【裏返しの血痕】 7
第7話:裏返しの真相
叩きつけるような雨が、私の視界を無慈悲に塗り潰していく。
足元の土砂は奔流となって崩れ去り、私は現代の「乾いた地面」から、3年前の「泥濘(ぬかるみ)」の中へと引きずり込まれていた。
「……ア……、……ケテ……」
男の口から漏れたのは、狂人の笑い声ではなかった。
それは、喉を焼かれた者が絞り出すような、掠れた悲鳴。
男は再び、あの「黒い塊」を左頬の傷口に強く押し当て、狂ったように右手を回し始めた。
「ブーン……、……カチッ……ブーン……」
至近距離でその音を聞いた瞬間、私の脳内に戦慄が走った。
それはモーターの音ではない。
指の力が限界を超え、歯車が悲鳴を上げながら回転する「手回し式発電機」の駆動音だ。
男が頬に押し当てていたのは、シェーバーなどではなかった。
泥にまみれ、外装の剥げた「緊急用無線機」だ。
男は髭を剃っていたのではない。
荒れ狂う嵐の音で何も聞こえない中、わずかな応答を拾うために、受信機の振動を直接、頬の骨に伝える「骨伝導」でノイズを聞き取ろうとしていたのだ。
何度も、何度も、何百時間も。
無線機を押し当て続けた結果、頬の肉は削げ落ち、皮膚は爛れ、それでも男は「救助の声」を求めて自らの顔を削り続けていた。
「……カチッ」
また、あの音がした。
それは無線機のチャンネルを切り替える、あるいは送信ボタンを押し込むスイッチ音。
その音が響くたび、私の周囲の景色が断続的に「現代」と「3年前」の間で明滅する。
この男の絶望的な「SOS」の意志が、この場所の時間を、彼が死にゆく瞬間に繋ぎ止めているのだ。
「あんた……、助けを呼んでたのか」
声は届かない。
男は、私の背後にある「3年前の出口」を見つめたまま、虚空に向かって叫び続けている。
だが、その時。
男の背後に広がる暗い密林から、「白く巨大な指」のようなものが、ゆっくりと伸びてくるのが見えた。
それは、木々の隙間に引っかかったまま、重力に逆らって不自然に揺れる「鹿の角」だった。
角の尖端は、まるで意志を持っているかのように、男の首元へと音もなく近づいていく。
小屋の裏で見つけた、あの死体の最期。
その「原因」が、今まさに、目の前の男に襲いかかろうとしていた。
空間が激しく軋みを上げ、足元の濁流が私の膝をさらっていく。
現代への退路は、もはやどこにも見当たらなかった。
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