「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第十四回●鎌倉右大臣●〜
今回は少し時代が下って、源実朝こと鎌倉右大臣(1192〜1219)を紹介します。
実朝は頼朝の次男。母は北条政子で兄(嫡男)は第二代将軍頼家という武家政権の中枢にいた人物です。第三代将軍であると同時に教養に富む歌人でもありました。
将軍邸では歌会も開かれ、鎌倉歌壇が形成されます。実は何かと義経との確執に焦点が当てられがちな父・頼朝も百人一首歌人・慈円と77首もの歌を交わしている文化人でした。
頼朝の歌は『新古今和歌集』にも選ばれていて、あの西行とも会談しています。褒美に与えられた銀の猫は速攻で遊んでいた子どもたちに与えてしまったみたいです。西行らしいですね。
実朝は将軍らしく「世の中」についてこんな歌を詠みました。
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ
海人の小舟の 綱手かなしも

意味)世の中が永遠に変わらないものであったらいいのに。あの渚を漕ぐ漁師の小さな舟を綱で引いていく景色の、何と愛おしいことだろう。
実朝は13歳で将軍となり、武士として初めて正二位・右大臣に任命されました。渡宋を計画していたようで、武張った人というより浪漫を愛する感受性豊かな人だったのではないかと思います。
この歌は『古今集』の本歌取りで、高い地位にありながらも民を優しく見つめる目線に、どこか温かな人間味を感じることができます。

「もがな」は願望の終助詞。永遠を願っています。「かなしも」は慈しみを感じる言葉で、いとしい、惹きつけられるの意。
しかし。運命は残酷なもので、実朝の人生は突如終わりを迎えます。右大臣になった翌年、鎌倉の鶴岡八幡宮を参拝した実朝は兄・頼家の遺児で甥にあたる公暁によって暗殺されました。まだ28歳でした。

皮肉なことに彼の死によって頼朝以来の源氏将軍の血は途絶え、北条一族による政治が始まることに。
三代続くことの難しさを知っていたのでしょうか、さらに時代を下り徳川家康は三代・家光将軍まで長生きして見届けて亡くなっています。御三家を制度化したのも偶然ではないと思います。それだけ一族が長く幸せに生きることが難しい時代だったのでしょう。
では実朝の歌に寄せ、もりやま作を。
四方(よも)の海 散るや惜しくも 命ある
君が調べを 聞かまほしきに

意味)四方を海に囲まれたこの国で貴方は惜しくも命を散らしてしまった。もっと長生きして、歌をたくさん聞きたかった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回も「世の中」についての歌を取り上げます。どうぞお楽しみに!!
