失敗作を積み上げろ。ヒットは、その先にしか存在しない
みんな「一発逆転」という言葉に弱い。
自分も含めて。
ゲームやアプリを作ると、「もしかしたら、これが当たるかもしれない」と期待する。
しかし、実際の成功はもっと地道なものだ。
突然成功したように見える人も、積み重ねてきた試行錯誤の先で、たまたま早い段階で当たりを引いただけなのかもしれない。
自分がゲーム会社に入りたいと思ったとき、ポートフォリオと呼べるものは何もなかった。それでも倍率が1万倍近いゲーム会社の新卒募集に応募し、当然のように落ちた。それも一社ではない。
地元は秋田だった。関東や関西へ面接に行くたびに旅費がかさみ、親も音を上げた。
そこで戦略を変えた。
フリーターをしながら、アーケードに置かれていても遜色のないゲームを一本作る。それを見せれば、ゲーム会社に入れるだろうと考えた。
アセンブラを学び、ゲームに使うグラフィックをドットエディターで一枚ずつ描き、音楽も自分で作った。完成までに、約5年かかった。
そのゲームを持って、再びゲーム会社の面接を受けた。ちょうどPlayStation向けのゲームを作ろうとしていた会社に採用された。
地道に積み重ねてきたものが、初めて結果につながった瞬間だった。
そのゲームはコミケでも販売し、30万円以上の売上になった。そのお金でWindowsパソコンを購入した。
どのような経路で広まったのかは分からないが、そのゲームは海を渡った。今では海外のYouTubeに、同人ゲームとしてのプレイ動画やサウンドトラック動画が残っている。
ちなみに後年、同じ倍率1万倍ともいわれる会社に、赤い紙で企画書を作り、その裏にジーンズの生地を貼り付け、封筒をわざとこんもりと膨らませて目立たせるという奇抜な戦略で合格した天才とも知り合った。
ゲーム会社に勤めながら、インディゲーム制作にも挑戦した。やがてゲーム制作に集中するため、自分でゲーム会社も設立した。
FLASH、ガラケー、GREE、モバゲータウン、mixi。新しいプラットフォームが登場するたびに挑戦した。
スマートフォン向けのゲームも作れるようになった。Cocos2d-xもUnityも習得した。iPhoneゲームもAndroidゲームも個人で制作した。Webサービスも作れるようになり、無料ゲームサイトも立ち上げた。
しかし、何を作っても大きな売上にはならなかった。
SCEの「ゲームやろうぜ!」や、GMOの「アプリやろうぜ!」にも挑戦した。ゲーム制作に必要な資金を提供してもらえる企画イベントである。
SCEの企画には約1万人が応募し、何度も審査が行われた。自分たちのチームは最後の10チームに残ったが、最終選考で落ちた。
失敗に失敗を重ねるとは、まさにこのことだ。
唯一、mixiで公開したゲームは、5点満点で4.8点という評価を獲得した。しかも、1万人以上にプレイされた上での数字だった。
悪い数字ではない。むしろ、かなり高い評価だったと思う。
しかし、ゲームが面白いことと、マネタイズに成功することは別の問題だった。もしコミケで販売していたら、かなり売れていたのかもしれない。
若手のスーパープログラマーと一緒に、Web上でCGG(コンシューマー・ジェネレイテッド・ゲーム)を作るサービスも開発した。
プレイヤーがブラウザ上で自分のシナリオを作り、RPGとして公開できるWebサービスだった。
サービスは好評を博し、ITmediaの「ねとらぼ」にも記事が掲載された。また、ロフトプラスワンでたびたび開催されていたイベント「夜のゲーム大学」に、「そのゲームを出さないか」と声をかけてもらった。
そこで、『アクアノートの休日』や『巨人のドシン』で知られる飯田和敏さんのコーナーで、サービスをお披露目することができた。
残念ながら、そのサイトはFLASHで作っていたため、現在は公開できなくなっている。
ゲームを作り続ける一方で、ゲームデザインについての研究も深めていった。
そもそも、自分がゲーム会社に入りたいと思った目的は、会社員になることではなかった。自分のゲームをヒットさせることだった。
ゲームは、人が遊ぶものだ。面白さの鍵は、プレイヤーの心理にある。
そして、ゲームが売れるかどうかもまた、ゲームを買う人の心理に左右される。
社会心理学、大衆心理、NLP、ビジネス心理学、ネットマーケティングを学んだ。テレビ番組をヒットさせているプロデューサーが、どのように番組を企画し、演出し、視聴者を引きつけているのかも調べた。
ゲームをある程度面白くすること自体は、それほど難しくない。
しかし「ヒットさせる」となると、話は一気に複雑になる。
時代、流行、技術、プラットフォーム、競合作品、価格、口コミ、配信者との相性。数え切れないほどの変数を相手にしなければならない。
そうして見つけたヒントを、ひたすら書き留め、整理し、体系化していった。
ゲームのヒットは、ビジネスの成功とほぼ同義だ。
ただし、人が生きていくために必要な一般商品を売る場合と比べると、ゲームで成功する難度ははるかに高い。
研究内容をまとめて作ったゲーム企画の教材について、知り合いのいる某大手企業から「ゲームデザインのセミナーをしてくれないか」と声をかけられたこともある。
「新田さんの教材を全部印刷して、机に置きながら仕事をしている新人のゲームプランナーが何人もいるよ」
そんな話も聞いた。
ゲーム業界を題材にした有名漫画を描いている漫画家にも購入された。某ゲーム系専門学校の授業でも使われた。
皮肉なことに、自分はゲームそのものよりも、ゲーム制作についての教材で稼いだ金額のほうが、いまだに大きい。
代表的な教材は、現在Udemy向けに再編集して販売している。興味のある人は、セール時に購入してもらえればと思う。
これらの教材は、主にメルマガ読者へ販売した。
すると、「買いました。読みました。一度お話ししたいです」という人が何人も現れた。
そのときに出会った人たちとは、今でも付き合いが続いている。
全員、ゲームで成功したいと本気で願っている人たちだった。ものすごい熱量を持っていた。
人生をゲームに賭けていた。
成功とは、基本的にはコツコツと作業と研究を繰り返し、その努力が機会と出会ったときに起こるものだ。
「幸運とは、準備が機会に出会うことである」
古代ローマの哲学者セネカの言葉として知られている。
自分はゲーム制作を続けるために、ネットマーケティングを学んだ。お客さんと直接つながり、自分の商品を売る方法を身につけた。
知り合った起業家たちとジョイント企画を行い、互いの商品や強みを組み合わせ、シナジーを生み出した。
人はニーズとウォンツを持っている。それに応える商品を提供すれば、当然のように商品は売れる。
世の中の商売は、基本的にその繰り返しで成り立っている。
ゲームは、ニーズではなくウォンツで人の心を動かす商品だ。
ニーズは「手に入れなければ困る」。
ウォンツは「欲しい」。
当然ながら、必要性を伴うニーズのほうが購買力は強い。
自分は一般的な商品の販売では、起業ブームという時代の波にも乗り、大きな結果を出すことができた。10年間働かなくても生活できるだけの資産も手に入れた。
しかし、悲願であるゲームのヒットには、いまだ成功していない。
ゲームをヒットさせるためには、ゲームデザイン、開発力、コンセプト、見せ方、販売方法、そのすべてが必要になる。
さらに、それらが人間の心理や、現代の時代背景とカチッとかみ合わなければならない。
そしてゲームの成功も、ビジネスと同じように、次の掛け算で決まる。
成功確率、つまりヒットレシオ×試行回数だ。
100%ゲームを成功させられる人はいない。
それでも、数作目で大きなヒットを出す人はいる。
そういう人を見たときは、「自分より早く当たりを引いたのだ」と考えるしかない。
他人が何作目で成功したかを気にしても仕方がない。自分は自分の試行回数を増やしていくしかない。
地道に研究し、地道にゲームを作り、地道に結果を積み重ねていく。
映画化され、後にセガサミーグループに買収された『アングリーバード』のロビオでさえ、経営危機に陥りながら、50本以上のゲームを作った末にようやく世界的な成功を手にした。
最近、よく思う。
ニッチとは、結局のところ「自分」なのではないか。
自分にしか作れないものがある。
自分の感性。
これだと思う直感。
好き嫌い。
幼少期や青年期に形成されたセンス。
これまでの人生で鍛えてきた技術と審美眼。
それらをすべて組み合わせたものは、世界に一つしかない。
誰かのまねではなく、「これが自分だ」と言えるものを作る。
世の中にあるものを、そのまま出すのではない。自分というフィルターを通す。
取り繕わず、全裸の自分自身、自分のセンスをさらけ出して表現する。
そこまでやれば、それは世の中に一つしかないものになる。
もちろん、それが一度で成功するとは限らない。
だから失敗を繰り返そう。
失敗するたびに、自分の感性は研ぎ澄まされる。技術は上がる。市場を見る目も鍛えられる。ヒットする確率は、少しずつ高くなっていく。
成功は、魔法のように突然現れるものではない。
失敗と試行錯誤を積み重ねた先で、準備してきた人間の前に機会が現れたとき、ようやく起こる。
いつか必ず訪れる成功のために、今日も地道に作り続けよう。
