うちの唐揚げは、今 ver.3 だ
うちの唐揚げは、今 ver.3 だ。
台所に手書きのレシピノートが1冊ある。作った料理の分量と手順を書いたノートで、今のところ28品ぶん埋まっている。
このノートには、ひとつだけルールがある。
配合を変えたら、前のページを消さずに、新しいページに書き直す。
だから唐揚げのページは3つある。ver.1、ver.2、ver.3。上書きしない。前のバージョンも、そのまま残してある。
ver.3 の中身(全部書きます)
今のうちの唐揚げは、こうだ。
漬けダレ(鶏もも肉2〜3枚ぶん)
醤油 大さじ3/酒 大さじ3/砂糖 小さじ2/にんにく(すりおろし)小さじ2/生姜(すりおろし)小さじ2/塩 ふたつまみ
衣
薄力粉 適量(漬け込んだ肉に加えて混ぜる)/米粉 50g+片栗粉 25g(=2:1)
段取りはこうだ。前の晩にタレへ漬け込み、当日の朝に粉をつけて、揚げるまで冷蔵庫で半日乾かす。
要点は4つある。
ひとつ、タレに砂糖と塩を入れること。狙いは味付けというより保水のほうだ。
ふたつ、漬け込んだあとに薄力粉を加えて、ねっちょりするまで混ぜること。粉をはたくのではなく、タレごと肉に絡ませる。この状態を作ってから、米粉と片栗粉をまぶす。
みっつ、粉をつけたまま、冷蔵庫で半日置くこと。揚げる直前までひたすら乾かす。唐揚げで一番長い工程が、火にも水にも触れていない時間だというのが、自分でも少しおかしい。
よっつ、二度揚げ。170℃で3分揚げて、油から上げて3分休ませて、もう2分。休ませているあいだに余熱が中心まで届く。外はザクザク、中はジューシー、冷めても翌日もベチャッとしにくい。
ちなみに衣をつけるとき、皮目が外側になるように丸める。皮が外にあると、カリッとするだけでなく、内側の身が蒸し焼きの状態になって肉汁が閉じ込められる。皮はバリアだ。
数字にすると数行で終わる。でもこの数行に辿り着くまでに、ページが3枚必要だった。
ver.1 と ver.2 に、何が足りなかったか
前のページを開くと、いま自分がやっていることの意味がよく分かる。
ver.1・ver.2 の漬けダレには、水が入っていた。 そして砂糖も塩も入っていなかった。
水で薄めたタレに漬けて、粉をつけて揚げる。それでも唐揚げにはなる。ただ、いま思えばあれは「味を付けていた」だけで、肉の側に何かをしていたわけではなかった。砂糖と塩を入れるようになってから、火を通したあとの肉の残り方が変わった。
もうひとつ、薄力粉を加えてねっちょり混ぜる工程が、前のバージョンには無かった。
これを入れてから、味のなじみ方がはっきり変わった。タレが表面を流れていくのではなく、肉と衣の間に留まってくれる感じがある。
たった2箇所だ。水をやめて、砂糖と塩を足した。粉を混ぜる工程をひとつ増やした。それだけのことに、ページ3枚ぶんの時間がかかっている。
変えたことを、自分で忘れていた
ちなみに、この記事を書くために5月の日記を読み返していて、気づいたことがある。
そこには「片栗粉8割、米粉2割」と書いてあった。いまのノートは、米粉2に片栗粉1。2ヶ月のあいだに、比率がまるごと逆になっている。
自分で変えておいて、変えた記憶がない。ノートを開くまで気づかなかった。
こうなると、ノートは記録というより保険に近い。覚えていようと思って書いているつもりだったが、実際には忘れることを前提に書いていたことになる。忘れていい、と決めているから、そのぶん次の一手に頭を使える。
ノートの余白には、理由が書いてある
面白いのは、レシピ本体より余白のほうだったりする。
うちのノートの唐揚げのページには、こう書き足してある。
「衣がより軽やかで、クリスピーになる」
半日乾かす理由のメモだ。表面の水分を飛ばしておくと、油に入れた瞬間に水蒸気が一気に抜ける。だから軽くなる。ついでに衣が肉に密着して、揚げている途中で剥がれない。
塩と砂糖のところにも理由が書いてある。塩は肉のタンパク質をほぐし、そこに糖が入って水分を抱え込む。だからパサつかない。
**「冷蔵庫から出してすぐ揚げる」**というメモもある。常温に戻すと、外側がおいしくなる頃には中心に熱が入りすぎて、肉汁が逃げる。世間では肉は常温に戻すものとされているが、唐揚げに関しては逆、と書いてある。
分量は"どうやるか"で、余白は"なぜやるか"だ。数ヶ月後の自分は、分量は覚えていても理由のほうは忘れている。だから理由を書き残す。
なぜこうするのかが残っているから、次に迷わない。
これがこのノートの本当の効能だと思っている。
ノート自体にも、バージョンがあった
ここまで書いておいて何だが、この理由の書き込みは、最初から全部あったわけではない。
ノートを書き始めたのは3〜4年前だ。当時は分量と手順だけを書いていた。
去年、それを全部読み返した。作らなくなったものは落として、今も作り続けているものは書き直して、「なぜこうするのか」を一品ずつ足していった。 その作業を経て残ったのが、今の28品だ。
つまり、レシピにバージョンがあるだけでなく、ノートそのものが一度作り直されている。
料理の腕が上がったから書き足せた、というより、書き足そうとしたから理由を考えたという順番だったと思う。「なんとなくうまくいく」で済ませていた工程を、言葉にしようとすると調べることになる。塩がタンパク質に何をしているのか、なぜ乾かすと軽くなるのか。その過程で、料理が少し変わった。
書くために考える、というのは、たぶん料理に限った話ではない。
上書き保存をしない、という選択
ふだん僕はAIもクラウドも使い倒しているほうだ。仕事もプライベートも、大半のことはデジタルで処理している。
でもレシピだけは、紙のままにしている。
理由は、たぶんこれだ。デジタルは上書きができてしまう。
ファイルを直せば、前の版は消える。バージョン管理の仕組みを使えば履歴は残るが、わざわざ遡って読み返すことはまずない。一方、紙のノートは追記しかできない。ページをめくれば、下手だった頃の自分が勝手に目に入る。
改良の履歴が"見える場所"に置いてあるかどうか。それだけで、次の一手の質が変わる。
「参考にした」を隠さない
もうひとつ、このノートについて正直に書いておきたいことがある。
28品のうち、完全に自分で考えたものもあれば、プロの料理家のレシピを参考にして、そこから自分なりに変えていったものもある。
昔は、参考にしたことを言うのが少し格好悪い気がしていた。今は逆だと思っている。
唐揚げで言えば、うちのver.3はふたりの料理人から借りている。
漬けダレと、薄力粉を加えてねっちょり混ぜる工程は、賛否両論の笠原将弘さんから。
粉をつけたあと、冷蔵庫で半日乾かすのは、TAKAZAWA の高澤義明さんから。
和食の人とフレンチの人のやり方が、うちの台所で1枚のページに同居している。どちらもそのまま真似したわけではない。水をやめ、砂糖と塩を足し、粉を混ぜる工程を増やす——そうやって動かしてきた結果が ver.3 だ。
参考にする → 自分の理屈で改良する → うちの味として定着させる。
この3段階こそが、たぶん自分の一番得意なやり方だ。ゼロから発明しているわけじゃない。世の中にある良いものを持ってきて、なぜそうなるのかを考えて、自分の家の条件に合わせて作り替えている。ピザも、畑も、走ることも、たぶん全部そうやってきた。
だから記事にするときは、参考元があるものは参考元を書く。そのうえで、自分がどこを変えたのかを主役にして書く。そこにしか、うちのノートの価値はない。
手で覚えるバージョン管理もある
ちなみに、ノートに1ページも書いていないのに ver. が上がり続けている料理もある。
広島風のお好み焼きだ。
小2から高校卒業まで広島に住んでいて、地元の名店のカウンターで、職人の手元をひたすら見て覚えた。レシピを教わったわけではない。目で盗んだ。
だからノートには書けない。書けないまま、20年以上かけて手のほうが更新されていった。昔はフライパンを2つ使って移し替えるときに、もやしやキャベツをよくこぼしていた。今は、もやし一本もこぼさない。
ノートに残るバージョンと、体に残るバージョンがある。
前者は考えたことの記録で、後者は繰り返したことの記録だ。どっちも、消さずに積み上げてきたという意味では同じだと思っている。
たぶん ver.4 がある
唐揚げは、まだ完成していない気がしている。
ノートの端には、応用のメモも書いてある。漬けダレにレモン汁か酢を少し。昆布茶かナンプラーを数滴。
どちらも試した。レモンを入れると後味がすっきりするし、昆布茶を入れると味わいが深くなる。効いているのは分かっている。
それでも、まだ手順のページには書いていない。端のメモのままだ。書いた瞬間に、それが ver.4 になってしまう。
粉の比率は、気づかないうちに逆になっていた。こちらは、まだ書けずにいる。
そのときも、ver.3 のページは消さない。
完成形の分量だけが書かれたノートより、なぜそこに辿り着いたかが残っているノートのほうが、たぶん後から効いてくる。理由の書いていない正解は、応用がきかないから。
