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ジョブコーチなら迷わなかったのに、当事者としては迷った

6年半、私はジョブコーチとして、企業に常駐しながら働いていた。47人以上の障がいのある方の業務を支援し、いつも本人にこう声をかけていた。

「困ったことがあったら、遠慮なく言ってね」

本人に、直接そう声をかけてきた。何百回と、口にしてきたと思う。

今、私は障がい者雇用枠で、当事者として働いている。そして気づいた。「言ってくれていい」と言われることと、実際に言えることの間には、思っていたよりずっと大きな距離がある。

職場は「何でも相談してね」と言ってくれる。ありがたいと思う。でも実際には、相手が忙しそうにしているのを見ると、「今じゃないな」「もういいや」となる。それが続くと、そのうち言うこと自体をやめてしまう。

支援する側にいた時、私は「言い出せない当事者」を何人も見てきたはずだった。なのに自分がその立場になって初めて、「言ってくれていい」という言葉の中に、当事者側の負担がどれだけ詰め込まれているかを知った。

もうひとつ、忘れられない出来事がある。上司から、周りが自分にどう接すればいいか分からず戸惑っている、というようなことを言われた。

私はその言葉を、そのまま受け止めた。「自分は周りを困らせている存在なんだ」と。しばらく、その言葉を引きずった。

ジョブコーチとしてなら、これははっきり申し上げていた事案だ、とわかっていた。「本人が誰かの言葉を誤解したまま抱え込んでいる状態」は、支援していた頃の私なら、確実に間に入って確認していたケースだった。それがわかっていながら、当事者としての自分には、同じ基準を適用できなかった。今の自分はジョブコーチではない。一人の従業員として、あれこれ首を突っ込むのはどうなんだろう、と。

支援する立場と、支援される立場。その両方を経験して、はっきりした答えが出たわけではない。今も、障がい者雇用という枠の中で働いていると、「どこまで言っていいのか」「これは自分が口を出していい場面なのか」という迷いは消えない。

それでも、あの上司の言葉だけは、どうしても引っかかったまま消えなかった。だから、確かめようと決めたわけでもなく、気づいたら誰かに聞いていた。すると、実際には「みんな」がそう思っていたわけではなかったことがわかった。

その一言で、ずっと重かったものが少し軽くなった。聞いてみるもんだな、と思った。ジョブコーチとしての基準なら迷わなかったはずのことに、当事者としては迷った。それでも、迷ったまま黙っているより、聞いてよかった。あの一言がなければ、私は今も「自分は周りを困らせている」と思い込んだままだったから。

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