私を構成する音楽 : File.01 ずっと真夜中でいいのに。 #83
はじめに
音楽には“ 好き ”を超える瞬間があります。
理屈よりも先に身体が反応する感覚。
それをはっきりと自覚したのが、NHK SONGSで放送されたスタジオライブです。
1時間という濃密な時間の中で、私は完全に心を持っていかれました。
その主役が、ずっと真夜中でいいのに。
このシリーズでは、私が心を奪われたアーティストを一人ずつ紹介していきます。今回はその第1回。
ずとまよとの出会いから始めます。
◇声が“ 楽器 ”になる瞬間

最初に衝撃を受けたのは、ボーカル・ACAねの歌唱力。
ささやきのように始まるフレーズ。
息が触れる距離感。
そこから一転、突き抜けるようなハイトーンボイス。
しかもそれが誇示ではなく、歌詞の物語の必然として鳴っています。
音域が広い、という言葉では足りません。
感情の振れ幅そのものが広いのです。
強さと脆さ、冷静さと衝動。それらを一曲の中で行き来する。
複雑に跳ねるメロディを軽やかに乗りこなす姿は、まるで即興のようでいて、実は極めて精密。
その声は“ 歌 ”というより、ひとつの楽器なのです。
◇日用品から生まれる、未来的サウンド

ずとまよの魅力はボーカルにとどまらない。
特に印象的なのが、自作楽器「 扇風琴 」。
古い扇風機を改造して音を生み出すという発想は、遊び心の塊。
見た目はユーモラス。
けれど、そこから生まれる音は驚くほどの迫力さ。
ギター、ベース、キーボード、緻密なリズム。
各パートの技巧は高いのに、決して自己満足に終わらない。
音がすべて“ 物語の一部 ”として配置されているのです。
ポップでありながら実験的。
親しみやすさと尖りが同時に存在する。
そのバランス感覚が、唯一無二の世界観をつくっています。
◇ライブは「 公演 」ではなく「 体験 」

ライブではさらに常識が揺さぶられる。
演奏中に料理を始める。
包丁の音がリズムになる。
タップダンスが加わる。
音楽、パフォーマンス、美術的演出が溶け合い、境界が消える。
さらに、ライブ映像作品は「 魔導書 」というコンセプトで展開されている。単なる記録メディアではなく、世界観を拡張するアイテムとして存在している点も興味深いのです。
トレーディングカードの展開も含め、音楽体験が立体的に広がっていく。
“ 聴く ”から“ 没入する ”へ。
アーティスト・ずとまよはその移行を自然にやってのけているのです。
◇顔が見えないからこそ、音が残る

顔を出さないという選択。
情報が溢れる時代において、それは逆説的に強い。
私たちは表情ではなく、声の揺らぎを聴く。
ビジュアルではなく、音の質感に集中する。
匿名性は距離を生むどころか、むしろ想像力を呼び覚ます装置として機能しています。
◇このシリーズについて

今回から始めるこの音楽シリーズでは、
ジャンルも世代も問わず、私自身が「 一生聴いていたい 」と直感したアーティストを紹介していきます。
今回は、ずっと真夜中でいいのに。
次回は、まったく異なる世界観を持つ別のアーティストを取り上げる予定です。
音楽の好みは、その一人ひとりの人生の断片でもあります。
この連載が、誰かの“ 新しい出会い ”のきっかけになれば嬉しいです。
本日もご拝読いただき、ありがとうございました。
追伸
私のお気に入りの曲は
「 ミラーチューン 」と「 花一匁 」です♫
・ずっと真夜中でいいのに
https://zutomayo.net/
・NHK SONGS ずっと真夜中でいいのに。出演番組
https://www.web.nhk/tv/an/songs/pl/series-tep-7QRYY2G3VN/ep/M8L5W6N612
