あの橋の上で僕が受け取った20年の呪いと、母の孤独な決断
先日、noteの「創作大賞2026」エッセイ部門に応募した作品『神様からのギフト、なんて死んでも言わない —— 配られた歪なカードで、人生を主宰するまで』には、本当にたくさんの反響をいただきました。
読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
今回は、第1章で描いた「友達からの言葉」と「盲学校への入学」について、本編では書ききれなかった出来事をお話ししたいと思います。
大人になった今だからこそ見えてきた景色があります。そして、その奥には長い間僕を縛り続けてきた「あの言葉」の本当の意味がありました。
20年以上、僕を縛り続けた「あの一言」
エッセイの中で、小学校入学を前に近所の友達から言われた、
「違う学校に行く人とは、もう遊べないんだって」
という一言を書きました。
当時は、本当に世界がひっくり返るほどのショックでした。
底が抜けたような深い絶望に突き落とされ、その場から逃げ出すことしかできませんでした。
でも、本当に苦しかったのは、その瞬間だけではありません。
あの一言は、社会に出て働き始め、自分に少しずつ自信が持てるようになるまで、長い年月にわたって僕の心を縛り続ける”呪縛”になっていました。
何か壁にぶつかるたびに、あの橋の上で味わった拒絶感が蘇る。
「自分は受け入れてもらえない人間なんじゃないか。」
そんな感覚が、心の奥底に残り続けていたのです。
今になって振り返れば、当時6歳だった友達が、自分の意思だけであんな言葉を口にしたとは思えません。
きっと、その向こう側には大人の価値観や世間体、障害への偏見があり、それが子どもの口を通して僕に届いたのでしょう。
だからこそ今、大人になって専門職として様々な人と接する中で、あるいは父親として娘たちに向き合う中で、言葉の持つ影響力には本当に気をつけなければならないと日々痛感しています。
子どもの頃に浴びた言葉は、大人になっても心に刺さったまま抜けないことがあります。
だから僕は、自分が誰かに向けて発する言葉には、できる限り責任を持ち続けたいと思っています。
余談ですが、あの友達について今となっては連絡先も居場所も、何一つ手がかりはありません。
それでも最近は、「一度会ってみたいな」と思うことがあります。
今なら、お互い大人として、あの日橋の上で交わした言葉を静かに振り返れるような気がするのです。
母へのモヤモヤと、今だから分かる本当の強さ
もう一つ、本編では書ききれなかったことがあります。
それは、当時の僕が母に抱いていた複雑な感情です。
盲学校への入学を、僕はすぐには受け入れられませんでした。
「どうして僕だけなんだ。」
その理不尽さは、一番近くにいた母へ向いてしまいました。
反発もありました。
割り切れない思いもありました。
でも、自分が親になり、人生経験を重ねた今なら分かります。
あの決断は、母にとってどれほど孤独で勇気のいるものだったのかを。
当時の我が家は、子どもの教育にほとんど関心を示さない父と、地方ならではの「世間体」を何より大切にする祖父母という環境でした。
暗い台所の隅で、周囲の視線や言葉に耐えていた母の姿が、今になって胸を締めつけます。
障害のある子どもを盲学校へ進学させるという選択は、今以上に大きな覚悟が必要だったはずです。
そんな中で母は、誰にも頼れないまま情報を集め、迷い、不安を抱えながらも、周囲の反対や雑音に流されることなく僕を盲学校へ入学させてくれました。
もしあのとき、周囲の空気に押されて普通小学校へ通っていたら、僕の心はもっと早い段階で擦り切れていたでしょう。
自分らしく生きる土台を築いてくれたのは、盲学校という環境であり、その道を選び抜いてくれた母でした。
普段は照れくさくて、本人に面と向かって感謝を伝えることはできません。
それでも、あの孤独な決断には、今も心から感謝しています。
過去のカードは、書き換えられる
あんなにも胸を締めつけていた、あの橋の上での出来事。
最近では、自分の「鉄板ネタ」として笑いを交えながら話せるようになりました。
配られた歪なカードそのものを変えることはできません。
でも、自分が経験を積み、新しいカードを手に入れることで、過去に配られたカードの意味はいくらでも書き換えられます。
20年以上僕を縛っていた出来事は、今では一人の専門職として、そして父親として、「どんな言葉を誰かに届けるか」を考え続ける原点になりました。
過去は変えられません。
けれど、過去に与える意味は変えられる。
僕はこれからも、自分に配られた歪なカードで、自分だけの物語を書き続けていこうと思います。
あなたの手元にあるそのカードも、いつか違う色に見える日が来ることを願って。
