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りくりゅうペアから考える『後付けの物語』と教育現場の合理的配慮

Marblous QuestのCEO、ぴろさん。です。

三浦璃来選手と木原龍一選手が、ミラノ・コルティナで金メダルを取ったとき。 私たちは、二人の関係について、いろんな物語を語りました。
ショートでのミス。 フリーでの逆転。 あの流れの中で見えた、二人の立ち位置の揺れ。 あの曖昧さが、私たちの想像を一気に広げました。

二人がどう支え合ったのか。 どちらがどちらを引き上げたのか。 本人たちは多くを語りません。 その沈黙が余白になって、私たちは勝手に物語をつくっていきました。
「きっとこうだったんだろう」と、過去をそれらしく並べ直す感じです。

この“後から理由をつける”流れは、教育の現場でもよく見ます。
特に、学習障害や発達障害のある子が支援を求める場面です。
学校が支援をためらうとき、その理由が「あとからつくられた物語」になっていることがあります。

よく聞く言葉があります。
「公平じゃない」 「本人のためにならない」 「前例がない」 「努力すればできる」
どれももっともらしく聞こえます。 けれど、実際には“支援しない”という結論が先にあって、そこに理由を足しているだけのことがあります。

りくりゅうの関係を「こうだったはず」と語るのと同じです。
学校は、子どもの困りごとを「こういう理由で支援しないほうがいい」と物語化してしまうことがあります。
物語のほうが強く働いてしまい、事実がかき消されることもあります。

子どもの困難ははっきりしません。
支援の効果もすぐには見えません。
その曖昧さが、学校にとって「動かない理由」になってしまうことがあります。

けれど、本来その曖昧さは、支援を止めるための口実ではないはずです。
一緒に考え続けるための余白です。 りくりゅうの関係を、私たちがあえて“はっきりさせないまま”受け止めているように。
子どもの困難も、すぐにラベルを貼って終わらせるのではなく、曖昧なまま丁寧に向き合うことが必要です。

教育の場で大事なのは、後付けの物語で支援を閉じないことです。
曖昧さを怖がらずに、子どもの「助けてほしい」という声を受け止めることです。
りくりゅうの物語が教えてくれたのは、曖昧さには人を惹きつける力があるということでした。
教育でも、曖昧さを排除するのではなく、子どもと向き合うための大事な資源として扱えるはずです。

Written by ぴろさん。

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