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私の宝物 ~ 「火の鳥」とその世界観

手塚治虫(本名「手塚治」)氏は、日本のマンガやアニメの基礎を築き、「マンガの神様」と呼ばれた偉大な漫画家です。

それまでの日本マンガ界の概念を根本から覆し、ストーリー・マンガ(注1) という新しい表現法を確立するとともに、

アニメ界でも日本中を席巻する等、彼が描いた数々の作品は、文学や映画をはじめ、あらゆるジャンルに大きな影響を与えました。

(注1) 長編のシリアスな物語や登場人物の生と死を描いた表現法のことで、カメラワーク的なアングル、キャラクターの豊かな感情表現、ドラマチックなストーリー展開など、当時としては画期的なものだった

生い立ち
手塚治虫は、1928年、大阪府豊中市で生まれ、兵庫県宝塚市で育ちました。

現在の宝塚の街並み
上:阪急 宝塚駅 下:宝塚大劇場
《兵庫県宝塚市栄町》
(Photo by ISSA)

父親はカメラや映画が趣味、母親は漫画好きで、家には映写機があり、幼少期からディズニーなどの海外アニメに触れて育ったそうです。

手塚治虫記念館
《兵庫県宝塚市武庫川町》
(Photo by ISSA)

当時の宝塚は、未だ都市開発が進んでおらず、至る所に雑木林があり、

当時の宝塚の様子
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

昆虫マニアだったこともあり、小学5年の頃から「オサムシ」(注2) というペンネームを使い始めました。

「治虫」の原点となった「オサムシ」
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

(注2) 羽はあっても飛ぶことはできず、地面を這いつくばってミミズやカタツムリ、他の昆虫などを食べる肉食性の甲虫で、綺麗な光沢色のボディが、マニアの間では人気なのだという

少年時代の執筆作品
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

戦争体験が作品に深みを与えた
中学の頃、戦争が激化。教師から、マンガを描くことを禁じられます。

1945年6月、16歳の手塚は、動員先の軍需工場でB-29による空襲に遭い、大量の焼夷弾が降り注ぐ中、彼が入るはずだった防空壕に焼夷弾が直撃。

防空壕に逃げ遅れたことで、奇跡的に生き延びる(注3) ことになったのです。

NHK アーカイブス
生命の尊さを知った空襲体験
手塚治虫さん
(2015年1月31日放送)

(注3) このときの強烈な体験と、映画や昆虫に夢中になった少年時代の記憶が相まって、やがて「生命の尊厳」という壮大なテーマが、彼の作品の中で開花することになっていく

医学の道へ
戦行中から医師を目指し、戦後に合格。後に医師免許を取得し、医学博士の学位も得ます。

大学在学中の1946年、4コマ漫画「マァチャンの日記帳」でプロデビューを果たしました。

戦後、間もない1946年にプロデビュー
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

しかし、大学卒業を控えた1950年頃、医学生と漫画家の両立が限界に来ていたので、どちらを選ぶべきか母親に相談したところ、

「あんたの好きな方をやりなさい」

と言われ、漫画家として生きる決意を固めたそうです。

その後、東京での仕事が急増したため、1952年に上京し、四谷の「八百屋」などを仕事場にしていました。

1953年5月、四谷の部屋が手狭になったため、豊島区にある有名なアパート「トキワ荘」に入居します。

トキワ荘マンガミュージアム
《東京都豊島区南長崎》
(Photo by ISSA)
トキワ荘マンガミュージアム
《東京都豊島区南長崎》
(Photo by ISSA)

トキワ荘では、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などのヒット作を次々と発表する傍ら、

トキワ荘時代に生まれた数々の名作
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

後に漫画界の巨匠となっていく若手漫画家に絶大な影響を与えました。

トキワ荘マンガミュージアム
《東京都豊島区南長崎》
(Photo by ISSA)
トキワ荘通り
《東京都豊島区南長崎》
(Photo by ISSA)

1962年には、虫プロダクションを設立し、

虫プロダクション設立時の会社案内
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

日本初の国産TVアニメ・シリーズとなった「鉄腕アトム」を制作しました。

少し話はそれますが、1960年代、手塚は、後に「アンパンマン」を生み出す、やなせたかし(本名「柳瀬 嵩」)にも大きな影響を与えています。

朝ドラ「あんぱん」のワンシーン

1967年、手塚は柳瀬に電話をして、アニメ映画「千夜一夜物語」のキャラクター・デザインを依頼します。

柳瀬は手塚と同じ机で作業し、その圧倒的で天才的な仕事ぶりに大きな衝撃を受けるとともに、

数多くのキャラクターをデザインする経験を積んだことが、後に沢山のキャラクターが登場する「アンパンマン」(注4) の礎となりました。

(注4) 1969年、月刊絵本「十二の真珠」の中で、初代「アンパンマン」が誕生。その後、キャラ数は増え続け、2009年に「単独アニメでのキャラ数」が世界一としてギネス世界記録に認定され(認定時の数は1768体)、現在ではキャラ数が2300体を超えている

手塚は柳瀬に、感謝の印として「虫プロの予算で、何でも好きなアニメを作っていいですよ」ともちかけ、

柳瀬は自身の絵本である「やさしいライオン」のアニメ化を希望し、自ら監督を務めました。

他方で、柳瀬は、手塚をはじめとする若き天才漫画家たちに比べて、自分には代表作が何もないという劣等感に苛まれていました。

ある冬の深夜、暗闇の中で電灯に手のひらをかざしたところ、指の隙間から真っ赤な血の色が透けて見えました。

その時、柳瀬は「体の中の血はこんなに元気よく流れている。自分はまだ生きているんだ」と、そう思い直して、名曲「手のひらを太陽に」の詩が生まれたといわれています。

「手のひらを太陽に」のポストカード
熊本市現代美術館で催された
「やなせたかし展」で購入☆
(Photo by ISSA)

話を手塚治虫に戻しますが、1970年代以降、彼は「ブラックジャック」、「三つ目がとおる」、「火の鳥」、「アドルフに告ぐ」など、

生命や人間を描いたヒット作を世に送り出しました。

「火の鳥」「ブラックジャック」「鉄腕アトム」
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

1976年5月、手塚プロダクション(旧・虫プロ)は、新宿区高田馬場に移転し、現在に至っています。

株式会社手塚プロダクション
《東京都新宿区高田馬場》
(Photo by ISSA)

「アトムは、高田馬場にある科学省で造られた」という作中の設定から、高田馬場は「アトム誕生の地」とされ、駅ではアトムのテーマ曲が発車メロディに使われています。

手塚治虫は、1989年2月、胃がんのため60歳で亡くなりました。

「火の鳥(太陽編)」が、彼の最終作となりました。

手塚治虫からのメッセージ
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

超人的なスケジュールをこなし、亡くなる直前まで「頼むから仕事をさせてくれ」と言いながらペンを握り続けました。

物事に情熱的に取り組む人は、どこか「これは自分にしか出来ないこと」という使命感を秘めているように思います。

私 ISSAも大ファン
何を隠そう、私 ISSA も手塚治虫の大ファンで、1980年代後半に発刊された「ブラックジャック」のハードカバー豪華版や、

「ブラックジャック」全12巻
(Owned by ISSA)

「火の鳥」のハードカバー豪華版などは、30数年の時を経てもなお、大事に保管してあります(私の宝物です)。

「火の鳥」全12巻
(Owned by ISSA)

幻の「現代編」と無限ループ
特に、「火の鳥」で描かれる世界観は、子供の頃から私の心を捉えて離しませんでした。

「火の鳥」は、下図のとおり、遠い過去から現在に下っていく奇数巻と、遠い未来から現在へと遡っていく偶数巻が交互に発表されました。

本来なら、順行する過去と、逆行する未来が、現在に収束する形で完結する予定でしたが、

「火の鳥」シリーズの発刊順序
(Created by ISSA)

彼の死により「現代編」が描かれることはありませんでした。

その結果、(彼が意図したものかは分かりませんが、)下図のように、シリーズ全体が「無限ループ」の世界を生み出す(注5) ことになったのです。

「火の鳥」シリーズの時間軸
(Created by ISSA)

(注5) 「未来編」では、人類が核戦争で滅亡した後、不老不死になった主人公・マサトが、何十億年もかけて地球の生命が再生していく様を見守り、人類の誕生を見届けたところで物語は終わるが、その新しく誕生した人類の歴史が、再び、第1編の「黎明編」に繋がっていく

「火の鳥」は、コスモゾーンの象徴
私たち人間が、無限ループという「輪廻」の中で、何度も戦争という同じ過ちを犯し、繁栄と衰退を繰り返しながら、不老不死を求めて彷徨い続ける姿を、

火の鳥は、常に宇宙の生命の意思、つまり「コスモゾーン」という立ち位置から、静かに見守っているのです。

手塚治虫が歩んだ道は、まさに「生命の
正しい使い方」を体現するものであった

「現代編」がどのようなストーリーだったか気になる方は、手塚が遺した原稿用紙2枚ほどの構想メモを下地として、

直木賞作家の桜庭一樹氏「小説 火の鳥(大地編)」を執筆されていますので、そちらをご一読ください。

手塚アニメの魅力とは
手塚治虫のマンガやアニメの魅力の一つとして、「スター・システム」が挙げられます。

スター・システムとは、様々な作品において同じキャラクターが、別の役柄を演じる手法このことで、

例えば、TVアニメ「海底超特急 マリンエクスプレス」などは、

ブラック・ジャックお茶の水博士、私立探偵の伴俊作(ヒゲオヤジ)、鉄腕アトム、リボンの騎士サファイヤ、三つ目のシャラクといった、

手塚作品のオールスター・キャストが登場することで話題となった作品でした。

そして最大の魅力は、手塚作品は、どれも壮大な人生観と繋がっていていることではないでしょうか。

ブラックジャックの一節
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)

主人公たちから発せられる魂の叫びが、私たちの心の奥底で燻っている何かを呼び起こすのです。

時折みせる、こうした一つ一つの描写や言葉が、「人として如何に生きるか」という根源的な問いへの答えとなって、

その後の価値観や行動規範に大きな影響を与えたように思います。

おわりに
1980年代は、スマホやパソコンもなれば、エアコンはまだまだ贅沢品だったので、

夏休みは友達同士、それぞれマンガを持ち寄って、扇風機をブンブン回しながらコミックを読み耽っていたものです。

時代はずいぶん変わりましたが、あの頃ほど、冒険やロマンに溢れていた時代は無かったように思います。

「サイボーグ009」全20巻
(Owned by ISSA)
「宇宙戦艦ヤマト」
(Owned by ISSA)

数十年の時を経て、あらためて「私の宝物」を手に取ってみると、そこに凝縮された人生観や倫理観は、今もなお、光り輝く素晴らしい存在だと思いました。

今の子供や若者たちにも、是非、読んで貰いたいですね。

火の鳥
《兵庫県宝塚市・手塚治虫記念館》
(Photo by ISSA)
トキワ荘マンガミュージアム
《東京都豊島区南長崎》
(Photo by ISSA)

いつも、ありがとうございます🍀