掌編小説 墓前の名刺
鎌倉の山あいの霊園。
秋晴れの午後の陽射しが背中に心地良い。
(早いものだ、もう七回忌か)
命日に家族が供えたものだろう、墓石の両側の花はまだ綺麗に咲いている。卒塔婆の墨色も新しく、玉砂利が敷き詰められた墓所には雑草ひとつ生えていなかった。
線香をあげて、無沙汰を詫びつつ冥福を祈った。
持参した二本のビールのうち一本を供え、残りの一本のプルタブを開けた。
「献杯」
端正な顔立ち、落ち着いた物言い。誰からも信頼が厚かった。
飲み屋に行ったって、ちょうどラストエンペラーに出ていたジョン・ローン似で店の娘たちが放ってはおかなかった。
あの人は、俺より三歳上、入社も二期先だっただけだ。
なのに、くも膜下出血で何も言わず逝ってしまった。
入社したばかりで何も分からなかった俺に、すべてをかみ砕いて一から教えてくれた。自分だってまだ何の役職にさえ付いていなかったのに。
営業職が嫌で嫌で堪らなかった。
帰りに居酒屋に寄れば、いつもぼやきと愚痴しか言わなかったような気がする。そんな俺をいつも受け止めてくれた。
「もう少し頑張って続けていれば、きっとなにか楽しさや喜びも見えてくると思うよ。俺もまだその過程だけどな」
そんな風に励ましてくれた。
三年目の秋頃だった。その日も酒が入った俺は愚痴っていた。
「なんで俺が、いつまで、営業やらなきゃいけないんですか」
若さゆえの愚かさだった。傲慢と無知の塊で赤面するばかりだ。
「なあ、評価っていうのは廻りがするものだろう。いくら自分が思っていたって、それだけじゃ何も変わらないよ。営業成績も誰からも文句つけられないくらいにして、そのうえで営業をさせておくのはもったいないと思わせる何かを身に付けなければな。そうやって愚痴っていて気づいたら三十だ、四十だっていう人間がうちの会社にもいるだろう。そうはなりたくはないだろう」
確かそんな話をしてくれた。
帰り道、肩を抱かれて声をあげて泣いたことは忘れない。
その日から何かが変わったような気がする。
挫けそうになると
「また飲み屋で愚痴って終わるのか」
そう言ってくれた。
気持ちを新たにして頑張れた。
もう俺だけは飲みに誘ってくれなくなった。
寂しかったが、俺を思ってのことだと感謝した。
そんな俺が入社四年目の終わりに、あの人は名古屋支店に転勤になった。
「またいつかいっしょにやろうな。俺はおまえを信じてるよ」
照れたように笑って赴任していった。
あの人は地方を廻っていた。俺はなぜか地方勤務を免れていた。
もう一度いっしょに働く機会は訪れなかった。
三十二歳の時、こつこつ続けていた勉強の成果が実って、ある国家試験に合格した。それが社内報の裏表紙の隅に載った。
その時、福岡営業所の次長だったあの人から封書が届いた。
「信じてたよ」
端正な顔立ちに似合わず、昔から悪筆だった。
その手紙は今でも俺の宝だ。
気がつけば墓前でもう三十分もこうしている。
俺の缶ビールはとっくに飲み干している。
墓前に供えたビールを手にした。
「代わりに頂きます」
今、名刺には事業推進本部 事業企画部 部長 と記されている。
それは所詮、会社の中での役割に過ぎない。
秋の陽に照らされて背中は少し汗ばんできた。
内ポケットからボールペンを取り出した。
名刺の裏に書いた。
あの人に教えられた通り、丁寧な字で。
(あなたのお陰でなんとかやってこれました
いつかまたいっしょに仕事がしたかったです
ありがとうございました)
墓所の入口に備えられた石の名刺入れにそっと投函した。
一礼して墓所が並ぶ小路に出た。
残りの缶ビールを飲みながら秋の高い空を見上げた。
あの人は、今の俺に何と言うだろう。
了
