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ワルプルギスの廻天|魔女設定の再定義がシリーズを更新した力作|『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』ネタバレレビュー|アニメ感想文|

はじめに

私にとって『まどマギ』は、思春期少女のむき出しの青春心理を、
魔法少女バトルとして昇華した傑作。

また、美少女を容赦ない悲劇に遭わせるのもいとわない。
表現の解放区としての、テキスト型美少女アドベンチャーゲーム界隈から、
膨大かつ刺激的なシナリオを量産する豪腕クリエイターが、
アニメ界に浮上して席巻したトレンド。

TVアニメ『まどマギ』脚本の虚淵玄うろぶちげん氏は、その中でも象徴的な書き手。

『まどマギ』抜きで、2010年代のアニメシーンを語ることなど、私にはできない。
それくらいの重要作。

外伝等を除けば、『新編 叛逆の物語』以来、実に13年ぶりの続編。
私も、いても立ってもいられず、初日鑑賞して来ました。

私は率直に、観て良かったですし、
何より、シリーズ誕生から15年経っても、
自分がまだ『まどマギ』が好きでいられたと、確認できたことが嬉しかったです。

本作については、
前作から、こんなに間空いて、延期しまくって、今更どうなの?
最近のシャフト何かパッとしないよね。

公開後も、SNS上では、
『新編』まででキレイに締めるべきだったとの批判も渦巻き、
賛否が割れる作品になっていくようです。

色々、雑音も聞こえて参りますが、
私は、本作は、魔女の在り方を深堀りすることによって、
魔法少女たちの歴史を、まどかたちの物語と再接続し、
『まどマギ』を再定義した力作。

『まどマギ』ファンならば、
四の五の言わず劇場鑑賞した方が良いと評価します。

本稿では、私の『まどマギ』愛が呪いに変わらないよう抑制しつつ、
熱い想いも含めて語って行きたいです。

尚、本作については、9/11(金)まで、
公式からネタバレ防止令が発布されているようですが。
この先は、本作及びシリーズの核心部分にも触れながら、感想を述べて行きます。
未見の方はご注意下さい。




【これまでのまとめ】少女たちの感情エネルギーを巡る諸システムと暗闘

※復習万全の方は読み飛ばしてもらって構いません。

●『まどマギ』シリーズにおける宇宙観|エントロピーと少女の感情エネルギー

  • 宇宙は当初、整理整頓され、規則的に拡大を続けて来た。

  • 宇宙で、エントロピー(乱雑さ)が高まると、秩序はとっ散らかり、
    宇宙の膨張は阻害され、宇宙は遠い将来、熱力学的な死を迎える。

  • 思春期における少女たちの感情エネルギーは、有望な秩序あるエネルギーである。

  • 宇宙の熱的死を回避するため、異星人キュゥべぇ(孵卵器インキュベーター)たちは、各地の少女たちの感情エネルギー回収による、宇宙延命を企画する。

●“魔女システム”|希望と絶望の相転移による感情エネルギー最大回収装置

  • 少女たちの感情エネルギーの最大化には、希望から絶望へ一気に転落する際の、急激な心身の変化(相転移)が有効である

  • キュゥべぇたちは、大きな感情エネルギーが見込める思春期少女たちに接近し、魔法少女に変身すれば願いを叶えると“営業活動”

  • 魔法少女たちは魔法で魔女を退治する度に、ソウルジェムが濁り、限界に達すると、絶望を撒き散らし魔女化(TVアニメ版)

  • キュゥべぇは絶望と魔女化について少女たちには秘匿して、魔法少女契約を繰り返すことで、効率的に感情エネルギーを回収する、アコギな営業活動を続けて来た

●特異点|条理を越えた鹿目まどかと暁美ほむらの世界改変

  • 暁美ほむらは、魔女化する鹿目まどかの救済と、少女をたぶらかすキュゥべぇの野望阻止のため、時間遡行の能力を獲得

  • ほむらが、まどかを救いたいと願い、ループを繰り返す度に、まどかへの想いは因果となって増大。

  • 結果、鹿目まどかは、最大の希望と絶望を秘めた、最強の魔法少女かつ最悪の魔女として育まれる。

  • 覚醒した鹿目まどかは、巨大な力により、全ての魔法少女が絶望と魔女化に至らず、安らかに消滅(転生)できるよう、世界の秩序をも書き換える。(円環の理)

  • “円環の理”実現のため、まどかは身体性及び、他者からの記憶も含めた実在性を喪失し、宇宙を覆う概念と化す。(ここまでTVアニメ版)

  • まどかの喪失に納得できないほむらは、“悪魔”として、円環の理を改変し、まどか奪還を試みる(新編)



物語📘『ワルプルギスの廻天』が再定義した魔女システム

●魔女システムもまた魔法少女の祈りの産物だった

以上も踏まえて、『新編』までの私の認識では、希望と絶望の相転移と言う、
キュゥべぇたちが仕組んだ魔女システムに、疑問を抱き、
世界の理を改変して来たのは、まどかとほむらだけ。
二人は強い因果で結ばれながら、周囲から理解されない状況下で孤立し、
犠牲や孤独を自分だけで抱えて来た。

が、『ワルプルギスの廻天』が画期だったのは、
実は魔女システムもまた、複数魔女の集合体である“ワルプルギスの夜”が、魔法少女だった頃に、犠牲になった少女たちを救済しようと、
世界の理を改変して作り上げた仕組みだと再定義した点。

かつて、絶望に堕ちた魔法少女たちは、
心身や名と共に存在意義をも失い消え逝く運命でしたが、
魔女システムにより、魔女として固有の心身と名を与えられ、
個としての自己同一性アイデンティティを保持したまま逝けるようになった。

鹿目まどかは、魔女化は絶望の極みだと憐れみ、円環の理により魔女の概念ごと消滅させましたが、
魔女システム誕生当初の魔女とは、魔法少女にとってのある種の救済の試みだった。
キュゥべぇも、その後天的な仕組みに便乗して感情エネルギーを回収して来たという位置づけだったのです。

世界の救済も良いが、魔法少女個人の祈りや感情をもっと大事にしてと訴えて来た、
魔法少女たちの歴史と、まどかとほむらの物語が、再接続され一体化。

まどかもほむらも、もう一人じゃない。

そこが私にとって、本作の一番の感動ポイントでした。


作画🖼️劇団イヌカレーの映像アートと、塗り替え合う少女たちの心情世界との親和性

●結局どの魔法少女の祈りも身勝手で不完全

  • 鹿目まどかにとっては魔女化は絶望かもしれないが、ある魔法少女にとっては救済であり、円環の理など余計なお世話。
    まどかは「もういいんだよ」と許しの抱擁をしますが、
    「まだダメだよ」と言う魔法少女だっているわけです。

  • 暁美ほむらは悪魔に“堕天”してまで世界を再改変し、まどかを世界への自己犠牲から奪還しようとしたが、
    それは、まどかの願う所ではない。
    ほむらの一方的な偏愛なのではないか?

  • キュゥべぇの魔法少女契約は不誠実だが、役立たずな自分でも宇宙の延命に助力できると、キュゥべぇに心酔する魔法少女だっていたりする。

まどか、ほむら、ワルプルギスの夜……。
各々が、自分の論理で、救済と理想の世界の理を開陳して来た『まどマギ』シリーズですが、
所詮、神でもない一人の少女の祈りの産物に過ぎず、
誰にとっても絶対的な秩序などあり得ない。

『ワルプルギスの廻天』は、魔法少女たちの祈りが相対化させられる物語でもありました。

本作における戦いとは、換言すれば、魔法少女たちのワガママな祈りが交錯する、
言わば心情の“領域展開”をぶつけ合う乱戦。

作中、美樹さやかは、この戦いは何?って感じで、
混沌とした状況に困惑し、不貞腐ふてくされたりもしますが、
制作スタッフ陣もまた、『まどマギ』は、
絶対的な答えが出ない作品だと、自覚していると思われます。

●今回のイヌカレー氏脚本は世界観との親和性があるだけまだ納得できる

一応の脚本クレジットは、
魔女結界の異空間設計を担当してきた劇団イヌカレーと、
お馴染みの虚淵玄氏の併記。

が、実態は、虚淵玄氏は『新編』までで既にアイデアを出し尽くし。
今回は、イヌカレーが大量に書き溜めて来たイメージ絵を、
虚淵氏が組み立ててシナリオを構築した形。

名塚底根なづかそこつね」なる、魔法少女始まりの地にして、
全ての魔法少女の魔女化までの顛末を、
“宇宙の外側”で記録した、世界改変の影響を受けない場所。
このキー設定もイヌカレーによる物。

制作経緯からして、本作は蛇足、
外伝を続編みたいに言うなとの批判を集めそうな構図。

かく言う私も、イヌカレー(泥犬)が脚本を主導したTVアニメ版『マギアレコード』は、
抽象的な映像アートが牽引する構成もあってか、つかみどころを捉えられず、1期途中で挫折しています。

が、『ワルプルギスの廻天』の場合は、
己の願いで世界を塗り替え合う少女たちの心象世界のせめぎ合いであり、
明快で具体的なセリフよりも、
言葉ではカバーし切れない抽象的なアート性が有効な世界観。

美少女の惨劇も交えて、強烈なセリフでシナリオを叩きつける虚淵氏の影響力の後退は、
イヌカレー氏ら作画陣のアート性を解き放つ新たな進化と私は好感しました。
もちろん異論は大いに認めます。

●大きかった『レヴュースタァライト』古川知宏氏と私の相性

作画班の意向がより強く出る本企画。
私にとってはアニメ版『レヴュースタァライト』監督でも知られる古川知宏氏が参加していた点も大きかったです。

『スタァライト』もまた、クセ強で好みが分かれる青春劇ですが、
私にとっては、思春期少女の心情を舞台“レヴュー”として繚乱させた。
特に劇場版については、“わかります”って感じで心が震えるお気に入り作。

言葉より作画が牽引する『ワルプルギスの廻天』の表現を、
受け入れられたのも、私と『スタァライト』との相性も大きかったのかなと。

ここも『まどマギ』で『スタァライト』やってんじゃねぇよ。
との批判は出るでしょうし、異論も認めますが、
『スタァライト』の良さが“わかります”って方々には、
本作もまた至福の体験となるでしょう。
トマトも潰れますし。


キャラ🐼神のまどか、悪魔のほむらを相対化する魔法少女たち

●謎の先輩魔法少女|まどかに倒錯した信仰を寄せる波乱要因

ほむらとソックリな外観で立ちはだかる見滝原中の3年生。

その正体は、“ワルプルギスの夜”が、
かつて魔法少女で修道女のマルグリートたちだった頃の記憶を喪失した者の成れ果て。
全ての魔女の始源でもある。

マルグリートは、魔法少女だった頃、
限界を迎えた魔法少女に、魔女の名を与えて、自我を保ったまま逝かせる救済を試みるも、
未完に終わっていました。

が、当のマルグリート本人は、固有の名を失ったまま、魔女の集合体“ワルプルギスの夜”として時代を超えて彷徨う。

このマルグリートだった者の成れ果ては、心身と名を求め、
鹿目まどかに救済をもたらす神性を夢想。

ワルプルギスの夜に、マルグリートに魔女の名を与えられた魔法少女たちの思念も混濁しているのか。
まどかこそが、名を与えてくれるマルグリートだと、倒錯した信仰を寄せる。

彼女は、因果で結ばれた、ほむまどの間に割って入り、
三角関係トライアングルを形成し、ほむらと激突。
ほむまど百合カップリング界隈に、新たな燃料が投下されました。

TVアニメ版にて、ほむらがループを繰り返した時間の終末に、
毎度、ワルプルギスの夜が、見滝原市に襲来する。
この締めについても、究極アルティメット魔法少女である鹿目まどかに、
名付けの救済を求めた故の現象と、新たに設定化。

我々、視聴者は、『まどマギ』シリーズ冒頭から、既に百合三角関係を見せつけられていたのです。

紫丁香しちょうか|呪いを忘却させる救済に対する強烈な拒絶

悪魔ほむらによる、円環の理の毀損きそんに反発し、外側の世界からやって来た、
魔法少女グループのメンバー。

紫丁香もまた、円環の理で魔法少女救済を目指したまどかの信奉者ということにはなります。
が、彼女の場合は、願いと呪いを引き換えに魔法少女になり、
魔女に堕ちた際の、記憶を欠落させようとすることに対する憤怒の方が際立つ印象。

魔法少女たちとまどかの“お茶会”にて、追加され続けるケーキを拒絶する際に、
紫丁香が発露した怒りには、魔法少女化、魔女化のトラウマだけでなく、
呪いの記憶も自身の一部であるとの主張、
忘却して楽天的に生きることに対する危機感も滲んでいました。

●セルマ・テレーゼ|キュゥべぇに自己肯定感を見出し心酔する

幼少期のトラウマもあって、自分は無価値だと思い、
自分だって役に立ちたいと、自己肯定感を願いとして、
キュゥべぇと契約した魔法少女。

私もまた、キュゥべぇに対して、正論何だけど、何か違うと嫌悪感を抱く人間ですが。

今回、セルマによる、生産性の無い人間に価値はないと言う主張。
この今世紀の本邦を覆って来た、人間性が欠落した志向と共通するセルマの言い分と、
キュゥべぇの“合理的”な宇宙観が、“魔合体”されてみて。

キュゥべぇには、ゼロ年代の自己責任論など、
一見合理的だが、生理的に受け付け難い思想と共通の要素が含有。
非合理でも、人間の感情に価値はあるとの反論を誘発する。
キュゥべぇは、有効なヒールだなと、セルマを通じて改めて思った次第。

●美樹さやか|改変された記憶と世界に対するアレルギー反応

『新編』にて、まどかの円環の理の影響を色濃く受け、再誕した美樹さやか。
さやかにとっては、悪魔ほむらによる、
円環の理の解体を企てた改変世界の空気は、余程、肌に合わないのでしょう。
本作では、痛々しい包帯姿で登場します。

それ以上に、さやかは純粋なのでしょう。
終盤での、戦意喪失には、視点を問わず、
主観で、記憶や世界を書き換えられる事自体に対する拒絶反応も感じられました。

佐倉杏子は、相変わらず喰ってばかりで奔放。

巴マミは、かつてマミり、マミられた関係だった百江なぎさと、
いっそう息の合ったコンビネーションを見せる。

さやか以外の、魔法少女たちが適応を示しただけに、
不器用なさやかのピュアさが浮き彫りになった印象でした。

●ほむらへの悪口がエールに変わる時

この悪魔め。キュゥべぇと大差ない。

世界救済より、まどか奪還という身勝手で世界をかき回す悪魔ほむらに対して、
作中幾度も悪口が浴びせられます。

が、本作のほむらに対する悪口には、
好き勝手やってるな。お主もワルよのぉ~。
といった感じの賛辞も含まれているように感じ、
言われたほむら自身もどこか楽しげ。

上記の新魔法少女キャラ群は、まどかの円環の理も、悪魔ほむらの改変世界も、
一人の人間の身勝手に過ぎないとの、相対化を加速させる視点を提供。

一方で、終盤には、自己の願いで世界を変えて来た、ほむらの孤独を魔法少女たち皆が共有。
どうせ誰が世界を変えても間違える。
人間は神みたいに完全じゃないんだから、もう好きにやれば良いと、
ほむらの身勝手を、むしろ後押しする。

本作ラストについては、何か暁美ほむらが、まどか奪還の夢想を抱えたまま、
概念化して霧散したかのような。
ほむらバッドエンドとも解釈できる幕引き。

今後も、一部のほむら推し界隈からは、『新編』のほむら完勝で終わっておけば、
と悔恨の声が出続けるのでしょう。

が、私は、ループも乗り越え、ずっと孤独に戦って来た、ほむらが、
初めてエールを送られる側になった。
この点で、本作もまた、ハッピーエンドなのではないか?と考えます。

概念化した鹿目まどかだって、奪還できる可能性があるのですから、
ほむらだって取り戻せると、私は意外と楽観しています。

●キュゥべぇ|過去一番の窮地に陥った異星人“営業マン”

本作を終えて、キュゥべぇが置かれた状況だけ見ると、
『新編』にて、悪魔ほむらの下僕に落ちぶれ、ボロ雑巾のようになった惨状よりは、
好転しているようにも見えます。

実際、「名塚底根なづかそこつね」なる、世界改変の外側に置かれた場所への到達は、
今後、世界改変を繰り返す“特異点”レベルの魔法少女から、主導権を奪い返す有効打になり得、
キュゥべぇも関心を寄せています。

ですが、魔法少女との関係性と言う観点で見ると、
現状は、まどか、ほむらみたいに、宇宙の秩序や世界平和なんかより、
己の祈りのため、世界改変も含めて好き勝手にやれば良い、
という無敵メンタルが、魔法少女たち全体に共有された状態。

キュゥべぇによる、宇宙延命のための少女の感情エネルギー回収など、
早々簡単に取引ディールできない窮状なのではと、私は推察します。

逆に言えば、キュゥべぇを放逐もしくは、
魔法契約するだけのマスコットとして、
完全に下僕化する千載一遇のチャンスが到来したかと。

続編、あるとしても、時間を置いて、また“同窓会”みたいな企画でやった方が良いかと思いますが、
実現したあかつきには、私は是非、
多数の魔法少女から、フルボッコにされるキュゥべぇとか見てみたいです。


音楽🎵“梶浦語”よりも目立っていた効果音が魔法少女の心情激突を体現

劇伴担当はお馴染みの梶浦由記氏。
特徴である“梶浦語”のコーラスも、
『まどマギ』となるといっそう弾んでいるように聞こえます。

が、今回より目立ったのは効果音の方。
耳に残る“黒電話”の呼び出し音が物語の始まりと終わりを締める。

さらに戦闘シーンでは、やたら爆発音が派手だった印象。
それはあたかも魔法少女たちが自分が願う世界こそがあるべき姿と、
ぶつかり合う主張の衝突音のようでもあり。

私はスケジュールが合わず通常規格での鑑賞となりましたが、
音響のために、IMAXなどのラージフォーマット追加料金払う価値は十分にあると思います。

ED主題歌はFictionJunction「彼方」
この13年間のアニソン界隈における惨劇の1つに、
Kalafina解散が挙げられます。
現在は梶浦氏のプロデュースから離れ、復活再始動

本グループもまた、梶浦氏の歌唱曲表現の一環ですが、
聴けば聴く程、私は梶浦氏楽曲提供によるKalafinaへの未練を感じてしまいます。

これも私のワガママですが、
例え本人たちが割り切ろうとも、
私は再び梶浦氏プロデュースのKalafinaが、
『まどマギ』主題歌を歌う日が来るのを諦めたくないですね。


まとめ

シリーズを生み出した立役者の一人である、虚淵玄氏の影響力が後退し、
“二次創作的”な筋書きの自走が加速した印象の『ワルプルギスの廻天』

よって虚淵脚本の『まどマギ』にこだわる程、拒絶反応も出てくるのでしょう。

ですが、私にとっては本作もまた、思春期少女たちのむき出しの青春が、
魔法少女アニメとして具現化した、『まどマギ』らしい作品でした。

鑑賞したシアターで印象的だったのが、グッズ売り場の光景。

通常は、目ぼしい商品を早目にゲットしようと、
上映前に行列ができる傾向。
が、本作の場合は、上映前の売店は静かで、
むしろ上映後に人だかりができる。

この群衆心理を推察するに、
13年ぶりの新作でもあり、ネタバレ情報規制もあって、
鑑賞前は、また『まどマギ』を楽しめるかどうか半信半疑。
鑑賞後、やっぱり『まどマギ』は良いなと、
余韻に浸りつつ、グッズを物色する。

かく言う私も、既に、パンフレット購入しているにも関わらず、
スポーツ報知の『ワルプルギスの廻天』特別号を追加で購入しちゃいましたし。

(因みに、スポーツ報知が『まどマギ』特別号を出すのは、これが4度目。
記者に相当なファンがいるようです。)

本作については、今後も、蛇足、『新編』で終わっておけばと、
何かと言われ続けるのでしょう。
ですが、グッズ売り場を見た限り、少なからぬ観客にとって、
本作鑑賞は有意義な物になったと思われます。

作中の、まどかもほむらも、魔法少女たちも、
手前勝手に世界を解釈し、改変し、自分たちのやりたいようにやり切った。
我々、鑑賞者も、スッキリしようが、モヤモヤしようが、
好き勝手に観て、好き勝手に語れば良いのです。

百家争鳴の混沌も含めて『まどマギ』らしさ。
私としても、色んな視点からのご感想お待ちしております。


参考文献

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』公式パンフレット

スポーツ報知『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』特別号



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