いいねの数では測れないもの。
最近、写真について相談を受けることが増えた。
展示の相談。
作品の相談。
写真の続け方の相談。
その中で、とても多い話がある。
「フォロワーが増えません」
「全然いいねが付きません」
「頑張って投稿しているのに見てもらえません」
「いいねをもらったから返さなきゃいけなくて苦しいです」
そんな話だ。
もちろん気持ちはわかる。
僕だってSNSをやっているし、投稿した写真に反応があると嬉しい。
誰かが見てくれている。
誰かに届いた。
それは素直に嬉しいことだと思う。
でも最近、その嬉しさよりも苦しさの方が大きくなっている人をたくさん見る。
本当は写真が好きだったはずなのに。
本当は撮ることが楽しかったはずなのに。
いつの間にか数字に追いかけられている。
何を撮るかではなく、
何が伸びるか。
何を表現したいかではなく、
何なら反応がもらえるか。
そんな風に考える時間が増えている人が少なくない。
気が付くと、自分のために撮っていたはずの写真が、誰かの評価のための写真になっている。
それは、とても苦しいことだと思う。
SNSは便利だ。
世界中の人に見てもらえる。
昔なら考えられなかったくらい多くの人に写真を届けられる。
でもその反面、画面の向こうには無数の他人がいる。
名前も顔も知らない人たち。
その中には優しい人もいる。
応援してくれる人もいる。
でも時には心無い言葉を投げる人もいる。
作品を雑に扱う人もいる。
写真を見ずに否定する人もいる。
そして不思議なことに、人は褒め言葉よりも否定的な言葉の方を強く覚えてしまう。
100人が良かったと言ってくれても、たった1人の言葉で落ち込んでしまう。
そんな経験はきっと誰にでもあると思う。
だから僕は時々思う。
写真をやっている人ほど、一度SNSから離れてみてもいいんじゃないかと。
そしてその代わりに。
写真をプリントしてみてほしい。
展示してみてほしい。
僕はこれまで何度も展示をしてきた。
個展もやった。
グループ展もやった。
写真展の主催もしてきた。
正直に言えば、展示は大変だ。
準備もある。
お金もかかる。
搬入も搬出もある。
失敗だってある。
でも、それでも僕が展示を続けているのには理由がある。
展示には、SNSでは得られない「重さ」があるからだ。
例えば展示会場で。
一枚の写真の前に立ち止まる人がいる。
じっと見ている人がいる。
何度も行ったり来たりする人がいる。
感想を書いてくれる人がいる。
涙を流す人がいる。
静かに「好きでした」と言って帰る人がいる。
その一つ一つが本当に重い。
SNSで1000いいねをもらうことも嬉しい。
でも。
目の前で一人が写真を見つめてくれる時間には、また違う価値がある。
なぜならそこには「時間」があるからだ。
人は本当に興味のないものに時間を使わない。
立ち止まらない。
見返さない。
考えない。
でも展示では、その人の時間をもらえる。
人生のほんの数分かもしれない。
それでも、その数分を自分の写真に使ってくれたという事実はとても大きい。
僕は展示を始めてから、自分の写真に対する考え方が変わった。
SNSの数字はもちろん嬉しい。
でも、それだけが全てではない。
一人に深く届くこと。
誰かの記憶に残ること。
何年後かに「あの展示を覚えています」と言ってもらえること。
そういう価値も確かに存在する。
そして不思議なことに。
展示を経験した人ほど、SNSに振り回されなくなる。
なぜなら知ってしまうからだ。
画面の向こうの数字だけが評価ではないことを。
目の前の一人の存在がどれだけ大きいかを。
作品は数字では測れないことを。
僕はこれまで展示を通じて、多くの写真家や表現者と出会ってきた。
最初は自信がなかった人。
フォロワーが少ないことを気にしていた人。
展示なんて無理だと思っていた人。
でも実際に展示してみると驚く。
「やってよかった」
ほとんどの人がそう言う。
なぜなら初めて、自分の写真が誰かの人生と交わる瞬間を見るからだ。
それは数字では味わえない感覚だと思う。
もし今。
SNSが苦しいなら。
フォロワー数に疲れているなら。
反応ばかり気になってしまうなら。
一度プリントしてみてほしい。
壁に並べてみてほしい。
誰かに見てもらってほしい。
展示は特別な人だけのものじゃない。
有名な写真家だけがやるものでもない。
作品が100枚揃っていなくてもいい。
完璧じゃなくてもいい。
まずは人に見てもらうこと。
そこから始まるものがある。
僕自身、展示を続けてきたからこそ言える。
見えない何千人の「いいね」よりも。
目の前のたった一人の「良かったです」の方が、写真を続ける力になることがある。
もし展示をやってみたい。
作品を見てほしい。
何から始めたらいいかわからない。
そんな人がいたら気軽に相談してください。
僕も最初からできたわけじゃない。
だからこそ、一緒に考えられることがあると思う。
写真は数字のためだけにあるんじゃない。
誰かと出会うためにある。
僕は今もそう思っています。

