僕もあなたも、案外めんどくさい。
僕は白杖を持って歩いている。15年ほど前、上野駅のホームでのことだ。レジ袋をジャラジャラジャラジャラ鳴らしたおっちゃんとすれ違いざま、突然叫ばれた。
「お前らみたいなのがいるから、税金がたくさん使われているんだ」
意味が分からずスルーしようとしたが、ジャラジャラ音を響かせて追いかけてくる。身に覚えのない悪意に、その日はしばらく心がしぼんでしまった。
最近も似たようなことがあった。コンビニの駐車場で、白杖が車にカツンと当たり、「俺の車を叩いただろ」とあんちゃんに怒鳴られた。
当たったのは事実なので「すみません」と謝った。
声の主はなんだかやたら元気だった。服も派手そうな気がする。もちろん見えてはいないので、全部僕の想像だけれど。
心の中では、「そんなに大事な愛車なら、白杖が当たる前に自己紹介してくれたら避けられたのになあ」などと、意味の分からない想像をして自分を落ち着かせていた。
視覚障害者として長く生きていると、こうした出来事は珍しくない。
でも、かくいう僕自身も褒められたものではない。noteを開いて「今日は伸びたかな」と期待したら、チャーシューがどーんと乗ったつけ麺の写真に完敗していたりする。
「文章より肉か……。」
そう思いながらスマホをそっと閉じる日もある。
人は自分と違うものを見ると、驚くほど心が狭くなることがある。もちろん僕も例外じゃない。誰かと比べて落ち込んだり、自分の弱さにがっかりしたりする。
だからまず、「人間って案外めんどくさい生き物なんだ」と笑って認めることから始めなきゃなあと思う。
視覚障害と一口に言っても、全く見えない人もいれば、光を感じる人、ぼんやり見える人もいる。能力も性格も、育った環境も人それぞれ。誰もが境界線のないグラデーションの中を生きている。
僕自身も、そのグラデーションの中の一人だ。立ち位置だって固定じゃない。いつ変わるか分からないし、もしかしたら毎日少しずつ変わっているのかもしれない。だからこそ、自分にもそう言い聞かせなければと思う。
もしもみんなが「自分もグラデーションの中にいる」と想像できたら、この社会は今よりずっと住みやすくなるんじゃないだろうか。
自分と違う誰かを知ることや、お互いの思いを共有することって、時間がかかるのはきっと当たり前。
焦らなくていい。僕もあなたも、案外めんどくさいのだから。

