激しさが死んだ後で

激しさが死んだあとで

もっと激しい刺激が欲しい。もっと狂ったように生きたい。

壊れるぎりぎりまで走って、何も考えられなくなるほど強い刺激の中にいたい。昔は、そういう生き方でしか自分が生きていることを確認できなかった。

でも今は、あの頃のように暴れ回るエネルギーさえ残っていない。体力も、気力も削られた。刺激のない日常だけが残って、「生きている」という感覚だけが、どこかに置き去りになった。

そんな自分が、ひどくつまらない。

人に褒められると、嬉しい。本当は嬉しい。でも、その直後に吐き気がする。「褒められて嬉しい」と思った自分が嫌になる。

誰かに認めてもらわなければ、自分の価値を確認できない。

誰かの期待に応えて、誰かの評価を受け取って、それで喜んでいる。そんな自分が、猛烈に情けなく感じる。でも、人間も動物だ。

群れを求める。他者とつながりたい。認められたい。必要とされたい。そういう欲求があるのは、当たり前なのきっと。

頭では、全部分かっている。分かっているのに、その本能に振り回されている自分を見ると、どうしようもなく気持ち悪くなる。

激しさを求める自分。褒められて喜ぶ自分。誰かを必要とする自分。一人になりたいと言いながら、完全な孤独には耐えられない自分。

どれも私であって。昔の私は、「壊れそうなほど生きる」ことで生きている実感を得ていた。今の私は、壊れないように生きている。その違いが、ときどき耐えられないほど退屈だ。

でも、もしかすると、激しさがなくなったことと、生きていないことは、同じではない。

死ぬほどの刺激がなければ生きていると感じられない脳から、何も壊さずに生きていることそのものを感じられる脳へ。私はまだ、その途中にいるだけなのかもしれない。

それでも今は、この「中途半端に生きている自分」が、いちばん嫌い


#刺激希求 #ドーパミン #強い刺激 #感覚探求 #スリルシーキング #生きている実感 #退屈 #承認欲求 #対人欲求 #愛着 #孤独 #自己嫌悪 #自己否定 #アイデンティティ #過剰分析 #知識化 #防衛機制 #トラウマ #複雑性トラウマ #解離 #感情調整 #過覚醒 #自己理解 #回復期 #生存戦略 #内省 #心理記録 #日記 #詩的日記

いいなと思ったら応援しよう!