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ゲーム『FFVII』から考える⑩|当時の僕が「とんでもないゲームだ」と感じた理由

『ファイナルファンタジーVII』は、

僕にとって昔から特別な作品です。

今のゲームと比べれば、

キャラクターのポリゴンは粗く見えるかもしれません。

映像の美しさも、

現在の作品の方がはるかに進化しています。

それでも、

当時の僕には、

とんでもないゲームが現れたように感じられました。

それまでの『ファイナルファンタジー』も好きでした。

そのシリーズがPlayStationへ移り、

キャラクターや戦闘が3Dで表現される。

物語の途中にはCGによる映像が入り、

巨大なミッドガルや広い世界が描かれていました。

知っているシリーズの続編でありながら、

これまでとは違うものが始まった。

そんな驚きがありました。

ただ、

『FFVII』のすごさは、

新しい映像技術だけではありません。

壮大な世界。

先を知りたくなる物語。

それぞれに過去や迷いを持つ登場人物。

場面と一緒に記憶へ残る音楽。

本筋を忘れるほど夢中になれる寄り道。

多くの要素が一つにつながり、

長い時間を過ごせる世界が作られていました。

僕は物語を進めながら、

こんなストーリーを考えられる人がいるのかと驚きました。

そして、

自分もいつか、

こういうものを作ってみたいと感じた記憶があります。

遊んで終わるだけではなく、

何かを作る側への憧れまで生まれた。

それほど大きな刺激を受けた作品でした。

本当に心を動かす作品は、

楽しませるだけでなく、

自分も何かを生み出してみたいという気持ちを残します。

当時の最先端は、

いつか新しい技術に追い越されます。

映像の美しさや機能だけで比べれば、

過去の作品が新しい作品に勝つことは難しいでしょう。

それでも、

初めて触れたときの衝撃まで古くなるわけではありません。

自分の中にあったゲームの基準を変え、

物語でここまで人を引き込めるのだと教えてくれた。

その体験は、

今の美しい映像を見たときとは違う形で残っています。

『FFVII』は、

やり込みとは何かも教えてくれました。

物語を進めるだけでなく、

世界の中で遊び、

試し、

集め、

気づけば長い時間を過ごしている。

クリアしたという結果以上に、

その世界へ没頭した時間が思い出になっています。

今振り返れば、

技術的にできることは限られていたはずです。

その限られた表現の中で、

想像を超える世界と物語が作られていた。

だから僕にとって『FFVII』は、

昔すごかっただけのゲームではありません。

作品に心を動かされ、

自分も何かを作ってみたいと感じた原点の一つです。

あのとき感じた「とんでもないゲームだ」という驚きは、

今も作品への憧れとともに残っています。

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