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父と娘 理系の父と文系の私

私は、子どもの頃から書くことが好きでした。

中学時代の日記から始まり、
高校時代はエッセイを書き始め、
大学生になってからは、小さなお話を
たくさん作りました。

「公募ガイド」にある文学賞に応募したり、
出版社に原稿を送ったりしていました。

そしてある日、
出版の話になり、
私は両親に報告しました。

両親は、
特に父は、
鈍い反応でした。
母は、父にならえ、の様相でした。

「おまえは騙されているんだ。
お父さんは、お前が、騙されて泣いている姿を見たくない。
褒めらたからってその気になって・・・」
と。
父は悲しそうに私を見つめました。

私は静かに、
「はい」とだけ答えて、自室に戻りました。

騙されそうになっていたのかどうかは、
分かりません。
問題はそこではなく、
父が、私の作品を読んだこともないのに、
そもそも読みたがらないのに、
その出版の話の経緯も詳細も聞かずに、
頭ごなしに反対したことです。

いや。違う・・・。

反対された事がショックだったのではありません。

私の作品を、
私の書く世界を、
辱められたような、
通り魔に遭ったようなショックだったのです。

私が書いていた作品は、
「森の中で、
うさぎやクマなどの色々な動物達が、
お洋服を着て2本足で歩いて、
奇想天外な毎日を送っている」
という、
メルヘンな世界でした。

それを、
父から、
辱められたられた気になったのです。
作品の中の、うさぎさんやくまちゃんに、
泥団子を投げつけられた様な気持ちになったのです。

もちろん父は、
そこまでは言っていません。
私の被害妄想です。

でも、私の作品を読もうともせずに、
「すこし褒められたからってその気になって」
と。

父は、文学や出版とは全く関係のない会社員でした。理系の仕事でした。
なのになにを知ってるの?
なにが分かるの?
と。

私は、小さい頃に、
父の仕事関係の本の、
投稿欄に掲載された事がありました。
テーマは、「将来の夢」でした。
他の子達は、お医者さんや宇宙飛行士、お花屋さんなどを書く中で、
私は、
「おかあさんになりたい」と書きました。
図鑑で、ゾウの子育ての話を読んで憧れていたので、
「ゾウみたいに、子どもを産んで育ててみたい」
という内容の作品を原稿用紙に書き、郵送しました。
掲載されたことは両親には内緒にしていたのですが、父の愛読書だったためにバレてしまい、
叱られました。
「女の子が、赤ちゃんがほしいとか言ったらいけない」と。

父はいつも的外れです。
私の視点とは大幅にズレています。

そのくせ、
父の友人の娘さんが、お堅い内容の本を出した時は、自慢気に報告してきました。
私が文学好きなのを知っていたので、たぶん、それで、私が興味を示す話題だと思ったのでしょう。

少し離れた関係性の誰かだと、
「すごい!すごい!」と喜べるけど、
身近な娘には、
目立たず堅実に生きてほしいのだな、
と察しました。
それはある意味、男親の愛で、
私が傷つかない様に、
転ばない様に箱入りに育てたかったのでしょう。

日に日に私は、
「私の文学に関する事柄」について、
父が干渉してくる度に、
父との心の距離をとる様になりました。
もともと私は、親に反抗することはほぼなく、
言い合うこともしないタイプなので、
表面的には穏やかに変わらず接しましたが、
一方的に心の距離をとりました。

あの日、
「褒められたからってその気になって」
と言われてからは、
相入れないと、完全に心を離しました。
と同時に、
しばらく書くことができなくなりました。
空想の世界への飛び方を
忘れてしまいました。

飛べないあひる。

例えて言うなら、
ディズニーランドに、人間の聖人君主が侵入し、
園内の着ぐるみを、すべて脱がして、
「ほらね!中に人が入ってるでしょ?
あなたは騙されているんだよ。」と
ご親切に説明してもらった様な感じ。
それでしばらくは、着ぐるみ達への罪悪感から、
ディズニーランドに行けなくなった感じ。
中に人が入ってることなんて、初めから知ってる。
ファンタジー、メルヘンの世界を
私は楽しんでいただけなのに、
現実を説明することに、
どんな意味があるの?

つまり、
私の作品の中の、
うさぎさんやクマさんが、汚された気分になり、
私は、動物達への罪悪感から、
しばらくは作品を作る感性を
失ってしまいました。

父なりの愛情だとは分かっています。
だから苦しんだのです。

やがて私は、
現実世界で結婚し出産しました。
私の子ども2人は、芸術系に進みました。
その時に、
私の夫が、
私の父と同じ様に、
わが子に現実を突きつけていました。
「音楽で食べていけると思ってるの?」
と。

男親って、こういう傾向にあるのかな。

私は、全力で子どもを応援しました。
かつての自分を慰めるかの様に。

彼らは、自作の詩や曲を、
私に見せてくれました。
私は、真剣に、読み、聴き、
応援しました。

心にあるものを、言葉や音にすることの
すばらしさを知っています。
それは、現実世界とは全くの別物なので、
それを茶化したりバカにしたりは、
絶対にしてはいけないのです。

私の子どもが芸術系の学校に進む時、
私の父は、
「母親のお前が、なぜ止めないんだ。
無責任に放置してどうする?
あの子達が、失敗して絶望してもいいのか?」
と、私の子育てについて叱責しました。
技術系の学校、もしくは商学部への進学を進めていました。

私は、
「絶望してもいい!」と、
初めて反発しました。

絶望してもいいんです。
転んでもいい。
やりたいことをやればいいんです。
挑戦することはこわくない。

心に広がる言葉や音には、
鮮度があります。
感性は日々、変化します。
その時に感じたことは
その瞬間に書き留めないと
消えてしまう。

数年前、父は亡くなりました。
それから
私は自然と、創作活動を再開しました。

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