【梅田で倒れた午後、上司は省エネだった】 | エッセイ
私の上司は、
若いころの三上博史に似ていた。
あの、少し神経質で、線の細い、
シュッとした三上博史。
トレンディドラマの残骸が、
なぜか令和のオフィスに
迷い込んでしまったような人だった。
あれはたしか、
真夏の梅田でのこと。
アスファルトが溶けかけているような、
茹だるような昼下がりだった。
日々の激務がたたり、
私は路上で綺麗に倒れた。
一ミリのブレもなく、
まるで定規で引いた線のように垂直に。
視界の端にうつるのは、
陽炎に揺れる誰かの革靴ばかり。
そしてなぜか、
鼻先のすぐそこには、
梅田の犬のフンがあった。
「ああ、私、
いよいよあっち側の人間になっちゃったんだな」
そんな悟りを開きながら、
私は最後の力を振り絞って地面を這った。
女子高生の
「えっ、ヤバ……」という声をBGMに、
震える指で
その三上博史(仮)に電話をかけた。
「……いま、事務所の裏です……。
脱水症状で、一ミリも動けなくなりました……。
助けに来てもらえませんか……」
数秒の沈黙のあと、
受話器の向こうから聞こえてきたのは、
あの極上の低音による
省エネボイスだった。
「あ、大丈夫っすか?」
一瞬だけ、期待した。
「あ、動けるようになったらでいいんで、
そのあと次のアポよろしくでーす」
プツッ。ツーーー、ツーーー。
……いや、
「動けるようになったら」って、
いったいいつのことよ。
来世か何か?
輪廻転生を何度か経てから行けばいいわけ?
私はいま、
梅田の地べたでアリと
全く同じ目線で這いつくばっているというのに。
別の日のことだ。
「冷蔵庫から俺のペットボトル出してもらえる?」
「目印はなんでしょうか」
「蓋に名前書いてるよー」
尾崎。おざき。オザキ。OZAKI。
⋯⋯無い。
「わり、書いてなかったわ」
彼は油性ペンで、
デカデカと「三上」と書き殴って、
どこかへ行ってしまった。
顔の作りが三上博史なのだから、
わざわざ容器にまで
名前の所有権を主張させなくてもいいのに、
と思う。
不思議なもので、
彼はなぜか女性受けが抜群によかった。
オフィスでエレベーターに乗ると、
どこからともなく
女性たちが吸い寄せられてくる。
エアコンの冷気に震えていた女性が、
彼と乗り合わせた途端、
カーディガンを脱いだ。
髪を寄せ、うなじを見せる。
……一体、何を見せられているのだろうか。
しかも彼には妻も子どももいる。
本人は、何も知らない顔をしていた。
顧客から妙な連絡が続き、
半泣きで相談したときもそうだった。
彼はいつもの声で言った。
「事実確認をします。大丈夫っすよ」
「具体案は……?」
「まぁ、なんとかね。なりますよ」
……何もしない。
本当に、何もしない。
少し前の誕生日。
私の自宅に、
例の客から
ユニクロのパジャマセットが届いた。
深夜に届く
「おーい、起きてる?」という
ショートメールの暴力といったらなかった。
夜中に人を起こさないでほしい。
ここはキャバクラではない。
そもそも、女の子という歳ですら無い。
いつか私は、
この男のせいで盛大にキレて、
アンガーマネジメント研修に
放り込まれるかもしれない。
彼は悪くない。
……平常運転なのだ。
あの猛暑の梅田の午後。
路上でセミの死骸と目が合った瞬間の、
どうしようもない虚無感は、
今でも覚えている。
そして、アイツを教育しなかった自分も。
