私は踏み台なのか、追い風なのか。
ふと気づいたことがある。
これまで深く関わってきた人たちが、その後、大きく飛躍していくことが妙に多い。
課長になった人。
ある地域で指導者となり、チームを優勝へ導いた人。
企業のトップに立った人。
長年の夢を叶えた人。
もちろん、それは本人が積み重ねてきた努力の結果だ。
だから「私のおかげ」なんて思っているわけじゃない。
でも、不思議なくらい重なるので、「これは何なんだろう」と考えることがある。
恋愛でも、仕事でも、人と関わるときの私は、その人の可能性を信じる。
「あなたなら、もっとできる。」
そんな思いで相手と向き合ってきた。
だからなのか、私との時間が一区切りついたあと、その人たちが大きく前へ進んでいくことがある。
私は「あげまん」という言葉はあまり好きではない。
誰かの人生を良くしたのは、その人自身の努力だからだ。
でも、人にはタイミングというものがある。
自信を取り戻す時期。
挑戦する勇気が湧く時期。
もう一歩踏み出そうと思える時期。
もし私に何か役割があるとしたら、そういう「追い風」のような存在なのかもしれない。
追い風は、自分では見えない。
でも、その風を受けた船は、思っていた以上に遠くまで進んでいく。
人生には、ずっと一緒に旅をする人もいれば、港を出る瞬間だけ伴走する人もいる。
私は案外、後者なのかもしれない。
そう考えると、少しだけ面白い。
そして、面白いことに、その人たちが手に入れたものは、私が欲しかったものではなかった。
課長という肩書きも。
会社の代表という立場も。
誰かに認められるような社会的な成功も。
もちろん、それは素晴らしいことだと思う。
でも、私自身はそこにあまり惹かれない。
だから、その人がそういう場所へ進んでいく頃には、私はもう別の景色を見ている。
きっと、彼らは彼らの幸せを目指し、私は私の幸せを目指していた。
どちらが正しいという話ではなく、向かう場所が違っていたのだと思う。
だから別れは失敗ではなく、それぞれが自分の望む人生へ進むための分岐点だったのかもしれない。
そう考えると、これまでの出会いにも、少し違った意味が見えてくる。
