ムージル『特性のない男』 は100年前に現在を予言していた? いや、人類はそう簡単に変わらないってことだよね - 別に何者でもなくていいんだぜ! ムージルの予言⑤
今月のメンバーシップ限定記事も引き続き、「別に何者でもなくていいんだぜ! ムージルの予言」をテーマに分析しています。
ちなみに過去のメンバーシップ記事が溜まってきたので、各月の買い切りプランも始めてみることにしました。メンバーシップならすべての記事を読むことができるけれど、お試しとして、興味のある月だけでも是非是非。
今月はフランツ・カフカやウィトゲンシュタイン同様、言葉の限界に挑戦した小説家ロベルト・ムージルをご紹介しています。そして、三人の共通点であるオーストリア=ハンガリー二重帝国という特殊な環境について解説した上で、ムージルのデビュー作『寄宿生テルレスの混乱』のあらすじを見ていきました。
そして、この小説が青春ものでありながら、数学やカント哲学などをモチーフにしているため、異様に難解であったことについて解説しました。
前回はそんな『寄宿生テルレスの混乱』で成功した後のムージルについて見る過程で、『愛の完成』と『トンカ』というかなり特殊な小説にフォーカスを当てました。
前回はいよいよムージルの代表作にして、20世紀文学の傑作『特性のない男』を見ていきました。あらすじと呼べないぐらい長大なあらすじをまとめました。
わたしは松籟社の全6巻を購入し、1ヶ月以上かけて心が折れそうになりながら、最後までどうにか読み切りました。哲学的なやりとりが多く、何度も寝落ちしたけれど、ムージルがやろうとしていることの壮大さになんとか食らいついてみました。
そこまでの時間的な余裕がない方は去年、出版されたばかりの抄訳版がおすすめ。大筋に関わる重要なシーンを拾い読みすることができます。
さて、長大に『特性のない男』のあらすじを書いてはみたのですが、実際に『特性のない男』を読むと哲学的な考察と会話がほとんどでストーリーがあるとは言えないレベルです。
最初から最後までエッセイに近い文章の連なりで、ぶっちゃけ『特性のない男』は適当にページを開いて読んで、なんとなくピンとくる内容だったらOKみたいな小説でもはや小説ではない。それなのにめちゃくちゃ長いので、有名なのに読破するのが困難な長編小説の一つとして知られているのです。
ただ、ハッとするような表現はいろいろあり、格言集のように楽しむことも可能なので、そのいくつかを今回はご紹介します。まるで令和に書かれた内容のようなものをピックアップしていきます。
☆人生における偶然が必然へと変わっていく感覚
結局のところ、人生も半ばに達すると大抵の人は、自分がいったいどうして現在の自分になったのか、つまり、いまの自分の満足感、世界観、妻、性格、職業、成功などをもつに至ったのか、それがもうわからなくなっている。だが一方では、今ではもう大して変わりようがないのだという感情ももっているのである。
この一節は「人生における偶然が必然へと変わっていく感覚」がよく表れています。むかし、明石家さんまがキッコーマンのCMで、「しあわせ〜ってなんだっけ? なんだっけ?」と歌っていましたが、本当に、幸せってなんなのかわからなくなりがちですよね。いまの状態が100点かと聞かれたら素直に首を縦には振れないけれど、じゃあ、問題があるのかと言えば、こんなもんかなぁって気もする。なにせ、現在に至るまでの無数の選択をしてきたのは自分ですからね。そのことをムージルは端的に記しているのです。
☆「真の〇〇」という嘘が社会に与える影響
「オーストリアとは何か、わたしは知っている。そして祖国愛とは何か、それもたぶん知っているよ。だが、真の祖国愛、真のオーストリア、真の進歩となると、どうもうまく想像できなくなるのだよ」
「歴史の資料を読んで、きっとご存じでしょうが、真の信仰、真の道徳、真の哲学などというものは、かつてあったためしがありません。しかし、こうしたものの名において行われた戦争、愚行、憎悪が、世界を作り変えて、実り豊かなものにしているのですよ」
様々な場面でよく耳にする「真の〇〇」という言葉の問題点を見事に看破しています。例えば、「真の日本人」みたいな話が出てきたらきな臭いですよね。それって、お前の匙加減次第だろ? というか、お前が自分を肯定し、気に食わない奴を無条件に否定するためのレトリックだろ? という違和感を覚えざるを得ません。ただ、この強力なレトリックは着実に機能していて、世界は大きく動いてしまう。本当に嫌ですが、意識しないとつい流されてしまうんですよね。それだけ都合のいい言葉なんだってことを忘れないようにしないといけません。
☆「誰かのせい」と「実現不可能な目標」で政治が混乱するという指摘
同時代の人々がラインスドルフ伯爵に送ってきた願望を整理するのは並大抵のことではなかった。しかし投書の中で数において抜きんでているものに、二つのグループがあった。一方のグループは、時代の弊害をある特定のもののせいにして、その除去を願うものだった。そしてその特定のものとは、ユダヤ人やカトリック教会、社会主義や資本主義、機械論的思考方法や技術の発達の軽視、人種の混血や混血防止、といった類のものにほかならなかった。これに反して、もう一方のグループは、その達成こそが必要とされている前方にある目標を、指示するものだった。
これはマジで現代人のつぶやきにしか見えません。SNSの陰謀論と理想論の不毛な戦いのことを言っていますよね。てっきり、SNSのせいで人類はそうなってしまったのかと思っていましたが、そんなことはなくて、SNSがない時代から人類はずっと同じような暴走を繰り返してきたのだとよくわかります。そして、その先に第一次世界大戦が勃発したんだと考えると、暗い気持ちにならざるを得ませんね。
☆平均の無意味さを指摘
「あるものはこの理由で、他のものは別の理由で自殺する。だがそれが大多数になると、この理由の偶然性と個人性は相殺されて、そして残るのは — そう、何が残ると思う? これが、きみに聞いてみたいことなんだよ。だって、きみも知るように、残るのは、われわれ素人の誰もがあっさりと『平均』と呼んでいるもの、つまり、それが何なのか、全然よくはわからないものなんだからね。
平均点や偏差値、平均年収、平均寿命など、わたしたちは常に「平均」より上か下かで一喜一憂しています。ただ、「平均」というのはたくさんいる人たちのデータを全部足し、人数で割って出てきた数字に過ぎず、具体的な存在はありません。平均的な人生と聞いたら、ありふれた人生のようですが、実際は架空の人生でしかないわけです。なのに、どうして、「平均」に振り回されなくちゃいけないんだろう?
☆嘘が成功するためのツールとなり、後ろめたさと無縁になった現代社会
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