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多様性の名を借りた規制ーーポリコレが奪った“想像力の自由”

昔は、もっと自由だった。

男が女になっても、
人魚が剣を振るっても、
黒い肌の神様が人を救っても──
誰も、それを「間違いだ」とは言わなかった。

フィクションとは、そういうものだと。
想像の力は、現実の制約を飛び越えるものだと。
誰もが、信じていた。

……それが、いつの間にか変わった。


ポリティカル・コレクトネス。
「政治的に正しい表現を心がけること」

──聞こえはいい。
だが今、それは想像力を封じる檻となった。

キャラクターの肌の色はどうか。
性別は平等か。
文化的背景を考慮しているか。
登場人物に“正しい比率”で属性が振られているか。

……おい、それは“作品”じゃない。“配分表”だ。


最初にその狂気が見えたのは、ディズニーとハリウッドだった。
黒人のアリエル、アジア系のシンデレラ、女性だけのアベンジャーズ。
“多様性”という名の装飾に、キャラクターの魂が消えていく。

物語は、“声の大きな正義”に押し流された。
演出ではなく、“配慮の結果”がストーリーをねじ曲げる。


だが、この狂気は海を越えて日本にもやってきた。

本来、日本の創作文化は、多様性を内包していた。
妖怪も、女装も、無性も、異形も──
姿かたちなどどうでもいい、“魂”のあり方を描く国だった。

それを、
「肌が白いから白人だ」
「黒い肌は黒人差別だ」
「寝たきりのキャラは障害者の扱いが悪い」

……そんな薄っぺらな物差しで測られて、
作品は「不適切」と切り捨てられる。


白黒の漫画で“白人と黒人を描き分けろ”と言われてもな、
冗談は顔だけにしろ。

なぜ分からない?
これは文化の違いじゃない。
知性の欠落だ。

ミスターポポが突然“黒塗り問題”として批判されたあたりから、
この狂気は本物になった。
誰も怒っていなかったのに、外から来た“正義”が勝手に火をつけ、
勝手に燃え上がった。


気づけば、
表現は“自由”ではなく、“正しさ”に縛られるようになった。

作家は怯え、
制作会社は抗議を恐れ、
キャラクターは“記号”として調整される。

物語に必要なのは、恐れじゃない。
創造の衝動だ。


──なぜ想像力は、こんなにも簡単に殺されてしまったのか。

多様性とは、本来“自然にそこにあるもの”だったはずだ。
それを「規制」で作り、「均質化」で整え、
「正義」の名のもとに強要した瞬間、
それは“暴力”に変わる。


私は、怒っている。

想像の自由を奪われる時代に。
創作の魂が、数字と属性で分類される時代に。

表現とは、誰かのために整えるものではない。
描きたいものを、描くこと。
語りたいことを、語ること。

それが、表現の本質だったはずだ。


今、あらためて問う。

「誰のための多様性」なのか。
「誰の正義が、創造を殺しているのか」。

もし、物語に“自由”がないのなら、
それはもう──
物語じゃない。

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