写真「東京国際フォーラム」
2025年12月3日にIBM TechXchange Summit Japan 2025へ。印象的な建物でした。

































天を仰ぐ。白い波が凍っている。曲面のルーバーが幾重にも折り重なり、巨大な渦を描いている。設計図から生まれたはずなのに、どこか海の生き物の内側を思わせる。オウム貝の殻を割った時に現れる完璧な螺旋のように。鯨の肋骨が描く生命の曲線のように。白い帯が規則正しく並びながら、全体としては有機的なうねりを生む。隙間から光が落ちてくる。濾過された光は鋭さを失い、空間全体を白く満たしている。影はあるが優しい。雲の中にいるかのような、境界の曖昧な明るさ。中空に白い橋が架かっている。斜めに伸びる構造は、見ているだけで不安を覚えるほど大胆だ。鉄骨が格子状に組まれている。地上から何十メートルも浮いた場所を歩く。重力は依然として働いているのに、浮遊している錯覚に囚われる。壁面は一面のガラスである。外の建物が透けて見える。鉄骨の構造、コンクリートの肌理、窓の連なり。内側なのか、外側なのか。区別が曖昧になる。都市という密集した空間において、ガラスは境界であると同時に、繋がりでもある。地上階に目を落とすと、人が歩いている。この高さから見ると、人間は驚くほど小さい。豆粒ほどの影が、ゆっくりと動いている。彼らは会話をしているのかもしれない。足音を立てているのかもしれない。巨大な空間の中で、人間は確かに小さい。しかしこの空間を作ったのもまた、その小さな人間である。数十メートルの高さに鉄を組み、ガラスをはめこみ、光を計算する。静けさが、ここを満たしている。物理的な音は確かにある。人の足音、空調の低音、遠くの車の音。しかし空間の巨大さに吸収され、ほとんど聞こえない。代わりに支配的なのは、構造そのものが発する静けさである。鉄が、ガラスが、光が、黙って存在している。沈黙が雄弁である。この建築は何を目指したのか。おそらく、高さである。広さである。光である。そして、ある種の崇高さである。見上げれば、天井は遥か彼方にある。見下ろせば、地上は遠く離れている。自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなる。この浮遊感こそが核心なのかもしれない。日常から切り離された、宙吊りの時間。それがここにはある。白い波は、これからも凍り続ける。橋は架かり続ける。光は降り続ける。人々は来ては去り、また来る。建築だけが、動かずにそこにある。時間が流れても、この空間は変わらない。変わるのは、ここを訪れる人間である。
東京・有楽町にある東京国際フォーラム。その中でも「ガラス棟」と呼ばれる部分は、1996年にアルゼンチン出身の建築家ラファエル・ヴィニオリが設計した巨大なガラスの建物である。長さ約200メートル、高さ60メートル。中に入ると、天井までぶち抜きの大空間が広がっている。この建築の最大の特徴は、天井を覆う巨大な曲線である。この巨大な曲線は「魚腹トラス」と呼ばれる構造で、船の底のような形をしている。普通のビルは柱と梁が直角に交わる箱型である。ここでは鉄骨が曲がっている。曲線に沿って斜めに交差する補強材がX字型に何本も組まれている。この曲線はただ美しいだけではない。構造的にも優れている。直線の梁で大空間を覆おうとすると、途中で柱が必要になる。しかしアーチ状に曲げると、柱なしでも広い空間を覆える。これは古代ローマ時代から知られていた技術である。ヴィニオリは、この古典的な知恵を、現代の技術で実現した。巨大な屋根を支えるのは、床から伸びるわずか2本の巨大な柱であり、この2本で全長約220メートルの屋根を支えることで、内部に柱のない広大な空間を実現している。もう一つの特徴は、壁がガラスであることだ。普通の建物には、コンクリートやレンガの壁がある。しかしここはガラスである。外から中が見え、中から外が見える。天井もガラスだ。昼間は自然光が入り、空が見える。鉄は曲げられるが、ガラスは曲げられない。それなのに、天井が曲線に見えるのは興味深い。実は天井のガラスは、一枚一枚は平らである。しかしそれを曲線の鉄骨に沿って並べることで、全体として曲面に見える。遠くから見ると、つなぎ目は見えない。近づいて初めて、平らなガラスが並んでいることがわかる。この建物の魅力は、時間によって表情が変わることにある。朝、太陽が低い角度から差しこむと、鉄骨の影が床に落ちる。影も曲線を描く。正午、太陽が真上にくると、空間全体が明るくなる。夕方、西日が斜めに入ると、空間が黄金色に染まる。鉄骨が輝く。夜、人工照明が点くと、建物全体が外から見て光の箱のようになる。中の構造が、外に向かって浮かび上がる。この建物では全ての構造が見える。鉄骨はそのまま剥き出しである。ボルトも見える。配管も見える。普通の建物なら、こういうものは天井裏や壁の中に隠す。しかしここでは隠さない。むしろ、見せることが美しさになっている。鉄骨の交差やボルトの規則的な配列、それら自体がパターンであり、デザインなのだ。構造を隠さない理由は二つある。一つは正直さである。建物がどうやって立っているのか、隠さずに見せる。これは20世紀建築の一つの理想だった。もう一つは美しさである。構造そのものが美しいなら、隠す必要はない。見せた方がいい。ヴィニオリは、構造を美の中心に置いた建築家である。この空間は巨大だ。高さ60メートル。20階建てのビルと同じである。その下に立つと、人間はとても小さく見える。しかし不思議なことに、圧迫感はない。むしろ開放的である。曲線が柔らかさを持つからだ。もしこれが四角い箱だったら、冷たく感じただろう。しかし曲線は、包みこまれるような感覚を与える。ガラスも開放感に貢献している。壁がないので、視線が外まで抜ける。閉じこめられた感じがしない。東京国際フォーラムのガラス棟は、曲線とガラスが生み出す空間の美しさを示した建築である。鉄骨が描く曲線は、構造的に合理的であると同時に、視覚的に美しい。ガラスの透明性によって、内と外が繋がり、光が空間を満たし、時間とともに表情が変わる。さまざまな光線が反射しあい、建築に有機的で複雑な表情を与えている。夕暮れ時、黄金色の光の中で輝く曲線を見上げた時、そこに見えたのは曲線とガラスの融合。そして、技術と美の融合である。
