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ググる世代はAIする世代へ。

SF小説なんかでは、完全に人類が機械に管理されている設定がよくある。人工知能がだいたい手配してくれるので人間は自分でスケジュールを覚えていなくてもよいし、執事ロボットみたいなのが何から何まで手配してくれたりする。しかも、危ない目に遭ってもそのロボットが身を守ってくれたりして、何もかも任せて安心!というわけだ。まあ創作物だとロボットとのやりとりがあったり協力して物事に立ち向かったりする話自体がメインだったりする。

が、しかしよくよく考えてみるとここまで全部お任せだと、「あれ?人間別にいらなくない?」となってこないだろうか。お話であれば人間ならではの型破りな機転だとか、論理的にあり得ない解決法だとか、そういうので「さすが人間」みたいな流れに持っていったりするが、実際は別に有能な人間ばっかりでもないし、コンピュータが間違ってたらあたふたするだけな人も多いだろう。自分もナビが変な道示したらめっちゃ焦ってそのまま道を間違えたりするし。

で、AI全盛時代になってきて、ますます上記のようなことを思うわけである。
何らかの提出物をAIで作ったり、作ったものをAIにチェックしてもらったり、最終ジャッジはAI評価値が高いほう、みたいな感じになってくると、人間て単なるAIのしもべみたいになってこないか、と。「人力でやらずにAIでやったほうが効率的で賢い」みたいなことを言う人ほど、しもべ街道まっしぐらなような気もする。ただ、これも自分のようなおっさんからすると「インターネット登場(激遅回線)」→「インターネット普及(常時接続)」→「スマホでどこでもインターネット」→「誰でもどこでもググれる」みたいな変遷を経ているので色々感じてしまうが、デジタルネイティブを超えてAIネイティブ世代になるとどうなるのだろうか。なんでもかんでもググればOK、みたいなのがAIに聞けばOKとなってくるのか、と。かくして大人の持っている「知識」は価値を失い、経験に基づいた知恵ですらどんどん怪しくなってくる。「〇〇をするコツ」ですらAIに聞いたほうが正確だったりするためだ。あと10年、いや5年くらいでもう完全に「人間の知恵はAIの下位互換」みたいになってくるのかな~と思う。

とはいえ一方で「AIに企画を考えさせると熱がなくてつまらん」みたいな意見も根強い。まあそもそもAIが出した企画ってその本人が考えたのではなく考えさせただけなので体重も乗らないわな。「は?体重とか内容に関係ないし、老害はすぐそういう精神論言うよな~」みたいなことも言われそうだが。

山本弘のSF作品で「アイの物語」という作品があったが、その中に書かれたエピソードの一つで、「人間はなぜ不合理なのか」という問いが出てきていた。死を悲しむことは合理的なのか、感情に流されることは合理的なのか…と。でも不合理だからこそ人間の魅力がある、みたいなことも語られていた気がする。いくつかの短編が「ヒトの残した物語」という体裁で語られるが、介護ロボットの視点を描いた「詩音が来た日」は特によかった。おすすめです。

ヒトとAIがどうなるのか、一つの考えるきっかけになりそうではある。


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