自分は、そんなに偉くなったのか
「自分は、そんなに偉くなったのか」
最近、ある人と会ったあと、そんな言葉が自分の中に浮かびました。
以前は、その人と話す時間が普通に楽しかった。
でも最近、どこか物足りなさを感じるようになっていました。
理由も、自分では分かっていました。
その人から、以前のような「前に進もうとしている感じ」が見えにくくなったからです。
将来を見据えて、自分を鍛えている感じ。
このままではまずい、という危機感。
少しギラギラした熱のようなもの。
私はたぶん、その空気に魅力を感じていました。
その人は、以前から努力する人でした。
難しい資格の勉強にも本気で取り組み、しっかり結果を出していました。
その後も、自分の将来に必要な知識を、自分で取りに行っているように見えました。
正直、すごいなと思っていました。
仕事をこなすだけではなく、その先を見ている。
今の自分に足りないものを分かっていて、それを埋めにいこうとしている。
そういう姿に、私は刺激を受けていたのだと思います。
ところが、いつのまにか、その熱のようなものが見えにくくなりました。
ただ、私が以前惹かれていた「仕事の外でも自分を鍛えている感じ」が、少し見えにくくなった。
それだけなのだと思います。
それなのに私は、ざわついてしまいました。
「今、それで満足してしまっていないだろうか」
「前に進もうとしていたあの感じは、どこに行ったのだろうか」
そんなことを思ってしまった。
でも、その瞬間に、別の自分が顔を出しました。
「人を成長しているかどうかで見ているのか」
「相手を値踏みしているのか」
「自分は、そんなに偉くなったのか」
正直、嫌な自分だと思いました。
上から目線の自分がいる。
人の人生を、自分の物差しで測ろうとしている自分がいる。
それが分かるから、苦しくなりました。
相手を責めたいわけではありません。
見下したいわけでもありません。
でも、ざわついてしまう。
そのざわつきが消えない。
たぶん私は、その人を見ながら、少し前の自分を見ているのだと思います。
仕事はしていました。
やるべきことも、こなしていました。
でも、それ以外の時間を、自分の未来に使えていたかというと、胸を張ってそうとは言えません。
ある時期から、私はゲームにかなりの時間を使うようになっていました。
ゲームは怖いです。
ただ楽しいだけではありません。
特にRPGは、疑似的に成長させてくれます。
レベルが上がる。
装備が強くなる。
できなかったことが、できるようになる。
そこには、たしかに「成長している感じ」があります。
でも、ある人に言われた言葉が、今でも残っています。
「RPGゲームの主人公は成長するが、ゲームをしている私は成長しない」
この言葉は、なかなか刺さりました。
ゲームの中の主人公は、たしかに強くなっている。
でも、現実の私はどうなのか。
そう考えたとき、少し怖くなりました。
今は、その時間の使い方を少しずつ変えています。
本を読む。
本の中の印象に残った言葉をメモする。
noteで文章を書く。
自分の感情を言葉にして、発信する。
人に会う。
美味しいものを積極的に食べに行く。
自分の知らなかった世界に触れる。
そうやって、少しずつ自分を動かし始めているところです。
特にnoteで発信を始めたことは、自分の中では大きな変化でした。
ただ何かを経験するだけではなく、そこで心が動いたことを言葉にする。
うれしかったこと。
違和感を覚えたこと。
怒りが湧いたこと。
少し引っかかったこと。
そういう感情を流さずに、いったん立ち止まって言葉にしてみる。
すると、自分が何を大切にしているのかが、少しずつ見えてくる気がしています。
だからこそ、余計に敏感になっているのかもしれません。
前に進もうとする空気にも。
変わらないように見える空気にも。
そして、その敏感さが、ときどき嫌な形で出てくる。
人を見てしまう。
比べてしまう。
「この人は前に進んでいるのか」と思ってしまう。
できれば、こんな自分は見たくありません。
でも、その奥には、昔の自分に戻りたくないという怖さがあるのだと思います。
日常に流されていた自分。
本当は変わりたいと思いながら、目の前の楽しさに時間を使っていた自分。
そこに戻りたくない。
その怖さが、相手への違和感として出てきているのかもしれません。
このざわつきは、きれいな感情ではありません。
でも、なかったことにはしたくありません。
見たくない自分の中にこそ、今の自分が守りたいものが隠れている気がするからです。
私は今、自分の時間を何に使いたいのか。
誰と、どんな空気の中で過ごしたいのか。
このざわつきは、たぶんそれを教えてくれているのだと思います。
