごめんよ、母さん。
僕はやっぱり、一番シンプルな卵焼きが好きなんだ。
本当に、本当に大好きなんだ。
大人になって、自分で自由に卵を買えるようになった。
自分でも卵焼きを作ってみようと思って、練習したこともある。
でも、不思議なもので、自分で焼いてもあまり美味しくないのだ。
卵も同じ。
作り方も、そんなに変わらない。
なのに、なぜか違う。
卵焼きはやっぱり、人が焼いてくれたものが一番美味しい。
お寿司屋さんに行った時もそうだ。
手作りの美味しい卵焼きが出てくると、すごく嬉しくなる。
逆に、あ、これは既製品だなと思うと、ちょっとだけがっかりしてしまう。
やっぱり卵焼きは、人が焼いてくれたものがいい。
そんなことを思ったのは、先日、友達の家に遊びに行った時だった。
朝食に、その友達が卵焼きを出してくれた。
一口食べて、驚いた。
めちゃめちゃ美味しい。
やばい。
ちょっと惚れそう。
一瞬、本気でそう思った。
ところが次の瞬間、スッと現実に引き戻された。
目の前にいるそいつは、見えなくてもわかる。
絶対にものすごいドヤ顔をしているに違いない。
いや、これでドヤ顔していなかったら逆におかしい。
でも悲しいかな、そいつは僕と同じ、ただのおっさんなのだ。
危ないところだった。
いや、何が危ないのかは自分でもよくわからない。
でも、悔しいけれど、その卵焼きは本当にやばいくらい美味しかった。
卵焼きには、不思議と焼く人の人柄が出る気がする。
丁寧に焼いている人の卵焼きは、やっぱり丁寧な味がする。
誰かのために焼いた卵焼きには、その人の優しさが少しだけ混ざっているような気もする。
だから僕は、誰かが自分のために焼いてくれた卵焼きを食べるのが大好きなのだ。
最後の晩餐に何を食べたいかと聞かれたら、やっぱり卵焼きと答えると思う。
母が焼いてくれた、あのシンプルな卵焼き。
そしてもし、誰かが僕のために焼いてくれた卵焼きがそこにあったら、それもきっと嬉しい。
卵焼きなんて、卵を焼いただけのシンプルな料理なのに。
そこには、その人が僕のために手を動かしてくれた時間がある。
だから美味しいのかもしれない。
この何とも言えない味わいと、人の温もり。
わかってくれる方はいますか。
この記事を書いた僕がどんな人間なのか気になった方は、ぜひこちらも読んでみてください。
次回の更新は、9月2日水曜日を予定しています。
またお会いしましょう。
