地下アイドルシーンは地下闘技場でのバーリトゥードからどのようにスポーツ化していったのか
TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の公式サイトには、イベントの沿革を説明する短い文章が置かれています。そこには、TIFが始まった2010年について「アイドル戦国時代と称され、アイドルブームが再燃し始めた年である」という趣旨のことが書かれています。日本初のアイドルに特化した大規模な同時多発型音楽フェスとして東京・品川でスタートし、翌年からは会場をお台場に移した——そういう記述です。
15年で、何が変わったのか
今のライブハウスで、どのステージでも同じようなタイミングで同じ動きをしているのを見ることがあります。曲が始まった瞬間に、誰に指示されるでもなく、全員が同じコールを入れる。よく揃っているな、と思います。そして同時に、いつからこうなったんだろう、とも思います。
十数年前の地下アイドルの現場に、そういう統一感はありませんでした。かわりにあったのは、今日ここで何が起こるか分からない、という緊張です。何も起きない日のほうが圧倒的に多かったのですが、それでも「起こりうる」という可能性のほうに人が集まっていた。
この二つの光景のあいだに、何があったのか。それがこの記事で考えたいことです。
本稿では、地下アイドルシーンの15年をおおまかに三つの時期に分けて整理します。
アイドル戦国時代
BiSH(WACK)台頭期
アフターコロナ
この三区分を通して言いたいことは、ひとつの命題に要約できます。
「地下アイドルは、バーリトゥードからスポーツになった」
ルールのない何でもありの見世物が、ルールの整備された競技に変わった。それがこの15年に起きたことです。先に断っておくと、これは衰退の話ではありません。むしろ数字の上では、この15年は「成長の歴史」です(そのことは後半で確認します)。それでもなお、失われたものがある——というのがこの記事の主題です。
1. アイドル戦国時代 — 無名より悪名
この時期を一言で定義するなら、運営もアイドルもオタクも、全員が無法だったということに尽きます。
何をやってもよかったし、実際に何でもやっていました。運営は思いついた企画をそのまま実行に移し、演者は成立するかどうか怪しい表現に平然と突っ込んでいき、フロアには何が起きるか分からない緊張がありました。「ライブハウスに入るときに、今日ここで何が起こるのか本当に分からない」という感覚があったのです。それが、この時期の最大の商品価値でした。
なぜそんなことになっていたのか。私は、そこに集まっていた人間の性質によるものだと思っています。
あそこにいたのは、普通に生きていたら何者にもならない人たちでした。特別に歌が上手いわけでも、飛び抜けて美しいわけでも、恵まれた環境にいたわけでもない。そういう人間が、それでも何かを残したいと思ったときに選べる場所が、当時の地下アイドルでした。 「無名で終わるくらいなら悪名でいい。目立たない凡人で人生を終えるくらいなら、爪痕を残して炎上した方がまだマシだ」 そういう思考の人間が、演者側にも運営側にも、そしてオタク側にもたくさんいたのです。
「戦国時代」という呼び名は、比喩として的確だったと思います。群雄割拠していたというより、負けても死なない場所で、全員が好き勝手に殴り合っていた。統一政権がないから、勝ち方の定義もありませんでした。武道館を目指してもいいし、目指さなくてもいい。楽曲で殴ってもいいし、企画で殴ってもいいし、キャラクターで殴ってもいい。どれが正解かを決める審判がいなかったのです。
この時期について、私は数字を出すつもりがありません。というより、数字で語れない時期でした。市場統計に載るような整った産業ではなかったし、動員も売上も可視化されていません。あるのは、その場にいた人間の記憶だけです。
あの時期のフロアには「今日ここで何かが起こるかもしれない」という期待があり、たいていの場合は裏切られ、何も起きない日の方が圧倒的に多かった。それでも、起こりうるという「可能性」そのものが、人をライブハウスに向かわせていたのだと思います。
2. BiSH(WACK)台頭期 — ルールの整備と、競技人口の爆発
転換点は、BiSHにあったと考えています。
BiSが2014年に解散したあと、その経験を踏まえて設立された事務所からBiSHが始動しました。ここで重要なのは、BiSHが戦国時代の当事者によって、戦国時代の総括として作られたということです。無法地帯を経験した人間が、その経験を踏まえて次を作る。当然、そこには何らかの学習が反映されます。
私の記憶によると、BiSHには大きく2つの層があったと思います。
BiSのフロアを少しだけ齧り、「あの続きが見たい」と思っていた層
BiSを味わえず、「乗り遅れた」と思っていた層
この二つの飢餓感が合流したとき、一大勢力が生まれました。そして、ここから「何でもあり」が終わっていきます。
誤解されがちなのですが、無法を止めたのはオタクでも世間でもなく、運営自身だったと記憶しています。規模が大きくなれば、リスクを取る合理性がなくなります。炎上のコストが利益を上回るようになり、企業案件や地上メディアとの接点が増え、守るべきものが増える。だから運営が先回りして規制を始める。これは倫理の問題ではなく、経営判断の問題です。
BiSHが到達した場所は、過去の擦り直しの果てにありました。彼女たちがやったことの多くは、それ以前に誰かがやっていたことです。しかしそれを、より洗練された形で、より広い層に届くパッケージにして提示した。結果として、最先端だったはずのものが一般化し、大衆のものになり、2023年6月に東京ドームまで到達しました。
これを私は、バーリトゥードからスポーツへの転換点と定義します。
総合格闘技の歴史を考えると分かりやすいでしょう。初期のバーリトゥードには、体重制限も時間制限もありませんでした。反則は目潰しと噛みつきと金的攻撃のみ。場所によっては非合法でもありました。そこから、階級が整備され、ラウンド制が導入され、反則が明文化されていった。その結果どうなったか。競技として洗練され、選手が守られ、合法的なスポーツになったのです。
しかし同時に、あの得体の知れなさは消えました。何が起きるか分からないという、見世物としての狂気が失われた。 ルールの整備は競技人口を増やす。しかし、狂気は減る。どちらが良い悪いではなく、これはトレードオフです。そして産業として見れば、この判断は明白に正しかったと言えます。
3. アフターコロナ — マスゲームとしてのフロア
コロナ禍を挟んで、スポーツ化はさらに進みました。今のシーンで起きているのは、三段階の定型化です。
楽曲の定型化: 特定のテンポ、特定の展開、特定の落としどころを持つ曲が量産されるようになった。
コールとMIXの定型化: 曲が定型なのだから、当然そこに乗るコールも定型になる。
オタクの動きの定型化: フロア全体が同じタイミングで同じ動きをする、マスゲームのような光景が当たり前になった。
ここで起きている最も本質的な変化は、遊び方が「創作」から「照合」に変わったことだと思っています。
かつては、この曲でどう遊ぶかを自分で考えていました。うまくいかないことも多かったし、周囲から浮くこともありました。それでも、自分で発明する余地があった。 今は違います。今フロアでやられているのは、この曲には過去のどのMIXが当てはまるのか、どのコールのパターンが該当するのかという照合作業です。正解が既にあり、それを引き当てる。クリエイティブな遊び方はほぼ消滅しました。
そして、これを担っているのは新規のオタクだけではありません。戦国時代を知らない層が多数派になったのは事実ですが、問題はそこではなく、残っていたオタクもそちらに迎合したことです。少数派になった側が多数派の作法に合わせた。それによって、記憶を持っている人間の記憶ごと、上書きされてしまったのです。
「地下が痩せた」のは市場縮小のせいではない
さて、ここで数字を出します。「地下が痩せた」という実感が、市場の縮小によるものなのかを確認するためです。
過去の記事でも取り上げた通り、ぴあ総研の調査によれば、2025年の国内ライブ・エンタテインメント市場規模は8,564億円で、前年比12.6%増、3年連続で過去最高を更新しています。動員数は9,223万人。コロナ前の2019年が6,295億円でしたから、6年で3割以上伸びている計算になります。2024年の7,605億円からも二桁成長です。
つまり、市場は史上最高です。地下が痩せたのは、市場が縮んだからではありません。
問題は成長の中身です。ぴあ総研自身が、現在の成長を「興行の大型化とチケット単価の上昇によるモデル」だと表現しています。そして、舞台技術者の不足、施設の老朽化、中規模ホールの不足といった供給側の制約から、大規模公演や人気コンテンツへの集中が進んでいるとも指摘しています。
これは決定的な記述です。市場は伸びているが、伸び方が「集中型」に変わった。パイは大きくなっているのに、そのパイが向かう先が限られている。地下のフロアがスカスカなのは市場の縮小の帰結ではなく、成長様式が変わったことの帰結なのです。
4. 演者側の変質 — 爪痕から「エモさ」へ
演者側にも同じ力学が働いています。
シーンに定型ができれば、そこに合わせた提供しかできなくなります。爪痕を残そうとする振る舞いは、定型化したフロアでは単に「合わない」ものとして処理されます。マスゲームが成立している空間に異物を持ち込んでも、フロアは反応の仕方を知りません。結果として、演者はそのシーンに合った遊び方しか提供できなくなります。
そして提供の主戦場は、ライブから物販へ移りました。要点だけ言えば、収益の中心が接触にある以上、ライブはその前段として最適化されていきます。ステージで何を成し遂げたかより、そのあとの物販列で何を交換できるかが重要になる。
ここで売られているのは、パフォーマンスではなく「エモさ」です。感情の交換そのものが商品になった。
そのことは、市場の語彙の変化にも表れています。推し活総研の推計では、2024年の推し活市場規模は約3.5兆円とされています。矢野経済研究所の「オタク」主要16分野の市場規模も、2023年度に約9,700億円、2024年度には1兆円を超える見込みとされています。
感情に金を使うという行為が、独立した商品カテゴリとして確立した。
「推し活」という言葉の普及は、その象徴です。かつては説明の必要な行動だったものに名前がつき、市場規模が推計され、企業のマーケティング対象になった。名前がついたものは管理できるようになります。
この文脈で見れば、地下におけるHEROINES(ヒロインズ)の一強状態も例外現象ではありません。2026年8月時点で27組が所属し、ひとつの組織が多数のグループを抱えてリソースを集約して回す。これは、ぴあ総研が指摘した「集中型成長モデル」が地下という階層で現れた姿にすぎません。上でも下でも、同じことが起きているのです。
5. TIFという定点観測 — 同じイベントが記録した15年
ここまでの話を、ひとつのイベントの内側で確認できます。TIFです。同じ主催者が、同じ場所で、16回にわたって続けてきた。これ以上ない定点観測の対象です。
■ 2016年のTIF この年、当時のプロデューサーは出演アイドルを意図的に200組以上に増やし、初出演アイドルの比率を従来の15%程度から50%程度に引き上げる方針を語っていました。ここに注目したいのは、新陳代謝が設計されていたということです。出演者の半分を新顔にする。この時期のTIFは、シーンに新しい血を入れる装置として自らを位置づけていました。
■ 2026年のTIF 16回目を迎えたTIF2026には、212組1,495名のアイドルが出演し、3日間で延べ約89,000人が参加。公式発表によれば、初めて土日のチケットが完売しています。数字だけ見れば、文句のつけようがない成功です。
しかしその内実を見ていくと、いくつか気になる点が出てきます。
ひとつはお金の話です。
TIF2026の単日券は一般販売で11,500円、3日間通し券は30,000円でした。公式は、この価格改定について人件費や資材・燃料費の高騰を理由に、苦渋の決断として説明しています。きわめてまっとうな興行の説明です。コストが上がったから価格に転嫁する。
発案者の門澤氏は当時、フジテレビが儲けることが目的ではないから主催をフジテレビではなく実行委員会にしたのだ、という趣旨を語っています。収入はすべて舞台演出などに費やすため、出演者に出演料も交通費も払えない。かわりに会場に物販スペースを設け、その対価は受け取らない。2011年は当初予定していたスポンサーの撤退で収益面が厳しく、2012年になってようやく赤字を脱したといいます。さらに門澤氏は、このイベントを社内に見つからないようこっそりやっていた、とも語っています。
つまり、事業として成立していませんでした。 フジテレビという大企業が関わっていたにもかかわらず、です。
そして15年後、同じイベントが原価構造を説明して価格改定を通告しています。採算の合わない道楽が、収支の合う事業になったということです。
競技化とはそういうことでもあります。バーリトゥードは安定した興行として成立していなかったから何でもありでいられた。継続的な事業にするなら、コストを計算し、価格を決め、赤字を出さない構造を作らなければならない。
もうひとつは、顔役の系譜です。近年のチェアマンは指原莉乃さん、長濱ねるさん、井上和さん。この並びが示しているのは、TIFの代表として据えられる存在が、一貫して「地上側の人」であるということです。そして年を追うごとに、その人選は坂道グループの現役に寄っていきました。
新陳代謝を設計で作っていたイベントが、10年後、土日完売と価格改定を報告する興行になった。この過程は、外から観察するまでもなく、TIF自身の発表資料の中に記録されているのです。
おわりに: 勝ち方が一通りしかない
ここまで書いてきましたが、私はスポーツ化が失敗だったとは思っていません。
ルールがあるから競技人口は増えました。オタクもアイドルも、安全になり、参入しやすくなり、続けやすくなった。実際に市場は史上最高を更新し続けています。この15年は、産業としては明白な成功の歴史です。「バーリトゥードの時代に戻れ」と言うつもりは、まったくありません。あの時代には、今なら許されない被害もたくさんありました。
失われたのは市場ではありません。失われたのは、負けても爪痕を残せる余地です。
戦国時代には、勝ち方の定義がありませんでした。だから負け方の定義もなかった。武道館に行けなくても、動員が伸びなくても、そこで何かを起こせば、それは何かを残したことになった。審判がいないというのは、判定基準がないということです。判定基準がなければ、負けは確定しません。
今は違います。勝ち方が一通りしかない。 動員を伸ばし、大きい会場を埋め、集中型の成長モデルの上流に食い込む。それ以外の勝ち方が、シーンの側に用意されていません。だからその道に乗れないグループは、単に「負けた」ことになります。爪痕という概念自体が、評価軸から消え去ってしまったのです。
ただ、正確に言えば、その道に乗れなくても負けではありません。むしろここが厄介なところです。
物販は、上に行かなくても成立するからです。 動員が伸びなくても、大きい会場に届かなくても、太い客が何人かついていれば、生活は回ります。ライブハウスのキャパが増えなくても、一人あたりの単価が上がれば収益は維持できる。だから多くのグループは、負けたわけではなく、そこで生きています。
これは救いのようでいて、実際には出口の閉鎖です。
上に行く道に乗れなかったとき、残されるのは太客依存のモデルだけになります。そしてこのモデルは、いったん入ると抜け出せません。少数の客の支出に収益を預けている以上、その客が離れれば即座に立ち行かなくなる。だから離さないための運営をすることになり、離さないための運営は、新しい客を取りに行く体力をさらに削っていきます。負けないかわりに、勝ちに行けなくなる。
普通に生きていたら目立たない凡人が、それでも何かを残したいがために来る場所。それが地下アイドルだったように思います。 ルールが整備されたことで、その場所は誰でも入れる安全な競技場になりました。入り口は広がった。しかし、出口が一つになってしまった。
その帰結を、私たちは今のフロアで見ているのだと思います。
