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いつから「車社会」は悪い言葉になったのか?

車は便利である。

家の前から目的地の前まで行ける。荷物も積めるし、家族も乗せられる。雨の日も、暑い日も快適に移動できる。そして何より、どんなところまでも運んでくれる。

それなのに、最近は「車社会」という言葉に、どこか悪いイメージがついている。

車社会は、本当に悪いものなのだろうか。今回は、その成り立ちから考えてみたい。


1.車社会は「不合理な暴走」ではなかった

■鉄道による郊外化

1872年、新橋・横浜間に日本で最初の鉄道が開通した。そこから日本全国へ鉄道路線が広がっていく。

明治期の鉄道は、都市と都市、産業上・軍事上重要な場所を結ぶインフラだった。人だけでなく物資も運び、近代国家を支える骨格となった。

これに対して、明治末から大正期にかけて、都市周辺の私鉄が大きな役割を持つようになる。私鉄は人を運ぶだけでなく、沿線に住宅地をつくり、商業施設や学校を配置し、「沿線に住む」という暮らしそのものを売っていった。

戦後の人口増加と住宅難を背景に、私鉄沿線の住宅開発が本格化した。都市部の過密から離れ、郊外の広い家に住む。都心で働き、郊外へ帰る。そうした暮らし方が、新しい理想のひとつとして広がっていった。

■自動車による郊外の郊外化

1960年代以降、自動車が普及すると、郊外の形はさらに変わる。

それまでの郊外化は、鉄道駅を中心にしたものだった。私鉄沿線では駅を中心に住宅地が開発され、国鉄沿線では既存市街地が通勤圏に組み込まれていった。

ただ、国鉄沿線の駅前はすでに市街地であることが多く、新たに大規模な住宅地をつくるには使いにくかった。

そこで住宅地は、既存市街地の外側へ広がっていく。そこには比較的安く、まとまった土地が残っていた。車がなければ不便でも、車があれば住宅地として成り立つ。

生活者は駅前より安く、広い住宅を手に入れられる。開発する側も、既成市街地を再開発するより、外側の土地を宅地化する方が進めやすい。

こうして、鉄道による郊外化に、車による「郊外の郊外化」が重なっていった。ニュータウンなどの郊外住宅地は、その象徴である。

■ロードサイド化による中心性の喪失

もともとニュータウンにも、スーパーなどの生活サービスは配置されていた。日常生活を住宅地の中で完結させる構想だった。

しかし次第に、住民は安く、品ぞろえが豊富で、夜まで開いている店へ車で向かうようになる。

事業者にとっても、幹線道路やバイパス沿いは使いやすかった。駅前や旧市街地より広い敷地を確保しやすく、大きな売り場で多様な需要に対応できる。

共働きが増え、生活時間が変わると、仕事帰りや夜に買い物できる店の価値も高まった。一方、中心市街地には住居があり、深夜営業には騒音や照明の問題も生じる。

こうして住む場所と買う場所が分かれ、中心市街地は中心性を失っていった。

それは車社会の暴走というより、暮らし方と商業の変化に合わせて、都市の形が組み替わった結果だったともいえる。


2.「車が中心市街地を寂れさせた」という誤解

ここまでは、大都市圏の郊外化の話だった。では、地方ではどうだったのか。

■地方から大都市へ向かう若者

戦後の1960年代、ベビーブームで若い人口が増え、高度経済成長期の都市部では多くの働き手が求められた。

農村や地方の集落に十分な仕事がなければ、若者は大都市へ出ていく。集団就職は、その象徴である。

地元に住み続けたくても、仕事がなければ暮らせない。家や農地、地域のつながりを残したくても、現金収入を得るには都市へ出るしかなかった。

■産業と集落を結んだ車

その後、地方都市の周辺にも工場が立地し、働く場所が広がっていく。大都市へ出なければ得られなかった産業の仕事が、地方にも生まれ始めた。

車が普及すると、集落に住みながら工場や会社へ通勤できるようになる。企業も周辺の集落から働き手を集めやすくなった。

車は、地方の産業と集落を結ぶ役割を果たしたのである。

■商業と生活圏を広げた車

車は、働く場所だけでなく、日常の生活圏も広げた。

集落に住みながら、地方都市へ買い物に行き、病院や銀行を利用できるようになった。車の普及だけが理由ではないが、周辺地域から人を集める手段となり、地方都市の商圏拡大を支えた。

駅前のデパートや商店街には、銀行、病院、映画館、飲食店が集まり、中心市街地は地域全体の「まちの顔」となった。

つまり、車は最初から中心市街地の敵だったわけではない。むしろ一度は、地方都市へ人を集め、その中心性を強めたのである。

■結果として残った文化や風習

車があったからこそ、集落に住み続けられた人たちもいた。

外で働き、地方都市のサービスを利用しながら、家は集落に残す。農地を守り、祭りや地域行事、親戚づきあいを続ける。外の世界とつながれたからこそ、残った暮らしもある。

もちろん、すべての集落が守られたわけではない。けれど車がなければ、もっと早く人が抜け、失われていた地域もあったはずだ。

その後、車社会がさらに進むと、地方都市そのものも郊外化する。1990年代以降、商業の中心は駅前や商店街から、幹線道路沿いのロードサイドへ移っていった。


3.車社会が「重荷」に変わった本当の理由

ここまで見てきたように、車社会はかなり合理的に広がってきた。大都市圏では郊外住宅を広げ、地方では集落と産業、集落と地方都市を結びつけた。

それが今、不安や負担として語られるのは、車社会そのものが急に悪くなったからではない。車社会を支えてきた前提が崩れ始めたからだと思う。

■運転できなくなる高齢者

高齢になれば、誰もが若いころと同じように運転し続けられるとは限らない。視力、反応速度、判断力、体力は少しずつ変化する。運転に不安を感じ、家族から免許返納を勧められることもある。

しかし、車の便利さを知っている人ほど、車のない生活へ移るのは難しい。

地方では、車なら15分程度で行ける10kmほどの移動が、公共交通では30分以上かかり、片道500円を超えることもある。免許返納者へバス券やタクシー券を出す自治体もあるが、それで車の生活圏を丸ごと置き換えられるわけではない。

今は運転できても、いつか自分も車社会から降りるかもしれない。その想像が、車社会への不安を切実なものにしている。

■車を持ちにくくなった若者

若者は、運転能力ではなく、経済的な理由で車社会に入りにくくなっている。

大学進学率はすでに5割を大きく超え、奨学金を受けて進学する学生も多い。貸与奨学金を利用すれば、社会人になる時点で数百万円規模の返還を抱えることもある。

そこに車の費用が加わる。調査方法が異なるため単純な比較はできないが、自工会の調査では、2003年度の新車平均購入価格は200.1万円だったが、2025年度調査では331万円となっている。軽自動車でも、新車購入時の平均価格は196万円である。購入後も、保険、税金、燃料代、メンテナンス費が続く。

地方で暮らすには車が必要だと言われても、奨学金の返還を抱える若者が車を持つのは簡単ではない。車は自由の象徴から、地方で暮らし始めるための高い入場料へ変わりつつある。

■家族で支えていた車社会

しかし、高齢者だけ、若者だけの問題と考えると少し危うい。

実は、車社会は以前から、家族の支えによって成り立ってきた面もある。高齢者が運転できなくなれば、近くに住む子どもが買い物や通院を手伝う。若者は親の車を借り、おさがりをもらい、購入費や維持費を援助してもらう。

つまり、車を使えない人や、まだ持てない人の負担は、家族の中で引き受けられてきた。

高齢者の移動や若者の購入負担は、今になって生まれた問題ではない。これまでは家庭内で処理され、社会問題として見えにくかったのである。

ところが、子どもの数は減り、進学や就職で親子が離れて暮らすことも増えた。近くに住んでいても、共働きで送迎する余裕があるとは限らない。親世代も、若者の車を支援できるほど余裕があるとは限らない。

問題が新しく生まれたのではない。家族だけでは支えきれなくなり、以前からあった負担が表に出てきたのである。


4.私たちは「車社会の正解」を見失っている

では、どうすればよいのだろうか。

まず思い浮かぶのは、コンパクトシティである。
住宅や商業、医療、公共施設を集約すれば、公共交通で暮らしやすい都市をつくれる。しかし、郊外化が進んだのは、広く、比較的安価な住宅を供給できたからでもある。庭付き一戸建ては理想の住まいであると同時に、中心部の高額な住宅を買えない人にとって、現実的な選択肢だった。

公共交通の充実も必要である。
ただ、低密度に広がった住宅地や集落を支えるには、大きな維持費がかかる。自治体が負担すれば財政を圧迫し、利用者が負担すれば運賃が上がる。現役世代の税負担を増やせば、若者が車を持つ余力はさらに小さくなる。

自動運転にも期待は集まるが、現時点では技術面、費用面の課題が残る。全国の地方都市や集落を一気に支える切り札にはなっていない。

だからといって、再び家族に負担を戻すこともできない。


それでも郊外化は続いている。


広く、手頃な住宅を求める人がいる限り、その流れを止めるのは難しい。しかし、今は車を使える人も、いつかは運転できなくなる。将来の移動手段が見えないまま新しい住宅地がつくられ続けているとすれば、同じ問題を将来へ送り続けているようにも見える。

合理的につくられた社会でありながら、その社会から外れた人をどう支えるのかという答えが見つかっていない。

その不安こそが、「車社会」という言葉に、以前にはなかった重さを与えているのではないだろうか。



この記事の教訓

  1. 合理的な選択も、時代が変われば問題になる
    車社会は、安い住宅、広い生活圏、地方での雇用を実現する合理的な仕組みだった。問題は、当時の選択そのものではなく、それを支えた条件が変わったことである。

  2. 便利さの裏側には、見えない支えがある
    高齢者の送迎や若者への車の援助など、車社会は家族の支えによって成り立ってきた。その負担が家庭内に隠れていたため、社会の課題として見えにくかった。

  3. 社会から「降りる人」と「入れない人」を忘れてはいけない
    高齢者は運転できなくなり、若者は費用負担によって車を持ちにくくなる。便利な社会でも、参加できない人が増えれば、その仕組みは重荷へ変わる。

  4. 単純な解決策は、新たな問題を生む
    コンパクトシティ、公共交通、自動運転にはそれぞれ可能性があるが、住宅価格や財政負担、地域格差など別の課題も生じる。ひとつの正解ですべてを解決することは難しい。

  5. 将来の移動まで含めて住宅地を考える
    今は車を運転できても、いつかはできなくなる。住宅を供給する段階から、車を使えなくなった後も暮らせる仕組みを考える必要がある。


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