#書く人生が始まった瞬間・・小4年の時の親子読書の感想文書き、1年で54冊、ステージの変化、男と本と山と病院・・業が深い。

 書くこと、小4年生の時の親子読書という宿題から、本を1冊読み終えたら、必ず感想文を書きなさい。と担任の先生の厳しい指導。

 律儀にも守り抜いて、最初は親子読書で、触りは母が音読して、そのあとは自分が音読。それが読書習慣の始まり。
 読んでいると、徐々に物語に入ってしまい、涙声になってしまったり。それを見られるのが恥ずかしくて、母親はもう関係なしで、また本を借りてきては読んで、感想文を提出しての繰り返し。

 先生も赤ペンでチェックしてくれて、最後に先生のもとへ返す。
先生がそれを36人クラスの児童一人一人のファイルのように管理してくれて、4年生終了時、表彰状をもらった。1年で54冊読んだ。
子供の頃は、それだけかな。

 で、社会人になってからは、姉が立派な表紙の5行日記を最初の1ページで投げ出したものを、勝手にもらい受けてまた書き始める。
 最初は、万年筆を買い求めて、気になるなあという男性に思いみたいなものを書き連ねて。相手はその気がないなあという時もその思いを書いていた。ふられたという気はしない。勝手な片思いとわかっていたから。
 電車通勤になって、電車読書を始めた。
やっぱり、小学生の時の気持ちが湧いてきて、感想文をまとめるようになった。気になる表現を写し書きしていた。映画の感想文も。

 またその頃、新しい男性が現れ、心が揺れ動き、その揺れを書いていた。
私なんて、男と本と山が起爆剤のような気がしてならない。

 話は変わって、山に登ったら、必ず報告書を書いて出すようにというどこでもある山岳会のルール。時には、会報の編集、印刷、製本までやっていた。

 内容は、めんどいときは、山岳雑誌のネタを拾い上げ、そのまま丸写し。
クレームは来る。クレームにも耐えて、それでも書き続けた。
 ある時は、入山料問題で営林署に山岳会としての意向伝えるのを誘われるがままついて行ったら、テレビクルーがきて撮影。東京からは自然保護の大家の方まで見えて。あまりに私ともう一人の男性がふざけて笑わせるものだから、こいつら態度が悪い!と見られたか、その大家のお人が「あなた、報告文を書いて、全国紙(新聞じゃなくて、機関紙)に書くこと!!と、大目玉をくらい、必死になって書いて、印刷までの締め切りがあるので、あの頃、ファクシミリというものは電電公社でしか借りられなかった。電電公社まで出向いて幾ばくかのお金を払い、送信した。あとで、全国本部の自然保護の担当者に「あれでよかったですかね?」と聞いたら、頷いてくれた。だって、それだけの脳しかないから。
 辛かったのは、遠征記録。山は台湾の玉山。富士山より少し高いが、高山病に悩まされ登ったはいいが、帰国後体調を崩して、寝込みながらもB4の藁半紙に報告の土台となる記録を手書きで書き綴り提出。それを高校の先生がワープロで打ち直し、校正加筆もしてくれ報告書がなんとか完成。

 一冊目の日記は、家を出る時、父や母が読んだら、「ケチなもんかきゃあがって!」と言われるだけなんで、裏庭で燃やした。もったいない。今までの読書記録が消えてしまった。実は、実家のあるつまりは田舎の図書館のある棚を右から左まで、全部ではないが気になった本をシラミつぶしに読んでいた記録なのであった。「歓喜の街カルカッタ」「バクダット幽囚」他、面白い本を読んでいたのに。今その本を探し出そうとしてももう存在しないかもしれない。若さの塊の遺産だった。

 夫と付き合い始めた頃は、姉の日記はいっぱいになってしまって、三省堂で、日記帳みたいなチャプター付きのものを買って、また男と女の絡みを書き込んでいた。

 その頃、読んでいたのが、野坂昭如先生の「エロゴト師」、すぶやんの最期の男根の印象が強くて、書き写している。完璧なるアホ沼に陥っている。

さらには、夫がどう思っているのか、心の揺れ。単なる遊びだわ!とマイナスになったり、燃えたり。

「今冬は、乗鞍にラッセルに入る。」という遺書めいたことを書いたり、
痒みが止まらなかった苦労。ほとんどつぶやき程度。

線香花火の瞬間の闇を書く、まともな時もある。

あとは、舞台のお勉強。専門用語を書き並べ、英語も勉強。

なんでも日記になっている。


 2冊目を持って、夫との生活。夫、深夜にこそっと人の日記を読んでは付箋をつける。変態夫婦。
私は、夫が留守の時に、夫の日記を読む。私のことをケチョンケチョンに書き殴っている。
 奴には、想う人がいた、ところがふられたらしい。

 美人は三日で飽きる。ブスは、瞬間技で可愛く見える時もある。どうだまいったか。彼は体躯が貧弱でハゲでも、鍛えあげればカッコ良くも見える時がある、これでおあいこ。

 さらに書く、という因縁は、病院に入院して毎日毎日、日記を書いて出しなさい。ナースがチェックする。おまけに生まれてから、今までの経緯を書きなさいと自分歴を書き綴らなければ、退院させてくれない。その時は、薄い大学ノート。

 日記以外にも、内観とやらで、先生が診察ごとにテーマを出してくれるので、そのテーマについて、ない知恵を絞り、国語辞典を開き良い語句をぺらぺらと辞書をめくり、探す日々。この一語を入れたら、先生の印象も良くなるだろうと。本も禁止、眺めるのは国語辞典だけだった。まるで刑務所か、留置所のようだった。それが一度でなく二度三度四度と出たり入ったり。その度に、夫は、病院へ最初の入院の日記帳から全て袋に入れて持ってくる。


 コロナ後、凸凹家族の闇の深さ。母の罵声と、気の合わない姉との軋轢を日記に書き始めた。途中からnoteやら、小さいメモ帳に下書きをして書いている。

 最近気がついたのは、書いていれば、観察力がつき、見方も違ってきて、以前重荷だったことが今から思えば、笑い事になる。含み笑いといういやらしい笑いに変化するということに気がついた。
そこまでたどり着くには、怒鳴られ、詰られ、試練の道だった。
 
 最近の書く、母の介護問題となりつつ、今現在がある、センシティブな内容もあるので、公に出すときは気をつけている。

書かないと、記憶が抜けてしまう。メモ帳に下書きをして、気が向いたら、打ち込んでいる。閃きがないと、なかなか書こうとしないが、それでも書いている。

自分は、業の深さ、罪の深さを感じつついまだ書いている。親不孝もの目のやることは、記録に残すことしかできないから。母の思いに背き、怒らせ、悲しませ、姉のようには生きられなかった。だから、書く。




 

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