1年使って確信した。折りたたみスマホに「外側ディスプレイ」は、もう要らない。
Foldを1年使ったけど、開いた時間は100時間もなかった話と結論
折りたたみスマホは「外側ディスプレイ」をやめるべきだと思う
折りたたみスマホを、けっこう長く使ってきました。
Flip型を4年、Fold型を1年。
でもFoldを1年使って、正直に言うと
開いた状態で使った時間は、たぶん100時間もない。
通知確認、決済、ナビ、軽い調べ物。
ほとんどの操作は、折りたたんだままで完結してしまった。
高い理由の部分を、ほとんど使っていない。
この違和感が、どうしても拭えなかった。
Foldは、思った以上に「開かない」
Foldを使っていて気づいたのは、
「開かなくても困らない」完成度の高さだ。
外側ディスプレイは大きく、操作性も良い。
普通のスマホとして使えてしまう。
だから結果的に
開く理由が、どんどん減っていく。
高いのに、高い理由を使わないという矛盾
Foldが高価な理由は明確だ。
• 大きな内側ディスプレイ
• 折りたたみ機構
• 開いた時の没入体験
なのに現実は、
一番お金を払っている部分が使われない。
これはユーザーの怠慢ではなく、
設計の問題だと思う。
Flipの外側ディスプレイは「ちょうどいい」
外側ディスプレイ自体を否定したいわけじゃない。
むしろ、Flip型の外側ディスプレイは理想的だ。
• 時計
• ナビ
• 決済
• メディアコントロール
• メッセージ確認
すべてが「最低限」使える。
それ以上は、できない。
だから、ちゃんと「開く理由」が残る。
Foldは帯に短し、襷に長し
Foldは逆だ。
• 外側で何でもできる
• 内側を開かなくても困らない
• だから開かない
何でもできるから、開く必要がない。
これは、折りたたみという構造そのものを否定している。
外側ディスプレイ強化は、開発者のエゴだと思う
Foldの外側ディスプレイが年々強化される理由は、
ユーザー体験というより「恐れ」に見える。
• スマホとして使えないと言われたくない
• 比較レビューで不利になりたくない
• 既存ジャンルから外れるのが怖い
だからFoldを
無理やり「スマホの延長線」に留めようとする。
その結果
Foldは自分の価値を、自分で薄めている。
Foldは「折りたたみタブレット」になるべきだ
もう、スマホである必要はない。
• 開けば8インチ前後
• 縦にも横にも使える
• 読書も作業も快適
• 場所を選ばず使える
使わない時は、
折りたたんでポケットやカバンに仕舞う。
仕舞えるタブレット。
それでいい。
いいじゃないか。
「開く」という行動を、体験のスイッチにする
Fold最大の価値は、性能や画面サイズではない。
「開く」という行動そのものだ。
• 閉じている間 → 触らない
• 開いた瞬間 → 集中する
この一手間が
さぁ仕事するぞ
さぁリラックスするぞ
という気持ちの切り替えになる。
外側ディスプレイを充実させるほど、
このスイッチは曖昧になる。
人は、画面を隠したい
iPadで最も人気なのは
Smart Folioのような風呂蓋タイプのケースだ。
スマホでも、手帳型ケースは根強い。
• ディスプレイを露出したくない
• 傷つけたくない
• 使う時と使わない時を分けたい
この欲求は、ずっと存在してきた。
折りたたみ構造は、
本来この欲求と相性がいい。
理想のFold像
理想を言えば、こうだ。
• 外側ディスプレイはなし(あっても時計・日付程度)
• ヒンジや外側に時計/天気を常時表示
・ 外側ディスプレイ代わりにe-inkのディスプレイ
• サイズはiPad mini相当(約8インチ)
一台で何でもできる必要はない。
追加すると便利なデバイスであればいい。
8インチを折りたたむという美しさ
縦にも横にも使える8インチ。
場所を選ばず、持ち歩けるサイズ。
そして想像してほしい。
8インチのタブレットを折りたたんだ姿を。
ディスプレイは内側に隠れ、
外側は何も主張しない。
とても、美しいと思わないだろうか。
まとめ
Foldは
何でもできるデバイスになる必要はない。
高い理由を、ちゃんと使わせるために。
開く理由がある端末であるべきだ。
折りたたんで仕舞えて、
開いた時だけ本気を出す。
そんな
「折りたたみタブレット」という未来を、
僕は見てみたい。
「スマホの延長線」として進化を続ける限り、Foldは常に「重い・高い・開くのが面倒」というネガティブな比較から逃れられない。
