本の言葉をエサに、感情を釣る
「いや、これは違うだろう」
本を読んでいて、突然、心が動くことがあります。
強く共感することもあれば、違和感を持つこともある。
思わず笑ってしまったり、ときには怒りが湧いてきたりすることもあります。
これが魚のかかった「ヒット」の瞬間です。
私は、感情や心の揺れに関する本が好きで、よく読みます。
本を読んでいると、なぜか妙に引っかかる言葉に出会います。
その言葉が「エサ」です。
エサに反応して感情が動く。
その感情が、釣り竿にかかった「魚」です。
自分が感じたものは、共感なのか。
違和感なのか。
怒りなのか。
うらやましさなのか。
その感情をつかまえ、言葉にできたときが、魚を釣り上げたまさにその瞬間です。
ただし、魚は釣っただけでは、おいしく食べられません。
なぜ、自分はその言葉に反応したのか。
その感情は、どこから生まれてきたのか。
釣り上げた感情をじっくり掘り下げ、言葉にしていく。
魚をさばき、料理していくような作業です。
これまでにも私は、本の言葉から、いろいろな感情を釣り上げてきました。
「怒りの電源を抜く」という言葉からは、自分の怒りが、どんな「こうあるべき」から生まれているのかを考えました。
「うらやましい」という感情からは、自分が本当は何を望んでいるのかを考えました。
最近、ある本を読んでいて釣り上げたのは、「違和感」でした。
そこには、好き嫌いという価値観は、過去に誰かから押しつけられたものにすぎない。
だから、好きなことではなく、新しいことを始めるべきだ、という趣旨のことが書かれていました。
私は、この言葉に引っかかりました。
私が最近始めたボーカルレッスンは、昔から好きだった歌でありながら、自分にとっては新しい挑戦でもあったからです。
「好きなこと」と「新しいこと」は、どちらかを選ぶものではない。
「新しくて好きなこと」もある。
その実体験があったから、私は本に書かれていた言葉を、そのまま受け入れられなかったのだと思います。
さらに引っかかったのは、その主張を支える具体例がなかったことです。
強く主張するなら、せめて最低限の具体例を出してほしい。
私は、少し怒っていました。
たとえば、「派手な服が嫌い」という感情が、子どもの頃から「目立つ服はみっともない」と言われ続けた経験から生まれている。
そんな例が一つでもあれば、著者の言いたいことを、もう少し理解できたかもしれません。
具体例を使って、相手に伝わるところまで道筋を示す。これは、教員としての私のこだわりなのだと思います。
こうして違和感を掘り下げてみると、その奥にあるものが見えてきました。
私は、「好きなこと」と「新しいこと」を対立させたくなかった。
そして、相手を想って、具体例を使って丁寧に説明することを、自分が思っていた以上に大切にしていました。
読書に出かけ、本の言葉をエサにして、感情がヒットする瞬間を待つ。
その感情を釣り上げ、なぜ生まれたのかを掘り下げ、言葉にしていく。
そうすることで、感情の正体だけでなく、その奥にある自分の価値観も見えてきます。
釣り上げた感情を丁寧に料理し、おいしく味付けをして、noteに記事として投稿すれば、読んだ人にも味わってもらえるかもしれません。
本を閉じたあとに残るのは、本から得た知識だけではありません。
釣り上げた感情の中から、まだ言葉になっていなかった自分が見えてくる。
これが、いま私が考えている「感情読書」です。
