映画『ヴィヴァルディと私』 18世紀のヴェネツィアを視覚体験
銀座シネスイッチで、映画『ヴィヴァルディと私』を観てきました。
舞台は18世紀のヴェネツィア。
約40年間、ヴィヴァルディが音楽教師を務めた「ピエタ院」。
そこで暮らす、孤独な少女チェチリアが、
ヴィヴァルディの指導のもと、
ヴァイオリン演奏の才能を開花させていく物語です。
この映画でまず印象的だったのは、
18世紀のヴェネツィアの空気感がリアルに描かれていたことでした。
撮影はヴェネツィアとローマで行われ、
現存していないピエタ院の内部シーンはローマ北東部の教会で、
室内コンサートのシーンは貴族の宮殿として建てられた豪華な屋敷で
撮影されたそうです。
ゴンドラで水路を通って演奏会へと向かうシーン。
古い石造りの建物、重厚なたたずまいの教会。
きらびやかな宮殿内部のインテリアと、
それと対比するかのように描かれた(少女たちが質素な暮らしを営む)ピエタ院の日常。
ヴィヴァルディが、実際にどんな場所で音楽を教え、作曲し、演奏していたのか、その具体的な時空間を、視覚的に“擬似体験”できる映画でした。
監督は、世界的なオペラ演出家のダミアーノ・ミキエレット。
劇中音楽の演奏は、フェニーチェ劇場管弦楽団が担当し、音響効果も素晴らしかったです。

この映画においては、主人公の少女チェチリアだけでなく、
脇役であるヴィヴァルディも、
表現者としての名声を求める心と、
芸術の創作過程での苦悩とを抱えた、生身の人間として描かれています。
持病を抱えながらも、限られた時間の中で、
新しい音楽を創り続けるヴィヴァルディの魂。
彼がチェチリアに、誰より早く新曲の楽譜を届けようとする
場面も、とても印象的でした。
当時、ピエタ院では、孤児や捨て子の少女たちが
「音楽」を学び、演奏活動をしていました。
不幸な境遇の彼女たちが、院を出て「外の世界」で暮らすためには、
かつて彼女たちを赤子の時に捨てた(院に預けた)
実の母親が迎えに来るか、あるいは、
お金持ちにみそめられて結婚するしか、人生の選択肢はありません。
映画の後半では、チェチリアにも将校との結婚話が持ち上がります。
しかし彼女の心は、ピエタ院に残ってヴァイオリンを弾き続けることを望んでいました。その背景には、師であるヴィヴァルディの存在がありました。
「音楽」を愛するチェチリアにとっては、ある意味、ヴィヴァルディは
「希望」そのものだったのです。
▲ヴィヴァルディが音楽教師としてピエタ院に赴任し、少女たちの演奏技術を確認しているシーン。ヴァイオリンをはじめ、当時の楽器であるチェンバロやテオルボなど、古楽器の演奏の様子を楽しむこともできます。
ストーリー全体は、終始どこか悲劇的なトーンを携えながら、淡々と進行していきますが、ラストにおいて意外な展開をみせ、少々驚きの結末を迎えます。
この映画の観客の誰もがおそらく予想していなかったであろう終わり方です。
それは、一言で言えば、
「何かを手放して、別の何かを手にいれる」
ということなのかもしれません。
ただし、チェチリアにとっては「手放すもの」が、
なかなか大きいのですが・・・
映画を観終わった後、
「チェチリアにとって、はたして音楽とは何なのだろうか?」
と問いを立て、答えが届くのをしばし待ちました。
答えは複数ありました。
自分としては、どの答えも絶対的な正解ではありませんでしたが、
「人間にとって、「音楽」は必要不可欠なものである」
ということだけは、全ての答えに共通していました。
ちなみに、一般的に、「音楽」には役割があり、それは例えば、
・心と体に働きかける
・人と人をつなぐ
・感性を育てる
・社会の価値観を映し出す
といったことだと思いますが、さらに言えば、
本来、「音楽」が担っている最も重要なことは、
「大いなる何かと人間を結びつける」
という根源的なニーズを満たすことであるような、
そんな気がします。
そして、もしかしたら、
チェチリアとヴィヴァルディは、共に
そのことに意識を向けていたのではなかろうかと、
そんな風にも思ったりしました。
おまけ:
▼デンマーク国王の前で演奏し、第一ヴァイオリン奏者のチェチリアが国王に褒められるシーン。当時、ピエタ院の少女たちは、演奏活動をする際には顔が見えないようにマスクをしていたので、人前で、そのマスクを外し、素顔をさらすことは異例でした。

イタリアのアカデミー賞である「ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞」で、ダミアーノ・ミキエレット監督『ヴィヴァルディと私』が最優秀作曲賞、最優秀衣装賞、最優秀ヘアメイク賞の3賞を獲得しました。
この記事を下記のマガジンに加えて頂きました!ありがとうございました

