なぜ東京の出生数増加は「出生率最下位」を覆い隠す欺瞞なのか(維新圧勝!)
はじめに
2025年の日本人の出生数は67万1236人となり、統計開始以来の過去最少を10年連続で更新しました。 合計特殊出生率も1.14まで低下し、こちらも過去最低を更新しました。 その一方で、東京都は出生数こそ8万5064人と10年ぶりに増加しましたが、合計特殊出生率は0.96のままで、全国最下位の座を脱していません。
この数字の並びは、東京都政が語る「出生数の増加」という成果が、東京都自身の出生力の回復を意味していないことを端的に示しています。 むしろ、東京都の強さは、地方や周辺県から若年層を吸い上げる人口集中の結果として生じていると見るほうが自然です。 それにもかかわらず、都政は018サポートのような大規模な給付策や、東京の魅力を強調する言説によって、あたかも東京一極集中そのものが日本を救うかのように振る舞ってきました。
しかし、東京の見かけの成功は、首都圏全体の改善を意味しません。 東京の周辺では、神奈川、千葉、埼玉も人口動態の悪化を抱えており、都市圏内部の格差はむしろ広がっています。 多摩川格差に象徴されるように、東京の繁栄はそのまま周辺の弱体化を伴っているのであり、東京だけが良く見える構造はきわめて歪んでいます。
本稿では、なぜ東京の出生数増加が「出生率最下位」を覆い隠す欺瞞として映るのかを確認したうえで、東京都政の傲慢、多摩川格差と首都圏の歪み、大阪の踏みとどまりと維新改革、愛知の失速、そして若者が東京へ向かう背景を順に検討します。そうすることで、東京一極集中の見かけの成功ではなく、各地域が自ら変わることを前提にした多極分散の必要性を明らかにします。
読者の皆様の参考になれば幸いです。
第1章 東京の出生数増加は何を意味するのか
2026年6月3日に厚生労働省が発表した人口動態統計月報年計(概数)によると、2025年の日本人の出生数は67万1236人で、統計開始以来の過去最少を更新しました。 合計特殊出生率も1.14で過去最低となり、少子化がもはや一時的な低迷ではなく、構造的な段階に入っていることを示しています。 その一方で東京都の出生数は8万5064人と10年ぶりに増加しましたが、合計特殊出生率は0.96のままで、全国最下位に変わりはありませんでした。 つまり、東京では「出生数は増えた」が「出生力は改善していない」という、きわめてねじれた状況が起きています。(図表1参照)

この数字だけを見れば、東京都は「改善した」と言えそうに見えます。ですが、出生数が増えたことと、出生力が回復したことは同じではありません。出生数は、その地域に何人の若年層が住んでいるか、何人が結婚し、何組が子どもを持つかによって大きく左右される指標であり、地域の本当の出生力を示すには合計特殊出生率のほうが重要です。 東京都の場合、出生数の増加は、都外からの若年層流入と婚姻件数の増加に支えられた面が強いと考えられます。 実際、2025年の速報値では東京都の出生数は前年から1.3%増え、婚姻件数も4.8%増えていました。 しかし、これはあくまで「東京に産む年齢の人が集まっている」ことの反映であって、東京都の少子化そのものが解決したことを意味しません。むしろ、東京が全国から適齢期人口を吸い寄せることで、数字だけが持ち直しているように見える、というほうが実態に近いのです。
ここで重要なのは、東京の出生数増加が首都圏全体の改善ではないことです。東京の周辺では、神奈川・千葉・埼玉のような県が、東京への吸引の裏側で出生環境を弱められています。 東京都は出生数を少し持ち直しても、そのために必要な若年層の一部は、周辺県や地方から移ってきた人々です。 つまり、東京の強さは東京都自身の内部で完結しているのではなく、周辺や地方からの人の流入を前提にしています。そのため、東京の出生数増加は、首都圏全体の出生力向上というより、圏域内の偏在と奪い合いの結果として見るべきです。
この構造を理解するうえで、他地域の増加との違いは決定的に重要です。富山・石川・香川などの地域も昨年より出生数を増やしましたが、東京とは意味が異なります。 これらの県では、少なくとも一部で出生率も上がっており、単に人を集めて出生数をかさ上げしたのではなく、地域の中で若い世代が子どもを持ちやすくなった、あるいは持ちやすい層が比較的残った結果として増加していると読めます。 2025年の都道府県別出生率でも、石川や富山、香川は東京の0.96とはまったく異なる水準にあり、香川は1.40、石川は1.30、富山は1.31と、いずれも東京より明確に高い水準です。(図表2参照)

この違いはきわめて重要です。東京都の増加は、全国から適齢期人口を吸い上げることで成立した「集積型」の増加であるのに対し、富山・石川・香川の増加は、出生率の持ち直しを伴う「出生力回復型」の増加です。 前者は都市の引力で数字が大きく見えるだけであり、後者は地域の内部で子どもを持つ条件が少し改善したことを示しています。つまり、両者は同じ「出生数増加」という言葉で括れたとしても、その中身はまったく別物です。
だからこそ、東京都の出生数増加をそのまま成果として語るのは危ういのです。東京は、結婚や出産の時期にある若年層を集めることで数字を持ち直していますが、合計特殊出生率は0.96のままで、出生力の改善は示していません。 その一方で、地方や周辺県からは若者が流出しやすくなり、首都圏全体でも、あるいは全国全体でも、出生を支える母体が細っていきます。 東京の増加は、東京自身の少子化の克服ではなく、日本全体の出生資源を東京に集めた結果として理解すべきです。
要するに、東京都の出生数増加は、表面上は明るいニュースに見えても、その中身を見れば、全国の若年層を集めた結果として数字が動いただけであり、出生力の本質的な改善ではありません。 東京の「成功」は、東京だけを切り取れば見えても、日本全体、あるいは首都圏全体の文脈に置くと、むしろ人口再生産の歪みを際立たせています。 だからこそ、東京都の出生数増加は、単純な成果としてではなく、構造的な欺瞞として検討する必要があります。
第2章 東京都政の傲慢と見かけの成功
東京都政は、この出生数の増加を、まるで自らの政策が実を結んだ成果であるかのように語りやすい立場にあります。 実際、2025年度の東京都予算は一般会計だけで9兆1580億円と初めて9兆円を超え、子育て支援関連には6103億円が盛り込まれました。 さらに、0歳から18歳までを対象に月5000円を支給する「018サポート」や、第1子の保育料無償化など、他地域では容易に真似できない規模の施策が打ち出されています。
この大規模な予算と給付は、東京都が「子育てしやすい都市」であるという印象を強くつくります。 小池知事と都民ファーストの東京都政は、こうした施策を通じて、東京の強さを政策的に演出してきたと言えます。 ですが、その強さは東京内部で自然に生まれたものではなく、全国から人と税収を集められる圧倒的な集積に支えられています。 つまり、東京都政の「成功」は、都市の優位と財政の厚みを前提にしたものであり、他地域から見ればあまりにも傾いたゲームなのです。
さらに東京都政は、出生数の増加を「東京の魅力」の証拠として語り、東京一極集中そのものを肯定的に描きがちです。 実際、東京都内では都外からの若年層流入が続き、それが婚姻件数や出生数を押し上げていると報じられていますが、それをもって「東京の政策が全国の少子化を救う」と結論づけるのは早計です。 東京の見かけの好調は、あくまで適齢期人口の流入と巨額予算の組み合わせによって作られた数字であり、東京内部の出生力そのものが高まったことを示してはいません。
ここで問題なのは、東京都政の傲慢が、単に東京を誇ることにとどまらず、周辺県や地方の弱体化を見えにくくする点にあります。 東京が「出生数増加」を成果として持ち上げれば持ち上げるほど、その裏で周辺県から若年層が抜け、地方では結婚も出産も難しくなっていきます。 東京都政の語りは、東京だけが勝てばよいという発想を、子育て支援と人口政策の名の下に正当化してしまうのです。
この意味で、東京都政の傲慢とは、都民に手厚いという表面的な話ではありません。むしろ、圧倒的な財政力と集積を背景に、東京の成功を東京自身の努力に見せかけ、東京一極集中が日本全体を救うかのように語ってしまうところにこそあります。 ですが、実際にはその「成功」の多くが、地方から吸い上げた若年層と周辺県の犠牲の上に成り立っています。 東京都政の誇示する出生数増加は、その構造を覆い隠したまま、東京だけが良く見えるように組み立てられた見せかけなのです。
第3章 多摩川格差と首都圏の歪み
東京の問題は、東京の中だけでは終わりません。むしろ、東京が巨大な予算と制度的優位を背景に「子育てしやすい都市」を演出すればするほど、その境界線の外側にいる神奈川、千葉、埼玉との格差が目に見える形で広がっていきます。 とりわけ多摩川を挟んだ東京と神奈川の差は象徴的で、同じ首都圏にありながら、受けられる子育て支援や教育支援に大きな差が生じています。
東京都は、18歳以下への月5000円給付である018サポート、小中学校の給食費無償化、保育料の無償化拡大など、財政力を活かした手厚い施策を次々に打ち出しています。 その結果、東京に住む家庭は、住民票の置き場所ひとつで何万円、場合によっては何十万円もの差を得ます。 一方で、川崎市や横浜市を含む神奈川側は、同じ多摩川の反対側にありながら、こうした給付の厚みを十分には持てません。 たとえば東京都の018サポートは18歳まで月5000円、年6万円であり、制度の継続だけで子ども1人あたり相当額になります。 神奈川県では県独自の横並び給付ではなく、市町村ごとの対応にばらつきが大きく、川崎市や横浜市も、東京都のような一律の現金給付を持ちません。 つまり、東京で出生数が増えているとしても、それは東京が「出生に有利な環境」を自前で作れたというより、圧倒的な財源を背景に周辺を引き離した結果なのです。
この格差は、単なる行政サービスの違いではありません。子育てに必要な保育、教育、医療、通学、住宅の負担は、毎日の生活そのものに直結します。 多摩川格差が大きくなるほど、東京に近い神奈川でさえ、「東京の外にいる」というだけで家計と生活の設計が厳しくなります。しかも、その差は神奈川だけにとどまらず、千葉や埼玉にも広がっています。 こうして首都圏は、ひとつの生活圏でありながら、東京中心に子育て条件が偏在する、きわめて歪んだ構造になっているのです。
さらに、出生率の10年変化を見ても、この歪みは際立ちます。あなたの資料では、東京都は2015年の1.24から2025年の0.96へと0.28低下したのに対し、神奈川県は1.39から1.05へと0.34低下しています。数字だけを比べると、東京は「減少幅が小さい」と見えるかもしれません。ですが、その見方では本質を見落とします。東京は0.96という全国最下位水準まで落ちてなお、出生数を人の流入で持ちこたえているのに対し、神奈川は周辺県としての役割を背負いながら、東京ほどの財源も支援も持たないまま、より深く出生力を削られているからです。(図表3参照)

しかも東京の優位は、神奈川の弱さを単に映すだけではありません。東京が「出生数増加」を成果として掲げれば掲げるほど、その外側では若年層が流出し、周辺県では結婚や出産の選択肢が細ります。 東京圏全体で見れば、東京都の好調は周辺県の不利と引き換えになっています。したがって、多摩川格差とは、東京都と神奈川県の間の格差というより、東京が首都圏の出生資源を集め、周辺を構造的に弱らせる仕組みそのものだと言ったほうが正確です。
この構造の厄介さは、東京内部にいる人ほど見えにくいことにあります。東京都政は「東京の子育て支援は手厚い」と胸を張りやすいですが、その手厚さは多摩川の向こう側には届きません。 結果として、東京の出生数増加は、首都圏全体の出生力向上ではなく、むしろ首都圏内の格差拡大の上に成立しています。 多摩川格差は、その見かけの成功の裏側にある歪みを、最もわかりやすく示す象徴なのです。
第4章 大阪の踏みとどまり
大阪府は、東京のような「巨大な予算で見せる成功」とは違う形で、この10年を踏みとどまってきました。2015年の大阪府の出生数は70,596人、2025年は52,598人で、10年で17,998人減少しました。合計特殊出生率も2015年の1.39から2025年の1.13へと低下しましたが、減少幅は東京都の1.24→0.96と同水準にあり、少なくとも東京より「壊れ方が遅い」わけではないにせよ、首都圏のような見せかけの浮上ではなく、苦しい条件の中で踏みとどまっていることがわかります。(図表3参照)
ここで重要なのは、大阪が昔から「良かった」のではなく、むしろ以前はかなり厳しかったという点です。大阪は婚姻件数でも全国上位の常連ではありますが、離婚率の高さや人口動態の不安定さが長く指摘されてきました。たとえば2015年時点でも、大阪は離婚率が全国でも高い部類にあり、婚姻件数も東京ほど突出せず、地域としての再生産力は決して安泰ではありませんでした。つまり、大阪のこの10年は、もともと優等生だった都市が少し失速したという話ではなく、苦しい都市が何とか崩れ方を抑えた、というほうが近いのです。
それでも大阪が相対的に踏みとどまったのは、東京とは違って、出生数の増減を「人口流入の見かけ」でごまかせない中で、都市としての居住性を少しずつ整えてきたからだと考えられます。大阪は東京のような財政的余裕を持ちません。にもかかわらず、子育て支援や都市再編を通じて、少なくとも「住み続けられる都市」であることを維持しようとしてきました。そこには、東京都のような圧倒的な給付力ではなく、限られた財源の中で都市の魅力を保とうとする現実的な努力があります。
また、近年の大阪は、インバウンドや再開発、万博などを通じて都市の見え方を変えてきました。もちろんこれらは賛否のある政策ですが、少なくとも大阪が「自ら変わろうとしている」ことは確かです。東京のように、巨大な予算で一気に印象をつくるのではなく、都市機能を少しずつ更新しながら、若年層が残る余地を広げてきました。その結果として、東京一極集中の圧力が強い中でも、大阪は出生や婚姻の基盤を完全には失わずに済んでいます。
さらに、大阪の数字を首都圏と比べると、その踏みとどまりの意味は明確になります。東京は出生数こそ増えましたが、それは流入と予算に支えられた見かけの改善です。一方、大阪は流入の恩恵だけでなく、都市そのものを少しずつ変えながら、出生力の崩壊を抑えています。だから、大阪のこの10年を評価するときは、「東京に次ぐ大都市」というだけでなく、東京一極集中に対抗しながら都市として生き残る努力をしてきたという観点で見る必要があります。
第5章 維新改革と大阪の変化
大阪府のこの10年は、単なる「少し持ちこたえた」ではなく、東京一極集中の圧力の中で、それでも東京に次ぐ水準の減少率にとどめたという点に意味があります。以下の表でも、大阪府の出生数は2015年の70,596人から2025年の52,598人へと17,998人減少し、減少率は25.49%でした。これは東京都の24.85%よりわずかに大きいですが、東京のように巨額予算と全国規模の流入を背景にした「見せかけの強さ」ではなく、むしろ厳しい条件の中で踏みとどまった結果として読むべきです。(図表4参照)

とりわけ重要なのは、コロナ禍を挟んだ時期の大阪の動きです。コロナ前後で若年層の移動が鈍る中、東京の出生数は流入依存の弱さを露呈しやすかった一方、大阪はその影響を受けながらも、首都圏ほど急激には崩れませんでした。 このことは、東京都が「人を集める力」で出生数を作っていたのに対し、大阪は「人が去りにくい都市」として踏みとどまっていたことを示しています。つまり、大阪の数字は東京のような急増ではないものの、人口流入が滞った局面でも崩れ方が比較的穏やかだった、という意味で評価すべきなのです。(図表5)

また、大阪は過去に婚姻件数や離婚件数、自然減の面でかなり厳しい局面を経験してきました。近年では出生数の減少が戦後最少を更新し続ける中でも、2015→2025年の減少率では東京に次ぐ水準に収まり、コロナ禍の非少子化日本一とも言える局面を作り出しました。 これは単純に「出生率が上がった」という話ではありません。むしろ、もともと厳しかった大阪が、維新改革による行政再編、都市再開発、観光・インバウンドの強化、万博や交通インフラ整備などを通じて、都市としての魅力を少しずつ作り直してきた結果、少子化の進行速度を東京並みにまで抑えた、と見るほうが自然です。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=83284?site=nli
この変化は、兵庫県など近畿圏周辺にも影響を及ぼしています。大阪の都市機能が再編され、若年層が「大阪を選ぶ」余地が少しでも広がれば、その生活圏は兵庫や京都へも波及します。逆に、大阪が沈めば近畿圏全体が引きずられます。つまり、大阪の好転は大阪一市の話ではなく、近畿圏の受け皿を維持するための基盤整備でもあるのです。(図表6)

その意味で、大阪のこの10年は、東京のように巨大財政で数字を作るのではなく、財政制約の中で都市を変え、結果として人口動態の崩れ方を抑えた、という点に価値があります。東京の出生数増加が「集めたから増えた」ものだとすれば、大阪の踏みとどまりは「変わったから持ちこたえた」ものだと言えます。ここに、東京と大阪の決定的な違いがあります。
第6章 都構想と副首都、多極分散
大阪都構想や副首都構想は、単なる行政の話ではありません。東京一極集中の歪みをどう崩すのか、そして若年層が東京以外でも暮らし、働き、子育てできる国土構造をどうつくるのかという問題です。 維新が掲げる副首都構想は、災害時のバックアップ機能だけでなく、「多極分散型経済圏」を形成し、東京圏以外に経済・行政の核を置くことを目指しています。
この構想の意味は、人口動態の観点から見るとさらに明確になります。東京が出生数を増やして見せる一方で、地方や周辺県から若年層を吸い上げているのであれば、東京一極集中は少子化対策になりません。 むしろ、東京以外にも「選べる中核」をつくることが、結婚・出産・子育ての舞台を広げることにつながります。副首都構想が人口分散の政策として注目されるのは、そのためです。
もっとも、副首都構想は大阪都構想と切り離しては理解しにくい構想です。維新が想定する副首都の要件には、特別区設置や「都」への名称変更を住民投票で問える仕組みが含まれており、実質的には大阪都構想の延長線上にあります。 つまり、大阪市を再編し、府に権限を集中させることで、都市としての意思決定を迅速にし、東京に対抗できる中核をつくるという発想です。批判も多いですが、少なくとも「多極分散を制度化する」ことを本気で考えている点に意味があると考えます。
一方で、小池知事が副首都構想に強く反発するのは、東京の中心性が相対化されるからだと読むのが自然です。 東京都は、巨大な予算と子育て支援を背景に、東京が日本の優位を保っているかのように語りやすい立場にあります。 しかし副首都構想が制度化されれば、東京だけに人も資源も集める構造が揺らぎ、東京の政治的・経済的な独占は弱まります。小池知事が「首都を守る」と強調するのは、単なる防災論というより、東京の特権的地位を守るための防衛線として見るほうが筋が通ると感じます。
さらに、副首都や多極分散は、東京の出生数増加の欺瞞を終わらせる意味でも重要です。東京が人を集めて出生数を見せる構造が続く限り、周辺県や地方の出生環境は削られ続けます。 副首都構想が進めば、東京に行く以外の選択肢が増え、若年層が地域に残る、あるいは地域間で分散して移動する余地が生まれます。 そのとき初めて、出生数の増加を一都市の成果として誇るのではなく、日本全体の出生基盤をどう広げるかという議論が可能になります。
要するに、第6章で私が言いたいのは、東京一極集中を是正するには、単に東京を批判するだけでは足りないということです。大阪都構想や副首都構想は賛否はあるにせよ、東京以外に中核をつくるための制度的な試みであり、多極分散の入口として位置づけられます。 東京都政が見せる「出生数増加」という欺瞞に対抗するには、東京の優位を守る発想ではなく、東京以外の核を強くする発想が必要なのです。
第7章 愛知県の人口動態の低迷
愛知県は、かつては首都圏に次ぐ強さを持つ中枢圏でした。自動車産業を中心とする雇用と比較的高い所得水準があり、2000年代には大阪よりも良い人口動態を示す局面さえありました。 しかし、その愛知も今では大きく失速しています。2025年の愛知県の出生数は約4万4千人台で過去最少、合計特殊出生率は1.22で過去最低を更新しました。 さらに言えば2015年からの減少数は、出生数・合計特殊出生率ともに大阪府よりも大きな落ち込みとなっています。
この数字が示しているのは、愛知が「産業が強いから大丈夫」という段階を完全に過ぎてしまったという現実です。 かつては自動車産業の雇用が若年層、とくに男性の定着を支えましたが、今では産業の強さだけでは人口を維持できません。出生率は1.22まで下がり、出生数も4万4千人台まで縮小している以上、愛知の課題はもはや「雇用があるかどうか」ではなく、「その雇用が結婚や出産につながる生活圏をつくれているかどうか」に移っているのです。
とりわけ深刻なのは、愛知がかつて大阪よりも優秀だった数字を持っていたにもかかわらず、今では立場が逆転していることです。これまでの比較で見ても、大阪はこの10年で厳しさの中でも踏みとどまり、2015年→2025年の減少率では東京に次ぐ水準にとどまりました。一方の愛知は、かつての優位を保てず、出生率も出生数も下げ続けています。 つまり、愛知は「もともと強かったのに崩れた」という意味で、大阪よりもむしろ失速の痛みが大きいのです。
出生率が下がり、出生数が減れば、地域社会の再生産基盤はじわじわと弱っていくしかありません。愛知は、かつてのような「産業があるから若者が残る」都市ではなくなり、家族形成の条件そのものが悪化していると見ざるをえません。
さらに重要なのは、愛知の失速が東京一極集中のせいだけでは片づけられない点です。愛知は一時期、東京圏に次ぐ人口の強さを持っていたからこそ、今の失速が余計に深刻に見えます。 もともと優位にあった地域が、その優位を維持できなかったということは、東京一極集中の圧力が強いというだけでなく、地方中核圏が自分で自分を磨けなければ簡単に後退することを意味しています。愛知の転落は、その象徴です。
したがって、愛知の話は「東京が悪い」で終わりません。産業の強さを誇るだけで、地域の魅力を更新できない都市は、少子化の時代に選ばれなくなります。愛知はまさにその典型であり、東京に流れる若者を止めることができないだけでなく、自分自身の都市としての魅力を次世代に合わせて作り替えられませんでした。その結果として、出生率も出生数も、そして人口そのものも、急速に低迷しているのです。
第8章 若者が東京へ向かう背景
若者が東京へ向かうのは、単に東京が強いからではありません。むしろ、地方で「ここに残って暮らす」という将来像が描きにくいからです。富山県では2024年の転出超過が2119人に達し、しかもその約8割が20代でした。 とくに20代女性の流出が998人に上るなど、若い世代、とりわけ女性が地域から離れていく構図が鮮明になっています。 東北圏でも、若い女性の域外流出が深刻な課題として分析されており、「そこで働きたい」「そこに住みたい」と思われる地域でなければ、人口の定着は難しいと指摘されています。
この流れは富山だけではありません。東北や日本海側の地域では、東京圏への進学・就職・転職の流れが続き、若年層、とくに女性が都市へ移動する傾向が強くなっています。 その背景には、雇用の数だけでなく、働き方の選択肢、賃金、教育、文化、ジェンダー観、生活の自由度など、日常の総合的な魅力の差があります。 つまり、若者は「仕事があるか」だけで東京を選んでいるのではなく、「自分の人生を組み立てやすいか」で都市を選んでいるのです。
この点で、東京の出生数増加はやはり構造的です。地方で将来像を描きにくい若者が東京へ集まり、その結果として東京の婚姻件数や出生数が押し上げられます。 しかしその一方で、地方は若年層、とくに次世代の母体となる女性を失い、出生の土台そのものが細っていきます。 東京の出生数増加は、東京が子どもを産みやすい都市になったことの証拠ではなく、地方の若者が東京に吸い寄せられた結果として数字が動いただけだと捉えるべきです。
ここで重要なのは、地方が東京に流れる理由を「若者がわがままだから」と見るのではなく、地方側が若者に選ばれる条件を十分に更新できていないと見ることです。富山や東北の事例が示すのは、地域に残りたいと思える雇用、文化、自由、ジェンダーの空気、生活のしやすさが欠けると、若者は確実に流出するという現実です。 逆に言えば、東京の強さは東京の魅力だけで成立しているのではなく、地方の未整備な環境がそのまま東京への移動圧力になっているのです。
この構図を踏まえると、東京の出生数増加がなぜ欺瞞的に見えるのかがはっきりします。東京は全国から適齢期人口を集めて出生数を増やしていますが、その裏では富山、東北、日本海側をはじめとする地域が若年層を失っています。 つまり、東京の数字は東京の成功ではなく、地方の空洞化を反映している面が大きいのです。東京に行く若者が増えるほど、東京の数字は良く見え、地方の数字は悪くなる。このゼロサム的な構造こそが、本稿の問題意識の中心にあります。
したがって、第8章で私が言いたいのは、若者の東京志向は個人の選択の結果であると同時に、地方都市の魅力更新の失敗でもある、ということです。東京だけが強いのではなく、地方が選ばれない条件を抱えたままになっています。 その現実を直視しなければ、東京の出生数増加をいくら持ち上げても、全国の少子化は止まらないのです。
おわりに
2025年、日本の出生数は67万1236人、合計特殊出生率は1.14と、いずれも過去最低を更新しました。 そのなかで東京都の出生数は8万5064人と10年ぶりに増加し、「少子化に下げ止まりの兆し」といった言葉も並びましたが、合計特殊出生率は0.96で全国最下位のままでした。 このねじれこそが、本稿で論じてきた「出生率最下位」を覆い隠す欺瞞です。東京は、全国から適齢期人口を集めることで数字を良く見せているにすぎず、出生力そのものが回復したわけではありません。
さらに、その「成功」は首都圏全体の改善を意味しません。多摩川格差に象徴されるように、東京都の手厚い子育て支援と周辺県、とりわけ神奈川側の相対的な脆弱さの間には大きな段差があります。 東京都は巨額の予算で子育て支援を打ち出し、出生数増加を成果として掲げる一方で、周辺県や地方は若者を奪われ、出生の土台そのものが削られています。 東京が良く見えるほど、東京以外の数字は悪くなる。この構造を隠したまま「東京の出生数増加」を語ることは、やはり欺瞞と言わざるをえません。
それでも必要なのは、「東京を叩くこと」ではなく、各地域が自ら変わることを前提にした多極分散の設計です。大阪都構想や副首都構想は賛否を呼びますが、少なくとも東京以外に人口・経済・行政の核をつくり、首都機能を分散させる試みとして、東京一極集中に対する現実的な対抗軸を示しています。 東京の出生数増加が覆い隠している欺瞞を終わらせるには、東京の優位を守る政治ではなく、東京の外に「選べる中核」をつくる政治が必要です。
政治が変われば、東京の欺瞞も止められます。出生数を一都市の「成果」として誇るのではなく、日本全体で出生の舞台を増やし、若者がどの地域でも将来像を描けるようにすることが必要です。 そのために、多極分散を前提とした制度設計と、各地域の本気の自己変革が欠かせません。本稿で描いてきた東京、大阪、愛知、そして地方の姿は、その出発点を示しているにすぎません。問題は数字の解釈ではなく、これからどのような都市と国土の構造を選び取るかという政治の選択なのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本稿は仲池屋編集委員の「維新圧勝!」氏による論考です。
本稿の著作権及び文責は「維新圧勝!」氏に帰属します。
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