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800記事制作突破記念記事。いつもありがとう(*´▽`*)

人は何故、嫌いな人の動向を見続けるのか❔

嫌いなら、見なければよいはずです

嫌いな人がいる。

その人の言動を見ると腹が立つ。

考え方も合わない。

できれば関わりたくない。

それなら、見なければよいはずです。

SNSならフォローを外す。

表示されないようにする。

名前を検索しない。

投稿を読まない。

それだけで、かなり穏やかに暮らせます。

しかし実際には、嫌いな人ほど気になってしまうことがあります。

今日は何を書いているのか。

誰と話しているのか。

また問題を起こしていないか。

失敗していないか。

嫌われていないか。

わざわざ見に行って、予想どおり腹を立てます。

そして、

「やっぱり嫌いです」

と確認して帰ってきます。

嫌いな人を見ることで不快になると分かっているのに、何故、人は見続けてしまうのでしょうか。

嫌いは、無関心ではありません

好きの反対は、嫌いだと思われがちです。

しかし、本当の意味で好きの反対にあるのは、無関心なのかもしれません。

何とも思っていない人の動向を、毎日確認することはありません。

今日何を食べたのか。

何を投稿したのか。

誰に褒められたのか。

そんなことは気になりません。

嫌いな人が気になるということは、その人が心の中で大きな場所を占めているということです。

もちろん、好意があるという意味ではありません。

怒り、不信感、競争心、嫉妬、恐怖。

そうした感情によって、相手へ注意を奪われています。

嫌いな人を見続けているとき、人は相手を遠ざけているつもりで、実際には心の中へ招き入れています。

相手は何もしていない時間にも、こちらの頭の中で暮らし続けるのです。

自分が正しいと確認したいのです

人は、一度誰かを嫌いになると、その判断が正しかった証拠を探し始めます。

「あの人は信用できません」

「性格が悪いです」

「いつか問題を起こします」

そう思ったあとで、相手が普通に暮らし、周囲から好かれていると、少し落ち着かなくなることがあります。

自分の見方が間違っていたのではないか。

嫌っている自分のほうに問題があるのではないか。

その疑いを打ち消すために、相手の欠点を探します。

失言を見つける。

間違いを見つける。

評判の悪い話を探す。

そして何か一つ見つけると、

「ほら、やっぱり自分が正しかった」

と安心します。

相手を監視しているように見えて、実際には自分の判断を守っているのです。

嫌いな人には、失敗してほしくなります

認めたくない感情ですが、嫌いな人には失敗してほしいと思うことがあります。

仕事で評価されなければよい。

人気が落ちればよい。

人間関係で困ればよい。

間違いが明らかになればよい。

それによって、自分の怒りが報われるように感じるからです。

相手が順調に成功していると、

「どうしてあの人が評価されるのか」

という不公平感が生まれます。

嫌いな人の成功は、自分の常識が否定されたように感じられます。

反対に、失敗すれば、

「世の中はきちんと見ています」

「悪いことをする人には結果が返ってきます」

と納得できます。

その瞬間を見逃さないために、動向を追い続けます。

しかし、嫌いな人の失敗を待つ生活は、かなり苦しいものです。

相手が失敗しない限り、自分の心も終われないからです。

嫉妬は、嫌いという顔をすることがあります

嫌いな相手が、自分の持っていないものを持っている場合があります。

人気。

容姿。

才能。

収入。

自由な生活。

人から愛される性格。

自信。

自分が努力しても得られないものを、相手が簡単に持っているように見える。

そのとき、人は素直に、

「羨ましいです」

とは認めにくいものです。

そこで羨望が、嫌悪に姿を変えることがあります。

「あの人は中身がありません」

「運が良かっただけです」

「周囲に持ち上げられているだけです」

そう言うことで、相手の価値を下げようとします。

しかし、本当に価値がないと思っているなら、何度も見に行く必要はありません。

気になって仕方がないのは、相手の中に、自分が欲しかったものが見えているからかもしれません。

嫌いという感情の底に、認めたくない憧れが沈んでいることもあるのです。

相手を理解すれば、勝てる気がします

嫌いな人の動向を知ることは、ある種の情報収集でもあります。

何を考えているのか。

誰とつながっているのか。

次に何をしそうなのか。

弱点は何か。

人は、自分にとって不快な相手を理解することで、安心しようとします。

分からない相手は怖いからです。

何をするか分からない。

どこから攻撃してくるか分からない。

自分について何を言っているか分からない。

その不安から、相手を監視します。

しかし、情報を集めれば安心できるとは限りません。

新しい投稿を見るたび、新しい不安や怒りが生まれます。

知らなければ気にせずに済んだことまで知ってしまいます。

安心するために見始めたのに、見るほど心が落ち着かなくなるのです。

SNSは、嫌いな人を見やす過ぎます

昔なら、嫌いな人と距離を置けば、その人の生活はほとんど分かりませんでした。

学校や職場を離れれば、顔を見ることもなくなります。

風の便りに話を聞く程度です。

しかしSNSでは、検索すれば数秒で見つかります。

何を食べたのか。

誰と会ったのか。

どこへ行ったのか。

何を買ったのか。

どれだけ評価されているのか。

相手が自分に直接見せているわけではないのに、生活の断片が毎日流れてきます。

しかもSNSの仕組みは、強い感情を引き起こす投稿を何度も見せます。

怒って長く見た投稿。

批判を書き込んだ投稿。

何度も確認したアカウント。

システムは、それを興味だと判断します。

嫌いだから見ているのに、見れば見るほど表示されます。

SNSにとって、好意と嫌悪は、それほど違いません。

どちらも画面を見る時間を増やす感情だからです。

嫌いな相手を監視しているうちに、機械からは熱心なファンのように扱われます。

悪口を言うために、材料が必要になります

嫌いな人について誰かと話していると、話題を続けるために材料が必要になります。

「あの人、またこんなことを書いていました」

「今度はこんな失敗をしていました」

「やっぱり変わりませんね」

新しい情報があるほど、会話は盛り上がります。

嫌いな人が、共通の話題になるのです。

すると、相手を見続けること自体が、小さな娯楽になります。

腹は立ちます。

しかし同時に、退屈を埋めてくれます。

誰かと一緒に批判すれば、仲間意識も生まれます。

「自分たちは分かっています」

「あの人だけがおかしいです」

という連帯感です。

この状態になると、嫌いな人がいなくなっては困ります。

批判する材料も、仲間と盛り上がる話題も消えてしまうからです。

嫌いな相手を追いかけながら、実はその相手に娯楽を依存していることがあります。

怒りは、簡単に習慣になります

嫌いな人の投稿を見る。

腹が立つ。

誰かに話す。

少し気が晴れる。

この流れを繰り返すと、怒りが習慣になります。

朝起きて確認する。

休憩中に確認する。

夜にも確認する。

何か問題を起こしていないか探す。

やがて相手が何もしていない日には、物足りなさを感じることさえあります。

怒りは不快な感情ですが、強い刺激でもあります。

退屈な日常の中で、心を一気に動かしてくれます。

そのため、怒りを嫌いながら、怒りを求めるようになることがあります。

嫌いな人を見ることが、毎日の刺激になってしまうのです。

これは、かなり危険です。

相手の人生を見ているつもりで、自分の時間を渡し続けているからです。

嫌いな人を見ても、自分の人生は進みません

相手が失敗していた。

評判を落としていた。

誰かに批判されていた。

それを見れば、一瞬だけ気分がよくなるかもしれません。

しかし、自分の現実は何も変わりません。

収入が増えるわけではありません。

仕事が片づくわけでもありません。

孤独が消えるわけでもありません。

自分の作品が完成するわけでもありません。

相手の不幸を確認しても、自分の幸福が増えるわけではないのです。

むしろ、見るために使った時間と、腹を立てた後の疲労だけが残ります。

嫌いな人の動向を追う時間は、自分の人生が止まっている時間でもあります。

ブロックすることは、負けではありません

嫌いな人を見ないようにすると、

「逃げたようで悔しい」

「相手に負けた気がします」

と思うことがあります。

そのため、ブロックやミュートを使わず、あえて見続ける人もいます。

しかし、見ないことは敗北ではありません。

自分の注意を、自分で使うということです。

時間も感情も、有限です。

誰を見るのか。

何を読むのか。

何について考えるのか。

それを選ぶ権利は、自分にあります。

嫌いな人へ注意を払い続けることは、その人に自分の時間を無料で提供することです。

見ないという選択は、相手を許すことでもありません。

好きになることでもありません。

自分の生活から退場してもらうだけです。

危険な相手なら、記録は必要です

もちろん、すべての監視が無意味というわけではありません。

実際に嫌がらせを受けている。

脅迫されている。

仕事や生活に危害が及ぶ可能性がある。

そのような場合は、証拠を保存し、必要な範囲で相手の動きを確認することもあります。

ただし、その場合でも、感情のまま毎日見続けるのではなく、記録の目的を明確にしたほうがよいでしょう。

自分で直接見続けることが苦しいなら、信頼できる人や専門家に任せる方法もあります。

安全のための確認と、怒りを満たすための監視は別です。

ここを混ぜると、心が相手から離れられなくなります。

本当に嫌いなら、関心を返してもらえばよいのです

嫌いな人を見続けることは、その人へ関心を与え続けることです。

閲覧する。

検索する。

話題にする。

批判する。

場合によっては、相手の知名度や数字まで増やします。

嫌っているはずなのに、結果として相手の存在を大きくしています。

本当に相手を自分の人生から遠ざけたいなら、最も効果的なのは、関心を返してもらうことです。

見ない。

話さない。

探さない。

相手の成功にも失敗にも、自分の感情を預けない。

これは簡単ではありません。

嫌いという感情が強いほど、何度も気になります。

それでも、一度見るのをやめ、二度目もやめ、少しずつ距離を作ることで、相手は心の中から小さくなっていきます。

嫌いな人に、自分の時間を支配させない

人は何故、嫌いな人の動向を見続けるのでしょうか。

自分の判断が正しいと確認したいから。

相手の失敗を見たいから。

嫉妬しているから。

危険を避けたいから。

悪口の材料が欲しいから。

怒りが習慣になっているから。

理由はいくつもあります。

しかし、どの理由であっても、見続けるほど相手の存在は大きくなります。

嫌いな人について考えた時間も、その人に使った人生の一部です。

相手は何も知らないまま、こちらの一日を占領します。

嫌いな人に勝つとは、その人が失敗することではありません。

その人がどうなっても、自分の心が動かされなくなることです。

本当に嫌いなら、見なくてよいのです。

本当に離れたいなら、相手の人生ではなく、自分の人生を見ることです。

無関心は、冷たさではありません。

ときには、自分の心を取り戻すための、最も静かな決別なのです。

ありがとう皆様のおかげです

この度、なんでも屋。(´・ω・`)は、制作記事が予約投稿を含め800記事を突破致しました。

ほんとうにありがとうございますm(__)m

(*´▽`*)ネタ切れと日々戦いながら、AIも万能ではない中で、

なんとかかんとか800は突破出来ました。

次は1000記事を目指します。

短い挨拶ですが、皆様のご健康とご健勝を心よりお祈り申し上げるものであります。

読者様、スキして頂ける皆様、フォロワーの皆様、心よりお礼申し上げます。

本格的な夏ですので、熱中症など、体調崩されませんよう、無理しないで生きて行きましょう(*´▽`*)

この度は、誠にありがとうございましたm(__)m

なんでも屋。(´・ω・`)

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